14 理解

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 町を占拠した日の夜、男たちはそれぞれ好きな家を選んで、ある者は一人で、ある者は少女兵や逃げ遅れたり拉致されたりした住民を連れ込んで寝泊まりした。今回の侵攻にあたって集合した〈断頭〉隊以外の隊の面々も似たようなことをしていた。

 私もできることなら久しぶりにベッドで安眠したかったが、忌々しいことにボスと同じ屋敷に連れ込まれていた。

 翌日からは、町を奪還しに来る政府軍に対して本格的に対策を始めた。とはいえ逃げ遅れた、或いは諦観を持って支配を受け入れた住民は大勢いたので、彼らを巻き込む空爆や砲撃を受ける可能性は低いだろうという楽観的な空気が〈徴税人〉全体を包んでいた。だから精々が人員の配置に気を遣う程度で、バリケードを築いたり罠を仕掛けたりといった本来急いで――できれば昨日のうちに――やるべき作業までのんびりやっている始末だった。

 今この町には〈断頭〉隊をはじめとして〈徴税人〉の全構成員が集まっている。その数はおよそ二百五十人。政府軍が攻めてきても応戦できるというのが幹部たちの総意だった。

 物資の整理を部下たちに任せて抜け出してきた私は、昨日引っかき回した屋敷を訪れ、あの金庫と向き合っていた。ここでも誰かが泊まった形跡があったが、今は作業に出ていた。金庫を持ち上げちょうどいい高さのサイドテーブルに載せる。一本足が軋んで危なっかしい音を立てる。

 昨日得た知識に触れる前から、リーンフォースと呼ばれる作用には特に注目していた。これは単に身体の表面を高密度のルミナスで「覆う」のではなく、身体の内部に至るまでルミナスを高密度に「浸透」させて頑強にする能力だった。

 あの「蠅の舞」を繰り返して私が辿り着いた答え。それが間違っていなかったことを証明されたようだった。

 何かが掴めそうで続けていたヌキテの訓練は、思わぬ副産物を生んでいた。

 ルミナスによる強靭化が、いつの間にか指先だけ強く作用している。普段は全身が満遍なく強化されているところを、なんというか指先だけルミナスの密度が濃くなっているような感覚があった。そのくせ他が薄くなったような気もしない。指先だけが効率よく、そこに存在するルミナスを全て補強に費やせているような感覚だった。

 そのとき気が付いた。高密度のルミナスが私の指先をより強靭にしているとしたら、もしルミナスのなってしまうとしたら、何が起きるだろう?

 人間の皮膚や筋肉の弾力も、樹の幹の丈夫さも、岩石の頑強さも、全ては然るべきルミナスを含んでいるからだとしたら? もしもそれらに含まれているルミナスを取り出せるとしたら?

 腐った丸太のように生きた幹を脆くすることも、岩石を握り潰せるようにすることも、人体を素手で貫けるようにすることも可能なのではないか。

 ではどうやって、物体からルミナスを追い出すか。

 昨日までの私には、曖昧なイメージしかなかった。

 柔らかくなれ! 脆くなれ! と念じながらがむしゃらに丸太に強く指先を叩きつけていた。

 そうしていると、ごく短い時間だけ、丸太からあるべきルミナスが失われているのがわかった。

 それはほんの少しの時間で元に戻ったが、その前に一撃を加えることは十分に可能だった。

 再び丸太に指先を叩きつけた。今度はもっと軽く。同じように丸太からルミナスを追い出すことに成功した。何度か繰り返し、毎回同じことができるのを確認すると、今度は軽く小突いた丸太に、全力のヌキテを繰り出した。

