15 最後の夜
※作者からのご注意
今回の話にはグロテスクな表現が多数含まれます。苦手な方は該当のシーンを飛ばして、最後の十数行だけ読んで次の16話へ進んでいただくとよいかと思います。
15 最後の夜
決行の機会は思ったよりずっと早く訪れた。
六日後、町を奪還しに来た政府軍の攻撃に、私たちは撤退を余儀なくされた。
住民が残っている町に空爆や砲撃はできないという読みは当たったが、先に偵察用ドローンの姿を見かけるはずという予想は裏切られた。こちらの正確な戦力を把握する手間さえかけずに、単純な戦力差で押し切ろうと来襲してきた敵の数は予想を超えていた。押し寄せる車列の連なりを見ただけで、町を完全に包囲されてじりじりと戦力を削られていくのは想像に難くなかった。
「こうなるとお手上げだな。引き上げるしかない」
ボスの決断は早かったと思う。元々政治的信念を持って戦っている人間ではないから、不利を悟れば逃げ出すことに躊躇いはない。
にもかかわらず、撤退戦では大きな犠牲が出た。町を出て背後に逃走するまではよかったが、追手を撒くことができなかった。特にヘリは厄介だった。手榴弾の投擲や重機関銃(うち一つはパワードスーツの右腕に装備されたもの)を使って三機のヘリを
他の隊とは散り散りになって逃げたので、〈徴税人〉全体にどれだけの損害があったのかは知る由もないが、〈断頭〉隊に関しては二十七人が死んだ。うち六人はレッド隊の隊員だった。
私のような目的もなく、それでも死にたくないから必死で戦って、けれどいつかは戦場で野晒しで朽ち果てる運命に怯えていた少女たち。
私がもっと早く復讐を決行していれば、彼女たちが死ぬこともなかったのだろうか。ボスに苦痛を与え、確実に〈断頭〉隊全員の息の根を止める好機を伺っていたせいで、部下を死なせることになってしまったのか。
必死で走り続けた〈断頭〉隊は、元々ねぐらにしていた基地まで追手を振り切って逃げ延びた。
雲間から三日月の光が差す夜だった。ヘッドライトを消した車で逃走していたため全員の目が闇に慣れていたので、ろくに明かりも付けずにパワードスーツや武器を下ろした。最低限の荷下ろしが済むと、疲弊した〈断頭〉隊の面々はすぐに張ったままだったテントに転がり込んだ。
私は撤退時に運転せずに、トラックの幌に隠れながら狙撃していた。だから追手と距離が開いてからは体力を全然使わずに済んでいて、もう万全に近い状態まで回復していた。
六人の少女を除いた死者のうち、二人は十代前半の少年兵で、まだ誘拐されてから日の浅い、〈断頭〉隊の残虐さに染まりきっていない子供だった。
今の〈断頭〉隊には、彼らより若い少年兵はもういなかった。次に若い兵士でも、既にここへ来てから半年以上が経つ。既に笑って人を殺せる程度にはこの集団に順応していた。
つまり今日、〈断頭〉隊には殺して心の痛む人間は一人もいなくなったということだ。
「レッド、ボスが呼んでる」
「……わかった。すぐに行く」
テントまで呼びに来た男に返事をして、私は立ち上がった。
こんなふうに命を拾った夜は、決まってボスは燃え上がった。生の実感を確かめるように、普段より激しく私を抱いた。だから今夜も呼ばれるだろうことは予想が着いていた。
逃走中にトラックの幌から外を覗いて、三日月が見えたときにはもう心を決めていた。満月では明るすぎるし、新月では暗すぎる。
ボスが寝床にしている小屋の前で深呼吸する。始めてしまったら、もう後戻りはできない。敵を皆殺しにするか、私が殺されるまで。
ドアを開ける。マットレスの上で上半身を起こしたボスの、疲れが隠しきれない顔がランプに照らされている。
漲る殺気を隠して艶然と微笑む。いつもの作り笑いとは少し違う。この後待ちに待った瞬間が訪れることを思うと、自然に口角も上がろうというものだ。そう、今夜はやっと私が楽しむ番だ。
この男の次は他の連中だ。今ここにいる男たちは、皆罪人だ。十代から中年までの四十六人、一人の例外もなく、強姦者であり殺人者だ。皆殺しにしても罪悪感はない。
