140. 重い想い

 静寂な夜の中――。


 ジークとブリュンヒルデが向き合っている。


 静けさに緊張が含まれ、肌がヒリヒリと感じるのは森の冷たさだけが原因ではないだろう。


「あの頃は楽しかったわね。ねえ、ジーク」


「はい……」


 二人の出会いから遡っての思い出話は、気がつけば数時間を要していた。


 思い出話とは言いつつ、ほぼブリュンヒルデが一人で過去を語るような時間だった。


 時折、ジークが頷くのみ。


 彼女らの関係性を鑑みれば自然な流れであった。


「貴方は何も聞かないのね」


 今までの楽しそうな声から一転、ブリュンヒルデは声を落として問いかける。


「昔からずっとそう。ジークはずっと私の側にいてくれたけど……なんででしょうね。とても遠く感じたわ」


「……お嬢様。私はお嬢様を誰よりも、何よりも大事に思っておりました」


「ええ、そうね。そのとおりだわ。でも、貴方は決して踏み込んでくることはなかったわ」


 ブリュンヒルデはそういってファバニールの頭を撫でる。


 ファバニールは、くぅん、と嬉しそうに鳴く。


「……」


「ジークはいつもそうね。核心に触れる会話から逃げる。そうやって黙る。何もしない。

せっかくだから教えてあげましょう。あのとき何があったのか? 私が何を思っていたのかを」


 彼女らが袂を分かつこととなった日のこと。


 二人がこうして対立することになってしまった日のことをファバニールは語り始めた。


◇ ◇ ◇


 ブリュンヒルデ、13歳。


 彼女の転機ともなった歳だ。


 その歳に、ブリュンヒルデは結婚をするはずだった。


 本来であれば15歳をもって結婚する予定だったが、ハゲノー子爵からの強い要望により、その時期が早められた。


 というのも、ハゲノー子爵は少女趣味があり、15歳を過ぎてしまうと好みから外れるからだ。


 その悪癖をグリューン侯爵も理解していたが、金銭的な援助を受けるために目を瞑っていた。


 さらにハゲノー子爵の裏があろうとは考えていたが、グリューン侯爵は目を瞑った。


「グフッ」


 ハゲノー子爵は舐めますようにブリュンヒルデを見る。


 ブリュンヒルデの見た目はハゲノー子爵にとって十分合格ラインに達していた。


 その勝ち気な雰囲気や侯爵令嬢という肩書が特に好感度が高かった。


「ぐふぐふ。そちらも良いのぉ」


 ハゲノー子爵は側に控えるジークに対しても興味をいだいているようだった。


 歳の割に小柄で童顔なジークは、まさにハゲノー子爵の好みのど真ん中であった。


「……」


 ブリュンヒルデは嫌悪と憤りを抑えながら笑顔を作る。


 ブリュンヒルデがハゲノー子爵と結婚することは、家の存続を考えれば必要なことだった。


 当然のことながら、そこにブリュンヒルデの心情は一切考慮されていない。


 生理的な嫌悪感をハゲノー子爵に抱いており、もっといえば彼女は男性全般に対して嫌悪感を抱いていた。


 たとえそれが身内である父親だろうと、兄であろうと……。


 彼女にとって人類の半分は嫌悪の対象であった。


 嫌悪していたとしても、その中での差異はある。


 不幸なことにブリュンヒルデの近くには、否応なしに嫌悪感を抱かれるような、最底辺な男が多かった。


 家の存続のことしか考えず、娘を売ったグリューン侯爵。


 侯爵令息という立場でブリュンヒルデを見下し続ける兄。


 そして少女趣味があり、腐ったゴミのような性格のハゲノー子爵。


 そんな人としても最低な人物たちにブリュンヒルデは囲まれていた。


 それらの不幸が男への不信感を助長させた。


 そんな中、救世主のように現れたジークに対し、憧れや親愛――そしてそれ以上の気持ちを抱くのも無理はないことだった。


 ブリュンヒルデの狭い世界では、ジークの存在が一筋の光であったのだ。


「未来の花婿にまさかこのような付属品が付いてくるとは、ぐふふふ」


「ハゲノー子爵。そろそろ案内してくださらないかしら?」


 ファバニールはジークを舐めわすように見るハゲノー子爵を、心の中で、心の底から侮蔑する。


「そうだったな。今日はそのために来てもらったのだから」


 ブリュンヒルデとハゲノー子爵の結婚は間近に迫っていた。


 ハゲノー子爵はブリュンヒルデに、


「私の趣味・・・を見せようではないか。一緒に住むのだからお互い隠し事はなしにしたいものな」


 と言って、ブリュンヒルデを家に招き入れていた。


――悪趣味な家ね。


 ブリュンヒルデはハゲノー子爵に部屋を見ながら思った。


 ハゲノー子爵の成金じみた屋敷はブリュンヒルデの趣味に合わなかったが、割り切ることができた。


 使用人は多くが年端もいかない少女であり、ほとんどが死んだような目をしていたのも気付いたが、見て見ぬふりをした。


 だが、


「ぐふ……ぐふふふ。どうよ? これが私のコレクションたちだ」


 ブリュンヒルデは吐き気を覚えた。


 ハゲノー子爵のち過失では、残虐な実験が行われていた。


 キメラ実験。


 後にアークが介入し、ハゲノー子爵を失脚させ実験を中止にさせたものだが、この当時はまだ実験が行われている最中だった。


「ぐふっ。どうでしょう? 見ごたえがあるでしょう?」


 妻になるブリュンヒルデに、ハゲノー子爵は得意げに実験を見せた。


 人間が動物と交わる・・・・姿が、ブリュンヒルデの脳裏に焼き付く。


「――――」


 最悪の光景。


 地獄という場所があるなら、まさに目の前の光景のことだろう。


 そう思わされる光景が広がっていた。


 阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに広がっていた。


「ぐふ。ぐふふ。いつ見ても美しい」


 実験と実験によって姿を変えられた少女たちを、恍惚と見つめるハゲノー子爵。


 ブリュンヒルデは口元を抑えながらハゲノー子爵を見る。


 そのハゲノー子爵との結婚を義務付けられたブリュンヒルデ。


――なんで……なんて地獄なのかしら。本当に、もう……。


 その後、ブリュンヒルデは自分の行動を覚えていない。


 気がつけば暗い部屋の中にいた。


「お嬢様……」


 ジークが心配そうにブリュンヒルデを見つめている。


「ねえ、ジーク。私はどうすればいいのかしらね」


 ブリュンヒルデは自嘲気味に力なく笑う。


「この生きにくい世界で、私はどうすればいいの? ねえ教えて」


 ジークは答えない。


 答えられない。


 その答えを知らないから。


 提供することができないのだ。


「ねえ、ジーク――」


 ブリュンヒルデがジークの瞳を見つめる。


 彼女は小さく息を吸い――


「――愛してるわ」

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