Interlude ~アンチェイン~

   Interlude ~アンチェイン~


 押し込められた車のトランクの中、カーマインはつらつらと物思いにふけっていた。退屈しのぎでもあったし、必要だからでもある。テーマは「拘束と自害について」。

 軍人なら敵軍やテロリスト、逆にテロリストなら軍や捜査機関に捕らえられたときのことは当然想定しておかなければならない。

 現実には露悪的なフィクション作品のような苛烈極まる拷問を受けることは稀だ。特に現代では警察や軍でそういうことがまかり通る国は少ない。ただテロリストや犯罪組織に関しては、そういう残虐行為を行う可能性は高くなる。

 それでも、ルールに縛られない無法者なら想像を絶する残酷な拷問を平気で行えるかと問えば、案外そうでもない。よほどの怨恨がない限り、いやあったとしても、まともな人間は生きた人間の肉体を破壊することに大きなストレスを感じる。反社会的な集団に属する者であっても、この基準では多くの者が「まともな人間」の側に属する。

 だからというわけではないが、敵に捕まる想定はしていても、執拗な拷問を受ける前に死ぬ方法を準備している軍人などまずいない。特殊部隊の隊員であってもそうだし、諜報員であっても自害用の毒薬など持ち歩く者はそういない。

 特殊空挺部隊SASの選抜試験を思い出す。捕虜として捕えられることを想定した訓練もあったが、実際にはより過酷な責め苦を味わうこともあるはずだ。だが死んで楽になろうなどという選択肢は彼らにはない。共に訓練を潜り抜けたSASの連中は抜きん出てタフな者が集まった、真の男たちだった。彼らには隙を見て脱出・反撃するか、それが無理でも忍耐強く救助を待てる精神力が備わっていた。

 カーマインの場合は事情が異なる。雌伏して好機を待つ精神力は十二分に持ち合わせている。だがそもそもカーマインには、。自分が繋がれざるアンチェイン存在だとわかっているからだ。

 この手錠からも車のトランクからも、脱出しようと思えばいつでも自由になれる。救出対象の監禁場所まで案内してもらっているだけのことだ。

 だからカーマインが考えていたのは、自分の拘束と自決についてではない。黒曜連合の誘拐犯の男たちが、拘束されたとき即座に自決できる用意をしているかどうかだった。

 奥歯に毒薬を仕込む、というこちらも昔のフィクションでよく見られたらしい方法は、むしろ近年になってから現実で使われるようになった。といっても銀歯に隠した毒薬を取り出して飲むというような前時代的な方法ではない。奥歯に仕込んだ圧力センサーやマイクに、強い圧力を加えたり一定の符丁を聞かせたりして、体内のマイクロマシンを作動させ毒を放出させる。これが二十一世紀型服毒自決だ。

 この機構の優れたところは、言うまでもなく身体を拘束されて手足が動かせない場合、或いは手足が動かせないほど肉体を破壊された状態でも自殺ができるという点だ。

 今車に乗っている四人以外に何人誘拐犯がいるかは知れないが、その中にこの金がかかる自決システムを身体に組み込んでいる者はいるだろうか。黒曜連合の末端にはただのごろつきもいるが、そんな連中がこの誘拐に関わるはずはない。全員が秘密保持のための手術を受ける地位のある構成員だという、最悪のケースも想定するべきだろう。

 いざ戦闘になってからどれだけ猶予があるだろう。連中はと気付いたら、戦闘不能にされる前に自決する――その前に意識を断ち切るか、自決システムを作動できないようにしなければならない。スイッチは奥歯に仕込んでいるとは限らない。掌に仕込んで拳を強く握り続けることで発動させるケースもある。あらゆる可能性を想定して対処するのは無理だ。情報を得るため全員を生け捕りにするのは難しいだろう。何より最優先すべきは人質の安全なのだから。

 しばらくすると車が完全に停止し、トランクが開けられた。乱暴に引きずり出されたカーマインの目に映ったのは、人が住んでいるようには見えない廃屋だった。――全く、こういう建物を放置するから犯罪者に利用されるというのに。行政が対処しないからだ。そんな場違いなことを呑気に考えながら、後ろから押されるようにして足を踏み入れる。

 リビングに所狭しとたむろしているのは八人だった。三十歳以下の黒人男性という以外に取り立てて共通点はない。二階にもう三人いるようだが、そのうちの一人が人質のはずだ。

 妨害電波を出している装置がどこかにあるはずだが、目につく場所にはなかった。

「人質と会わせてくれ。彼女を無傷で返してくれれば金は送る」

「その階段を上がれ」

 二階に上がってすぐの、寝室らしき部屋に促された。両手を縛られたカーマインの代わりに男がドアを開ける。

「だがもう無傷じゃ返せないな」

 カーマインの目に飛び込んできたのは、最悪の予想が当たっていたことを示す光景だった。

 全裸でベッドにうつ伏せに寝かされ、か細く呼吸しているのは、人質の変わり果てた姿だった。

「……この中でリーダーはお前だよな」

 カーマインは背後の男に言った。先程からの振る舞いで、誘拐犯十四人のまとめ役はこの男だと察しがついていた。

「あ? まあそうなるかな」

「なら生け捕りはお前だけで十分だな」

 カーマインは振り向き様に、たった今自由にした右手を裏拳で男の顎に叩き込んだ。食らった男も、それぞれベッドの端と椅子に腰かけていた二人の男も、全く反応できない速度だった。

 折れた歯が吹き飛び、壁に突き刺さる途中に男の一人の眉尻辺りをかすめてかすり傷を作ったが、男がその痛みを感じる暇はなかった。リーダーが攻撃されたことを認識する以前に、カーマインの爪先がその男の顎先を跳ね上げていた。衝撃で浮き上がった男の身体が椅子ごと倒れ込む前に、カーマインはもう一人に肉薄する。男には悲鳴とも言えない音を口から漏らす時間しかなかった。銃に手をかけることもできないまま、リーダーと同じように下顎骨と何本かの歯を一撃で粉砕された男は、吹っ飛んで壁に叩きつけられた。

 瞬時に三人を脳震盪で失神させたカーマインが視線を感じて振り向くと、身を起こした人質が驚愕に目を見開いていた。

「やあ、助けに来たよ、お嬢さん」

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