改めて月の輝き具合に思いを馳せる。決行の日、男たちの最期の顔がよく見えるか心配だったが、今夜なら問題ない。
「相当参ってるみたいだね」
私は立ったままボスの肩に優しく手を置いた。
「ああ、今日はさすがにな……おまえのところも、六人死んだか。残念だったな」
「うん、そうだね。でも……」
私はそのまま何気ないように背後に回り、腰を下ろす。
「もう私の部下は一人も死なせない」
しなだれかかるようにボスの背中に密着すると、素早く左腕を首に巻き付け、両脚で下半身の動きを封じた。
大男のボスを私のような小柄な少女が身一つで拘束するのは本来無理だろうが、マイトで強化された筋力はそれを容易にする。だがこの体勢では両腕の自由を奪えないし、そうなると床を叩くなどして大きな音を立てるのを止められない。
私は三秒でボスを締め落とすと、寝かせたボスに馬乗りになり、両肩を交互に軽く突いた。そして口を強く押さえると、強度を低下させた肩を渾身の力で握りしめた。
痛みの衝撃に飛び起きたボスが悲鳴を上げられないよう慎重に押さえたまま、もう一方の肩も握り潰す。これで両腕は使えない。
脚を暴れさせて音を立てないよう、太ももの上に腰を下ろし、そっと囁く。
「今日がおまえの、そして〈断頭〉隊の最後の日だ」
ボスの両目が一層見開かれた。
「私の特殊な力で、おまえの身体中に穴を開けてやる。すぐに死ぬなよ」
そう言ってから、ボスの小指が手の甲に付くように付け根の関節を逆に折り曲げる。宣言されて身構えていた痛みより、予想外の痛みの方が応えるのではないかと考えたからだ。使える時間が少ない分、与える苦痛は妥協しない。
そして脇腹を軽く突くと、宣言どおりそこにヌキテを突き刺した。内臓を傷つけないよう端を狙うのは忘れない。
苦痛に仰け反ろうとする身体を押さえていると、ボスがただ悲鳴を上げているのではなく、何か言葉を発しようとしているのに気づいた。私はもう片方の手で喉を締め上げ、大きな声を出せないようにしてから口を押さえていた手を離した。この男が最期に何を口にするか興味が湧いたからだ。
大きく息を吸えずに苦しそうにしていたが、私が顔を近づけると、聞く気があるとわかったのか、か細い声で語り始めた。
「……いつかこんな日が来るような気はしてた」
虚ろな目は、目の前の私より遠くを、在りし日の過去を見ているようだった。
「おれはおまえに殺されるんじゃないかと……おまえが力を付けるのを見て、早く手を打たないと、いずれ復讐されるかもと。だが……」
ボスの両目から涙がこぼれた。この男の目にそんなものが浮かぶのを見たのは当然初めてだった。
「お前を殺せなかった。いつの間にか、本当におまえのことを愛してしまった」
私は深くため息をつくと、ボスの下顎を握りしめ、強く引っ張った。顎の関節が外れ、悲鳴とも不明瞭な言葉ともつかないものが口から漏れた。
「もういい。おまえはもう、喋るな」
太腿の内側の肉を二度つついて、大きな血管を避けるようにして
「愛だと? ふざけるなよ。おまえのはどこまでいってもただの欲望だ。醜い性欲と独占欲だ。おまえには愛なんて感情は存在しない。今までどれだけの人間を殺してきた? 無抵抗の人間を何人痛めつけた? 年端も行かない子供を何人犯した? 愛を持ち合わせてる人間にそんなことができると思うか?」
だがこいつの言う愛は、この暴力が渦巻く腐敗した国で生まれ育ったこいつにとっては、本当に愛と呼べるものだったのかもしれない。脳裏にふとそんな考えが浮かぶ。
「でもまあ、そんなに私のことがお気に入りだったって言うなら……」
私の「夫」であり、師でもあった男。最期に一つだけ、優しさを与えてやるのもいいだろう。
「人生の最後に見るのは、大好きな私の顔にしてあげる」
息も切れ切れのボスの眼前に顔を近づける。今までで一番美しく、艶やかに見えるように意識しながら微笑んでみせる。