 頑丈なはずの丸太に、指先どころか掌までが深く突き刺さった。

 そして昨日、生きた人間相手にも同じことができるとわかった。

 軽く突いた警備員の胴体からは、人体本来の強度を保つためのルミナスが追い出された。念入りに数回それを繰り返した後に放ったヌキテ。

 鋭利な刃物でもない丸まった指先が、男の胴体を完全に貫通して背中から手首が飛び出した。

 血と脂に塗れた手を拭いながら、これまでの試行錯誤が報われたことに歓喜した。

 そうやって自力で編み出した技に、今度は理論が加わる。

 ルミナスに関する「極小物質説」或いは「暗黒物質ダークマター説」を信じるなら、リーンフォースを使うとき、私の肉体を構成する原子の隙間には、普通の人間より高密度のルミナスが、たくさんの粒が充ちているということになる。それが肉や骨を頑丈にするから、周りの人間の倍の速さで動いても、樹上から飛び降りても、肉体が壊れずに済む。

 普通の人間の肉体からルミナスを追い出して脆くする技。それはルミナスの小さな粒を弾き出してばら撒いているということだ。

 ビリヤードの玉を思い浮かべる。玉が別の玉に当たると、弾かれて飛んでいく。あれがルミナスの極小の世界で起きているのだとしたら。

 実際に何が起こっているか、科学的な事実は重要ではない。大事なのはあくまでも具体的なイメージ。私のルミナスはそうやって磨かれてきた。

 この指先が鍵になる。それは確信に近かった。

 高密度のルミナスを纏ったこの指で、物体を突く。貫こうと強く突く必要はない。突くのは物体そのものではなく、そこに内包されるルミナスの方だから。

 弾き出されたルミナスは、すぐに元の物体の内部に戻ろうとする。或いは元の物体が空気中のルミナスから失われた分を補充する。私自身も意識的にせよ無意識的にせよRMⅰNASを使っているときは、体内のルミナスが一時的に減少する自覚がある。リーンフォースで身体を強化しているときは体内のルミナスが増えているというか高密度になっているのだが、それを長時間維持することができない。疲労感に襲われ、強化状態が保てなくなり、徐々にリーンフォースが弱まるのを自覚する。そのとき身体のルミナスはどんどん密度が減少し、空気中に溶け出すような感覚がある。だが時間が経つと空気中から自然にルミナスが体内に取り込まれ、また強度の高いリーンフォースが使えるようになる。

 何度か突くことでルミナスが元に戻るまでの時間が長くなるのも、ルミナスが無数の粒の集まりだと考えると合点がいった。ビリヤードで弾き出せるのは後ろの方の玉だけ――全て弾き出そうと思えば何度も玉をぶつけなくてはならない。

 目の前の金庫を小突いてみる。木や肉とは比較にならない頑丈な物体。

 こんな物体でも、内包するルミナスを一瞬弾き出せれば、この指先で貫けるようになるだろうか。

 四回間を空けずに小突く。突く度に金庫の扉どころか中の物体が含むルミナスまで薄くなるのがわかる。

 五回目に、全身を捻って勢いよくヌキテを繰り出した。

 サイドテーブルが倒れて金庫が落下するようなことは起きなかった。高速で空を切り裂いた私の右手は、ライフル弾でも貫通できないはずの金庫をやすやすと貫いた。

 右手を動かすと、中身の宝飾品や札束に触れた。すぐにこの大穴の周りの金属も元の硬さを取り戻すはず――それに思い至って慌てて手を引き抜いた。穴の形によっては手が抜けなくなるか、尖った金属で手を切りかねない。

 空いた穴を見つめて成功を噛み締める。この技で貫けるのはどの程度の物体までだろう。もっと厚い鋼鉄の板なら? 戦車の装甲なら?

 もしかしたら、この技を極めればこの世に貫けない物体は一つもないのでは?

