47. 奪われる者
男の名前は骸。
というよりも、コードネームだ。
名前は失った。
昔はあったが、もう覚えていない。
骸は暗闇の中をさまよう。
頭の中に映像が映し出される。
それは古い、古い記憶。
彼がすでに忘れてしまった――忘れさせられた記憶だ。
骸は昔、何の変哲もない小さな村で暮らしていた。
彼はまだ子供であったが、大人として認められるために必死になっていた。
はやく大人になりたいと考えていた。
その考え自体が子供であった。
子供らしい子供だった。
何の変哲もない、普通の幸せな子供だった。
子供だから狩りが禁じられている。
だが骸はその掟を破り、代々伝わる黒槍をもって猪を狩りに出た。
その日は彼にとってとても大事な日だった。
婚約者の誕生日であった。
小さな村のため、幼い頃に婚約者が決まっている。
自分よりも一足先に成人を迎え、12歳になる婚約者にプレゼントしようと考えていた。
彼は以前、父が狩った猪の牙からイヤリングを作り、婚約者にプレゼントした。
そのとき、婚約は
「わー、きれい!」
といって随分と喜んでくれた。
今度は牙ではなく、猪を丸ごとあげようと考えた。
そうすればもっと婚約者は喜んでくれると思った。
狩りは想像した以上にうまくいった。
小さなイノシシを一頭狩ることができた。
立派なイノシシを婚約者のもとに届けよう。
今日は記念日だ。
骸は婚約者のことを想い、陽気な歌を歌いながら帰り道を歩いた。
彼ははやく婚約者に会いたかった。
だから少し小走りで村に向かった。
そして村に着くと、村人たちが襲われていた。
老人は殺され、若い男は門の前で貼り付けにされ、若い女は犯され、子供は連行されていた。
骸の親も無惨に殺され、家の前で首が無造作に転がっていた。
「あ……あっ……」
この世の地獄がそこに広がっていた。
そして婚約者は襲撃者に攫われていた。
骸は婚約者だけは取り返そうと必死に抗った。
しかし、子供の骸ではどうししようもない。
骸は婚約者を奪われ、そして骸自身も捕まってしまった。
無念だった。
その無念さえも今まで忘れていた。
闇の手の者によって忘れさせられていた。
骸は魔物になると同時に記憶の一部を取り戻した。
施設では、過酷な訓練を受けさせられた。
薬物を投与された。
ほとんどの者は死んでいった。
初めて人を殺した。
親友だったものだ。
たんたんと仕事をこなしていった。
心はいつしか無になった。
死んだように生きている。
それはもう、
スケルトンとなんら変わりがない。
「ああ、ああ……」
スケルトンの口から怨嗟が溢れる。
自分だけがこんなにつらい目にあってきた。
何も報われず、奪われ続けてきた。
村も親も友人も婚約者も、そして自分すらも奪われてきた。
「闇が私を飼い殺し、骸の中に閉じ込めた。希望も憎悪も奪い去って――。フィアンセも闇に染まった」
まるで
骸の中で、怒りが、憎しみが、怨嗟が、ふつふつと蘇る。
すべてを奪われた。
何もかもが許せなかった。
骸の手には憎悪に染まった黒い槍がある。
「今こそ復讐の時」
骸はアークを見る。
「奪ったのはお前か。俺からすべてを奪ったのはお前か!」
骸の思考はまとまっていない。
今の構図はアークが骸からエバを遠ざけているようにも見える。
骸には、婚約者を奪った者たちとアークが重なって見えていた。
「俺から何も奪うな。もう何も奪うな。奪うなら殺してやる!」
骸はアークに恨みをぶちまけ、感情を爆発させながらアークに槍先を向けた。
骸の視界がクリアになる。
一点だけを見据える。
アークを見据える。
闇の手の者の中でも最強の一角を担うナンバーズ、その序列8位。
魔物になった状態で、骸はさらに強化されていた。
今までにないほどの怒りと高揚が骸を包み込んだ。
「――――」
目指すは一点。
アークの心臓である。
骸は極限まで意識を集中させた。
そして、
「――
猪のようにただ前だけを見据え、一歩踏み込んだ。
――ドンッ
地が鳴る。
骸の間合いの中にアークがいる。
今度こそ、確実にアークの心臓を貫ける――
「――――」
――はずだった。
槍が空を切る。
ありえない。
骸の動きは完璧だった。
完全に仕留められる一撃だった。
身体強化も施していない人間が避けられるはずがない。
身体強化を施していようと、避けられるものではないというのに。
想定していた感触が槍から伝わってこない。
「……ッ!?」
驚愕。
いつの間にか、アークが骸の隣に立っていた。
「
骸の腹から氷の柱が
「がはっ……!」
骸の
魔石を壊されば、魔物はもう体を動かすことはできない。
――冷たい
体の芯から凍えていくようだった。
骸は目を動かす。
目と鼻の先にはアークがいる。
目の前にいるのに、何もできないでいる。
村を襲われ、何もできなかったときと同じ絶望感に襲われる。
「ああ……ああ……」
骸は泣いた。
だが、スケルトンの体からは涙も出なかった。
泣くことすら、奪われた。
視線を隣に動かす。
エバがいる。
目があった。
エバはまっすぐで曇りのない目をしていた。
「(ああ。そうか。そうだったのか……)」
骸の心に、絶望と歓喜が同時に押し寄せてきた。
自身の存在を否定された悲しみと、大事な者が救われた喜び。
しかし、後者の感情のほうが大きい。
「(もう救われていたのだな)」
エバが過去に囚われている様子はなかった。
今をみて、前を向いて生きていることがわかってしまった。
「……」
続けて骸はアークを見る。
骸は最後の力を振り絞って、声を絞り出した。
「アーク・ノーヤダーマ。お前に闇を払うことができるか?」
アークが怪訝そうに眉をひそめた。
「無論。オレの前に立ちはだかるのならな」
骸は奪われるだけの人生だった。
しかし彼なら、アークなら闇を打ち払うことができるかもしれない。
骸はそう感じた。
「彼女を……頼む」
骸はそういって穏やかな顔で笑った。
そして、今度こそ物言わぬ骸となった。
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