62. シンデレラの夢は覚める
カジノを出たころには、外はもうかなり暗かった。
というかもう夜だ。
時計塔の太い針がもうすぐ12時を指そうとしていた。
帰る途中、バレットは靴を持っていないのか、裸足で歩いていた。
そんなみすぼらしい格好で歩かれては困る。
ちょうど良い。
オレは魔法で氷の靴を作ってやった。
氷だが、冷たくはない。
それはもはや氷ではないのでは?
そんなもんは知らん。
オレは学者じゃないから原理なんてどうでもいい。
「この靴を履くと良い」
オレの従者が裸足で歩いていたら、オレの沽券に関わる。
「え? でも……」
オレのような素人が作った靴がイヤとでもいうのか?
まあデザインなんて考えてないし、履き心地も相当悪いだろう。
だが、貴様に拒否する権利はない。
だって貴様はもうオレのものなのだから。
「貴様が履かないというなら、オレが無理矢理にでも履かせてやろう」
オレはしゃがんで、無理やりバレットの足に靴をはめこんだ。
ふむ。
ちょうどいいサイズだ。
さすがはオレ。
「……っ」
バレットが顔を真赤にしている。
さすがに恥ずかしいか……。
まあこんな素人の靴なんて履いてたら恥ずかしいんだろうな。
フントに頼んで靴を持ってこさせた。
「安心しろ。家まで帰る辛抱だ」
「今夜までの魔法ですか……?」
「そういうことになるな」
「それではアーク様。ついでに一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
お願いだと?
「聞かせろ」
「私と一曲踊っていただけないでしょうか?
魔法が解けてしまう前に。私がフロムアローである最後の夜をアーク様で彩らせてほしいのです」
ん?
つまりあれか?
男爵の地位がなくなって、ただの平民になるのが悲しいってことか?
だから最後にオレと踊って貴族っぽいことをしたいってことか?
なーるほど。
まあさすがにオレも鬼じゃない。
踊ってやるなら全然構わん。
「それではバレット嬢。あなたに最高で素敵な夜をお届けしましょう」
オレは貴族であって紳士だからな!
エスコートは得意だ。
貧乏男爵の手を握って、夜の街を踊りだす。
ヴェニスの街はこんな時間でも明かりがある。
水の音があって、雰囲気も良い。
さすがは観光都市ヴェニス。
12時の鐘が鳴る。
同時にオレたちは踊りを止める。
「ありがとうございました」
バレットが頭を下げる。
オレはフントに持ってこさせた靴をバレットに履かせる。
バレットが涙を流していた。
よほど男爵令嬢の地位がなくなったのが悲しいらしい。
まあオレも今の伯爵の地位を奪われるのは死ぬほど嫌だからな!
気持ちはわからなくもないが、貴様はもうオレのものだ。
これからはオレが好き勝手やってやるぜ!
ふははは!
だがまあ……。
今日くらいは悲しみに寄り添ってやろう。
今日だけだぞ?
◇ ◇ ◇
夢のような時間だった。
でも夢はいつか覚める。
この夢が冷めてしまうのが怖いと感じた。
起きたらまたあの父親のもとにいる。
もしくは、父親に売られた先で鎖に繋がれている。
――どうか、覚めないで。この素晴らしい時間だけは。
バレットは月に願った。
半分の月が姿を現した夜。
まるでそれが自分の過去と未来を表しているようだった。
ちょうど今が分岐点である。
バレットはアークとともにくるくると回る。
今まで踊らされた人生だった。
弓に踊らされ、家に踊らされ、家族に踊らされた。
その人生も今日で終わる。
今日からは新しい人生が始まる。
フロムアローはもういらない。
未練はない……と言ったら嘘になる。
今までの自分を簡単には捨てることはできない。
アークが微笑む。
バレットも微笑む。
――ああ、どうか。神様。この時間を永遠にください。
カーンカーン。
鐘が鳴った。
時計塔の太い針が12時を指した。
もうそんなに踊っていたのか。
ふっと足元を見る。
「あっ」
靴が溶けていった。
魔法は終わりだ。
夢が覚めてしまう。
「バレット。これが今日から貴様の靴だ」
「これは……」
「貴様が今日からうちの一員だと示すものだ」
ブワッとバレットの目から涙がこぼれ落ちる。
これは夢ではなかった。
悲しいのか、嬉しいのか……。
バレットはよくわからない気持ちだった。
いや、悲しみも嬉しさもどちらの気持ちもあるのだろう。
「ありがとうございます」
12時を過ぎても夢は覚めなかった。
でももう夢の時間は終わりだ。
だけど……今だけは涙を流していたかった。
このぐちゃぐちゃな気持ちを沈める時間が欲しかった。
バレットはアークの胸の中で、子供のように泣きじゃくったのだった。
◇ ◇ ◇
干支の一人、バレット・フロムアロー。
原作でのバレットは親に売られキメラにされ、干支の一員として主人公たちの前に立ちはだかる。
しかし、バレットは主人公たちとの戦いに破れ、さらには失明してしまう。
そのまま目が見えなくなった彼女は使い物にならず、未来を閉ざされてしまう。
つまり、闇の手によって葬られてしまうのだ。
この世界での彼女は闇の手の一員でもなければ、干支の一員でもなかった。
しかし、原作の強制力が働いたのか、彼女は結局親に売られる羽目になった。
そして、アークによって救いだされ、干支の一員となったのだった。
原作でもこの世界でも干支の一員となったバレットだが、過程はまったく異なる。
奪われ、捨てられ、そして尊厳を踏みにじられて干支となった原作のバレット。
守られ、救われ、そして誇りを尊重されて干支となったこの世界のバレット。
その違いにはアークが関わっていることは言うまでもない。
こうしてアークはまた、まったく意図しないところで一人の少女を救ったのだった。
そして相変わらず原作をぶっ壊していくのであった。
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