 金庫を持ち上げ、中身をサイドテーブルにぶちまける。隠して持ち帰れないかと思ったが難しそうだ。四桁の数字を総当たりで開けたということにして、ボスに提出するしかないだろう。この金庫は念のため穴が開いた扉の面を下にして隠しておく。

 他の部屋で見つけたリュックにお宝を詰めていると、いくつかの宝飾品が破損してしまっていた。勢い余ったヌキテで破壊してしまったらしい。

 黄金の十字架がモチーフのアクセサリーがあったが、これも真っ二つに折れていた。サイドテーブルに叩きつけてみたが、叩いて簡単に折れるような太さではなかった。金庫のルミナスを弾き出すとき、この十字架のルミナスも弾き出したためにヌキテで折れてしまったらしい。

 その十字架を見たとき、この技を、能力を何と名付けるか決めた。



 その日の夜、最低限のバリケードを築いた安堵感と高揚感から、〈徴税人〉の面々は宴を始めた。路上で火を焚き、酒を呷りながら騒いでいた。

 走行音と歓声が聞こえたので目を向けると、昨日噂で聞いていた代物がこちらに駆けてくるところだった。

 かつて私たちの仲間だった〈蛇喰鷲〉を殺した、忌まわしき人型の怪物。

 ――もうあれから一年半以上も経つのか。同機種のパワードスーツとはあの後一度遭遇する機会があったが、そのときも撤退を余儀なくされた。

 今目の前にいる機体も上半身だけ見ると同機種のようだったが、下半身が違う。踵が後ろに大きく伸び、そこに付いた車輪が接地して走行している。それほどの移動速度ではないが、あの二十世紀の宇宙服のような姿で歩行するよりはずっと速いはずだ。

 何にせよ、新しい力を手に入れた私にとって、それはもう恐怖の対象ではなかった。

「いいおもちゃだろう?」

 頭上からボスの声がした。家屋の屋上から宴を眺めて佇んでいる。

「上がってこいよ」

 私は素直に屋上へ出る梯子を上った。一階建ての屋上くらいなら跳躍すれば上がれたが、自分の力を必要以上に見せつけることはしない。私の身体能力が普通でないことは知れ渡っているが、それでも何ができて何ができないのか正確な力の程は隠しておくに越したことはない。

「素晴らしい夜だな」

「うん、本当に……あの機体、私たちが戦ったやつとは形が違うね」

 運搬中のパワードスーツは、半年ほど前に〈断頭〉隊とは別の隊が鹵獲した。これを運搬している軍のトラックを襲った際、私たちのときとは違って軍の兵士がすぐに搭乗できなかったらしい。無傷のパワードスーツを手に入れた奴らは、生き残った軍人を痛めつけて操縦方法を聞き出し、ここぞという場面で運用できるようにしていたらしい。

「ローラーで移動ができる以外は以前見かけたやつと同じだな。名前も同じらしい。英語で『戦士トルーパー』。イギリスから提供されたものらしい」

 では一年半前のあの日、私は祖国から運ばれてきた兵器に危うく殺されるところだったわけだ。

「おれは〈断頭〉隊であれを使うつもりだ」

 酔っ払いのざれ言かと思ったが、口調はしっかりしていた。

「もちろん、いくらおれがボスでも、他の隊が苦労して手に入れたものをタダでよこせと言う気はない。そこでおまえが開けてくれた金庫の中身だ。あれを報酬にパワードスーツを譲ってもらう」

「そんなに役に立つかな? 森ではろくに動けそうもないのに」

 金庫の中身が何に使われようがどうでもよかったが、足場の悪い場所ではまるで運用できない兵器など、邪魔になるだけではないか。

「使える場面は限られるだろうが、新しいものは楽しいだろ?」

 そんな気紛れでお荷物を配備されてはたまらないが、この様子だと翻意を促すのは難しそうだ。

「楽しいか楽しくないか。それが最も重要だ……」

 遠くを見るような目で、しみじみと呟いた。

「おれは都会の生まれで、家が裕福じゃなくて大学まではいけなかったが、そこまでの教育は受けられた。英語が得意でな、ホテルなんかで白人相手に商売することになると思ってた。この国の人間としては悪くない条件の仕事だ」