そのままの笑顔で、ボスの両目に、親指をゆっくりと潜り込ませる。
眼球というのはそう簡単に潰れるものではないらしい。弾力と硬さを併せ持った球体は私の指を滑らせ、眼窩の奥に指先が届く。おぞましさに鳥肌が立つと同時に、太い血管のようなものの感触。これが昔教科書か何かの図解で見た覚えのある、脳と繋がっている視神経か。人差し指も眼窩に潜らせ、視神経らしき束を摘まみ、引き抜いた。私の表情は苦虫を噛み潰したようなひどいものになっていただろうが、直前に視覚を失ったはずのボスはそれを見なくて済んだだろう。
眼窩がぽっかり空洞になって血の涙を流しながら、声にならないか細い悲鳴を上げるボスと、私の両手からぶら下がる眼球。それを見たとき、生理的嫌悪感が急に身体の限界を超えて、私はボスの顔の横に
自分がレイプされたときも、初めて人を殺すことを強制されたときも、嘔吐などしなかったというのに。これだけ憎み続けた相手であっても、ひたすら人間の肉体を壊すという行為は精神を
だがそれでも苦痛をここで終わらせてやる気にはならなかったし、時間にもまだ余裕があった。自分が何をされるのか見ることのできない中での拷問は、短くとも最上の恐怖を与えられるだろう。
失血死しない程度にボスの身体に穴を開け、指や耳を千切り取りながら、人間の苦痛について考える。
人類の長い歴史の中では、いやもしかしたら現代でも世界のどこかでは、この男以上に凄絶な拷問を受けながら死んだ人間がいるだろう。今の私には刺したり切ったり潰したりすることしかできないが、火や水や電気、毒を使えば与えられる苦しみの種類はより増える。
だがそうやって人間の想像力が及ぶあらゆる苦痛を与えようという試みは、上手くいかないのではないかという疑いが頭に浮かぶ。もしかしたら、人間が感じられる痛みには限界があるのではないか? たとえばもし爪を剥がされるくらいが人の知覚できる痛みの最大値だとしたら、身体を末端から切り刻んでも、全身の皮膚を剥いでも、ゆっくりと火炙りにしても、限界を超えた分の痛みは知覚されないことになる。
私はなぜこんなことに思いを馳せているのだろう? 両親を殺し自分を長年陵辱し続けてきた男が苦痛に悶える姿に、もっと集中すべきときに。きっとこいつの反応が一様に過ぎるせいだ。折るときも、貫くときも、抉るときも、見ている方からすれば変わり映えのない苦しみ方だ。
仮に苦痛に限界値のようなものがあるとしても、それが何日も、何週間も続くのだとしたら、苦しみは耐え難いものになるだろう。だが私に与えられた時間は数十分程度。他の男たちが異常に気づいてここを取り囲む前には終わらせなければならない。そんな短時間で私が受けた苦痛と恥辱の報いを受けさせることなど土台不可能なことはわかっていた。
なら今からボスの傷口をできる限り止血して、他の連中を皆殺しにしてから改めて続きを楽しむか? 死なないように面倒を見ながら何日もかけて? 馬鹿げている。私にはこの後の計画もあるし、第一そんなことをしたら、今までと同じくこの男に縛られているも同然ではないか。
徒労感に襲われた。だが後悔はない。少なくともこの男をあっさり殺してしまったら、一生深く悔やむことになったのは確かだ。だからこれで納得するよりない。私はすっかり止まっていた手を再び動かす。
終わらせたのは、思ったよりも早く飽き始めた頃だった。ボスの腕にある時計を確認すると、ボスを拘束してから三十二分が過ぎていた。
期待したような達成感はなかったが、私の人生で最も濃密な三十二分間ではあったと思う。
これ以上引き伸ばすのは難しかった。さすがに誰かが異変に気づく可能性が高いし、そうでなくとも血と自分の吐瀉物と失禁したボスの尿の臭いが混ざり合うこの部屋にこれ以上いるのは耐え難いものがあった。
それにこの後の重労働のためには体力を温存する必要もあった。まだ夜は長い。あと四十六人――
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