11 蠅の王

   11 蠅の王


 飽きるほど殺人と死体を見てきた結果、いくらルミナスで力を強化できても、殴ったり蹴ったりしてボスを殺すのは難しいように思えた。

 屈強な男が銃床で殴りつけても、当たりどころが悪くなければ人は即死しない。だが非力な少女兵がナイフを突き立てたり太い血管を切断したりすれば簡単に人は死ぬ。

 殴るより、叩くより、貫き、切り裂くことで人は殺せる。だが素手では人体を貫くことも切ることもできない。

 なら首を締めて息の根を止めるか、或いは首の骨を折るか。だがそんな苦痛のない死を与えて気が晴れるのか? 奴の全身を傷つけ、痛めつけてから殺したいとは思わないのか?

 そのことについて考えていた頃、私の記憶から浮かび上がってきたのは、何かのドキュメンタリーで見た日本の文化の特集番組だった。料理や衣服と比べて当時の私の興味を引かなかったのが、武術マーシャル・アーツという伝統だった。

 オリンピックで見られる空手とは違う、古くから続く形をそのまま残した空手の達人たちは、素手でコンクリートブロックを破壊できるという話だった。何度も思い出したのはその後の映像だ。伸ばした指先で木の板を突き、見事に割っていた老人がいた。ヌキテ、と呼ぶのだそうだ。

 あれで人間の身体を貫くことは可能だろうか? 素手で人体に穴を穿つことができれば、相手を無力化してからたっぷり苦しめて殺すことができる。

 空手の達人は長く厳しい訓練の末、手足を凶器と化すという。ならば私もこの手をナイフにするために鍛えなければならない。

 だがどうすれば指先を鍛えられるのか、皆目見当がつかなかった。空手家の映像では、木に縄か何かを結んだような物体を殴って拳を鍛えていたような記憶があったが、ヌキテの鍛え方はわからなかった。

 何かを指先で突くことで鍛えられるだろうか? では何を――

 そこで浮かんだ恐ろしい考えを、私は慌てて振り払った。

 しかしその思いつきは次第に心を占め、強迫観念となってそれを実行しない自分を責めた。なぜ忌避感を持つのか。ただの生理的嫌悪感があるだけか。いや、おまえはこの期に及んでまだ、神に背く行為を、人の道を外れることを恐れているのではないか?

 そう、神に背を向ける程度では私の目的は達成できない。神を殺すくらいの意気でなければ。私はおぞましい所行を実行する覚悟を決めた。



 しばらくして政府軍と交戦する機会があった。相手は少人数で、終始こちらが優勢に戦いを進めた。

「援護射撃止めろ! 私が生け捕りにする」

 レッド隊も数人の敵兵を仕留め、残るは一人だけという状況だった。もはや相手は反撃もままならず遮蔽物の車の陰で震えるだけだったが、私はこの男を射殺したくなかった。

 素早く車に近づき、息を潜めていた相手と相対する。まさか銃も構えず堂々と顔を出すと思わなかったであろう相手は慌てて銃をこちらに向けたが、私にとっては遅すぎる。銃を掴んで銃口を逸らすと、喉をヌキテで突く。

 相手は悶絶して身体を折ったが、多少出血しただけで喉が潰れたりはしていない。銃を奪い取り、今度は左手で腹部を突いてみる。軍服越しに相手の筋肉に指先がめりこむ感触はあるが、当然貫通することはない。

 たまらずその場に崩れ落ちた男の首を抱え、一息に骨を折って絶命させる。

 これで傷のない、きれいな死体が手に入った。

「何か情報を聞き出せないかと思ったけど、暴れるからつい絞め殺しちゃったよ」

 そう説明して、車の荷台に死体を載せた。どうするつもりかと訊かれたので、「この死体を使って試したいことがある」とだけ答えた。

 拠点に戻ると、死体の頭に麻袋を被せ、胴体にロープを巻き付けた。

「〈荒縄〉、あっちに行ってろ」

 作業の間じっと観察してきたのは、私が誘拐された日に三つ編みを編んでくれた少女――レッド隊最年少の〈荒縄〉だった。小さい身体で厳しい訓練に耐える逞しさからそう呼ばれるようになった彼女は、レッド隊が出来る前から私によく懐いていた。

「えー、何してるのか気になるじゃない。教えてよ」

「おぞましいことだよ。子供に見せるもんじゃない」

「あたしと二歳しか違わないじゃない」

 もう散々残酷なものを見てきたし、今更どんな酸鼻な光景も隠すに値しないのは確かだったが、それでも私はその行為をレッド隊の誰にも間近で見せたくなかった。これ以上彼女たちを恐れさせても一緒に戦いづらくなるだけだ。