 急に感傷的になったのか、誰も聞いてもいない過去を語り始めた。

「だがおれは、ずっと退屈だった。金はもらえても不自由な生活にうんざりした。そんなとき腕っぷしのいい人間を探してた同郷の奴に誘われて、ギャングの一員になった。少しは刺激的になったが、それでも……」

 盃を傾けしばらく黙った。おそらく今この男は、かつてないほど私に己をさらけ出している。

「黒曜連合のことを知ったとき、面白そうなものを見つけたと思った。ギャングの中から仲間を集めて反政府ゲリラを組織した。町のチンピラだった頃よりずっと暴力にまみれた日々だった。森に潜伏する暮らしは不便だったが、今まで感じたことがないような、生きてる実感があった」

 呆れた独白だ。お前がくだらない生の実感を得るため、いくつの集落が襲われ、どれだけの人間が殺された?

「しばらく経って〈徴税人〉が大所帯になって、いくつかの隊に分かれて活動するようになって、そんなときにおまえが現れた。白人の一家を捕える機会なんてそうはない。誘拐ビジネスを資金源にしてる別のゲリラに売り払おうかと考えたが……」

 一般人を誘拐して身代金を取ることを生業にしているゲリラの話は聞いたことがあった。そいつらがイギリス政府或いは私の親族と上手く取引ができるかはともかく、どちらにせよ私を売り飛ばそうと思えば高値で売ることはできただろう。

「父親を撃たれて殴られた子供が、おれを殴り返してきた。小さなガキが、手を高く伸ばして、獣のような目をして……こいつは逸材だと思った。単に戦力になるってだけじゃなく、おれの退屈を終わらせてくれる予感がした。おれたちに変化を与えてくれる異物な気がした」

 もっともらしいことを宣っているが、結局この男がやったことといえば十二歳の少女を欲望のままにレイプするという下劣な行為だ。ただの変態野郎のくせに自己陶酔に浸りやがって。

「本当に、おまえを手元に置くと決めたのは正解だった。おまえがいなきゃ今の〈徴税人〉も、今のおれもいない」

 自嘲するように苦笑いしながら、真っすぐに私を見つめてくる。

「気付いちまったよ。おまえを愛してる。〈徴税人〉よりも、おれの命よりも、今はおまえが大事だ。おまえが前線に飛び出していくとたまらない気持ちになる。戦場を駆け抜けるおまえの姿があんなに好きだったのにな。今はおまえが死ぬのが怖い」

 全身を駆け巡る怖気が表情に出なかったか、このときばかりは自信がなかった。私は全神経を集中して微笑むと、ボスの背中に手を回して抱擁した。

 そして徐々に力を込めていく。異変を察し、もがいて逃れようとするがもう遅い。マイトで強化した筋力で、巨体の肉が潰れ、骨が砕けるまで強く抱きしめる。肺の空気が押し出され、呻き声が途切れるまで――

 それを想像の中だけに留めて殺意を抑えるのは、私をもってしても簡単ではなかった。だが今はまずい。レッド隊を除いて二百三十人の〈徴税人〉全員を、慣れない町中を舞台に敵に回すのは分が悪すぎる。

 それでも怒りで全身が震え出すのだけは止められなかった。その震えを受けて、何を勘違いしたのかボスも私の背中に手を回し、そっと抱きしめてきた。

「大丈夫。私は死なないよ。私がどれだけ強くなったか知ってるでしょ?」

 そう、私は決して死なない。死ぬのは奴らだ。私は生き残り、奴らは皆殺しだ。

 感謝の念さえ湧き上がる。私の中で燃え盛る炎がほんの少し弱くなりそうだった今、こうしてまた憎しみの燃料を与えてくれたことに。おかげで決意を新たにこの男を殺せる。途方もなく残酷に。気が済むまで苦痛を与えながら。

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