 テントと小屋の群れからある程度離れた場所まで死体を運び、木の枝から吊るした。

 私は死体をサンドバッグ代わりに、ヌキテを鍛え始めた。

 最初は軽く、徐々に力をこめて、死体を指先で突く。何度も何度も。死体がまとった衣服越しに、腹部の、胸部の、大腿部の、上腕と前腕の肉の気味悪い感触が伝わる。これを突き破れるように、速く、ひたすら速さを追い求めて、腕を動かす。全身のルミナスをそのために使うよう意識して。揺れる死体に合わせて、こちらも小刻みに足を動かし様々な角度から突く。

 生命を蹂躙し、死者を冒涜する行為。――私は私の中の神を、徹底的に殺さなければならない。

「頭がおかしくなったのか? 死体の周りを跳ね回って、つついて……まるで蝿だ」

 枝を軋ませながら揺れる死体を相手に何かを始めた私を、〈断頭〉隊の全員が気味悪がった。中にはレッドの気が触れたから少女たちを指揮させるのをやめるようにと、ボスに進言した奴もいた。

「好きにさせておけ。あいつは意味のないことはしない。何を試してるにせよ、あいつが強くなれば女たちが生き残る確率も上がる」

 ボスは私の奇行を笑って眺めながら、部下たちに放置するよう言った。だがレッド隊の面々は当然困惑した。私は一応、弾切れに備えて素手での新しい戦い方を模索している最中だと説明したが、納得しているようには見えなかった。

 実際模索中というのは偽りないところだった。やはり何度全力で突いても、ぶら下がった死体の腹を貫くことさえできなかった。二日後には腐敗してきた死体をガソリンをかけて焼いて、代わりに乾いた丸太をぶら下げて鍛錬を続けたが、結果は同じだった。その丸太は大した大きさではなかったから死体より軽く、突くたびに大きく揺れたが、へこみや亀裂が出来るくらいで、キツツキが開ける程度の穴すら開く気配はなかった。数週間で感じられたのは、指の痛みと、ヌキテを武器にすることの効率の悪さだけだった。

 指をどれほど鍛え、目にも止まらない速さで突いたとしても、人体を貫ける気がしなかった。

 映像では板を割っていたが、もしかしたらヌキテというのは、人体の限られた部位専用に使う技なのではないか。例えば指で目を突けば、眼球を潰せなくても一時的に相手は目を開けられなくなる。だが狙いが外れれば突き指することもあるだろう。そんなときも指を鍛えていれば問題ない。ヌキテというのはその程度のものなのかもしれない。

 よく考えてみれば、尖っているわけでもない指先で肉を貫くなんて無理に決まっている。爪が鉄のように硬ければ刺さるだろうが、それでも指までめり込みはしないだろう。

 だがそうなると、銃弾はなぜ肉を穿ち、骨を砕いて人体を貫けるのか? 私たちがよく使うライフル弾の先端は鋭いが、拳銃の弾は先が丸まっている。それでも頭を撃てば硬い頭蓋骨を貫通する。この差は何だろう? 金属で出来た弾頭の硬さ? 肉体を鍛えてもルミナスを使っても、指先は金属のようにはならない? それに銃弾の速度はどうだろう? どれだけ速く動けるようになっても、弾丸に比べればずっと遅い。いくら鍛錬しても手先をあんな速度で動かすのは不可能だろう。

 死体を枝から下ろしたときの感触を思い出す。腐敗が進んで更に柔らかくなれば、指先で貫くことも不可能とは限らないか?

 両親が並んでキッチンに立っていた光景を思い出した。ステーキ肉を柔らかくするために、焼く前に叩いていたのを一度見た記憶がある。

 もっと柔らかくできれば、脆弱なものになれば指先で貫くことも可能だろうか?

 何かを掴めそうな感覚があった。これを続けることで、自分の身体の、そしてルミナスの新しい使い方が見えてきそうな、不思議な予感があった。

 私はその直感に従うことにした。相変わらずここではやるべきことが多い。部下たちを通常の訓練で鍛えるときは、常に自分が先頭で見本を見せなければいけないし、炊事や洗濯を全て部下に任せたりしたら信頼関係に関わる。非効率的な鍛錬をいつまでも続けては体力に余裕がなくなる。それでも私はそれを続けた。

 毎日キツツキのように丸太をひたすら突く。戦闘でちょうどいい死体が手に入ったときは、蝿のように死肉をつつく。

 アフリカに生息していないキツツキという鳥を誰も知らなかったし、それを指す言葉もなかった。そのせいもあって、私のそれはいつの間にか〈蝿の舞〉と呼ばれるようになっていた。

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