蝕美

龍田乃々介

第1話 相貌失認

三千世界の遍く光を束ねて重ねて人に向けたら、塵も残らず消えゆく前に、人はどのように鳴くであろうか。

「あぁ………………」

それはきっと、このように。

「―――――よかった」



「あの、大丈夫ですか?」

その美少女は神々しさをも感じ得る鈴のような声でしゃらりと心地良い音を奏でた。

その音が言葉であり、そこには意味があって、それは意思疎通を目的としたものであると理解するのに私は永遠のような数十秒を要した。

「え?」

「もしかして、頭を打ちましたか?ごめんなさい、わたしが急いでいたばかりに強くぶつかってしまって……」

そう言って彼女は白磁のように滑らかで美しい小さな手を私に差し伸べる。この手を取ればそのまま天の国へ連れていかれてしまいそうな畏れを感じて、私は自ら体を起こした。

「だ、大丈夫大丈夫!私昔から頑丈で風邪とか数年に一度しか罹らないくらいで、ちょっと転んだくらいむしろいい運動になったというか」

服に付いた土汚れをぽんぽんと払い落としてから、視線をその子へ戻す。

「ほんと……無傷……」

そこには絶世の美少女がいた。

腰の辺りまで伸ばした艶やかな美しい黒髪。大きく見開かれたくりっとして愛らしい漆黒の瞳。完璧な造形でありながら主張の小さいかわいらしい鼻。澄み渡って綺麗な声を紡ぎ出す小さな口。それらを究極の黄金比で配した美しい小顔。大きすぎず小さすぎず美しさの粋を現したなだらかな胸。完成された造形美を体現するしなやかなラインの体。すらりと伸びてたおやかな仕草を優美に魅せる手足。

それはまごうこと無き美少女であった。

「あ、ああ……」

あれ、どうしよう。

胸がばくばくと音を立てて早鐘を打つ。

熱く高鳴る血潮がぐるぐるとすごい速度で体中を駆け巡って、勢い余って脳を焼く。

「え、ちょっと、あなたっ!」

後光の眩しさに当てられた私はついに目を剥いて後ろに倒れる。

闇が意識を刈り取るまでの短い間にも、私を心配してくれるあの美少女のかわいくも美しい声が聴覚から優しい快楽を流し込んできたので、私は安心しながらの気絶という奇妙な体験をすることになった。

私立門土学園での高校生活一日目のことだ。



20XX年、日本。私立門土かどつち学園に世界最高の美少女が降臨した。彼女の名前は花山院真姫かざんいんまき。15歳。女性。身長158.7cm。体重44kg。A型。

腰まである長いストレートの黒髪と、その麗しくもかわいらしい外見に反した人懐っこく気さくな雰囲気が特徴の、1年B組不動の偶像アイドル。彼女こそが、クラスでぶっちぎり一番の超絶最高頂点美少女だ。

「そう思ってるの多分早乙女だけだよー」

「は???」

昼休み。向かいの机でサンドイッチをかじりながら友人の野々道ののみちが言う。

「確かにマキちゃんかわいいし長い髪とかすごいけど、この学校顔面偏差値高い人だらけじゃん。面接試験でふるってんのかってレベルで」

「え?……ええ?そんなことないよ。花山院さんが一番綺麗だよ」

「断言かい。じゃああれは?」

イチゴ牛乳のパックに刺さったストローから唇を離して、ストローの先を一人の生徒へ向ける。

教室の後ろの方に机を寄せて座っている四人組の姦しい女子。その一人、クラスの中心的人物の原田さんだ。

「あの子、現役のモデル」

「へえ。確かにそういう顔だね」

「…………」

野々道がじとりとした目で私を見る。

じゃああの子は?とまた別の生徒をストローで差す。

黒板に何やらラクガキをして友達とはしゃいでいる女子二人の、金髪を緩くカールさせている方だ。

「ドイツと日本のハーフ。帰国子女。背高いおっぱい大きい英語ドイツ語日本語のトリリンガルで話も面白い」

「そうなんだ。すごいね」

「………………はぁー」

野々道は呆れたように溜息をつく。

そしてストローを彼女自身に向けた。

「……アタシ」

「……野々道莉理ののみちりり

「春季門土かどつちミスコン1年の部3位!」

「花山院さん出てなかったじゃん」

かぁーーーーっ!と野々道はなにやら怒って、ストローに噛みつきイチゴ牛乳をぎゅるぎゅると吸い出した。

野々道は最初のランダム席替えで偶然横になりなんとなく仲良くなった子だが、癇癪持ちなのだろうか、なぜか突然怒り出すことがある。

あまり友人にいてほしくない特性ではあるが、元来私は人とあまり話さない質で、こうして大した労もなく手に入れた友人というのは実に貴重だ。というか他に私が気軽に話をできる友人はいない。

そのためこうして昼食を共にしたりして、なんとか関係を維持しているのだ。

ズズズズズと甘かろうイチゴ牛乳を飲み干して、ちゅっと口を離した野々道が真剣な眼差しで言う。

「早乙女。美人ってのはね、所詮整ってるだけの顔なんだよ。正解のパーツを正解の場所に偶然かお金か遺伝子の力で配置できたというだけの顔なの。つまり美人はどいつもこいつも似たり寄ったり。遠目で見れば大体同じ近くで見ても間違い探し。だからぶっちぎりの一位とか最高の美少女とか無い。四捨五入すれば美少女は全員一位。はいおわかり?」

がさつに見えて成績も良い野々道の諭すような口調だった。

しかし、それなら私の意見はやはり変わらない。

「うん。花山院さんが一番綺麗だよ」

「botかよお前はーッ!いやまだAIチャットボットの方が聞き分けいいよもう!」

別に彼女の話が理解できなかったわけではない。

実際、「沢山の女性の顔写真を用意して、パーツを足し合わせて平均的な位置を決めてそこに部位を置くと美人の顔ができあがった」というような実験の話を聞いたことがある。つまるところ美人の顔とは、“正解”に近い顔立ちのことだ。仮にその近さが95%以上の者を美人と呼ぶとすれば、たかだか5%の範囲の違いなど誤差にすぎない……という意見を、彼女は訴えているのだろう。

だが、私の主張はこれと矛盾していない。

だから私は改めて私の意見を述べたのだが……、言葉が足りなかったようだ。

「私にとってその“正解の美人の顔”に100%完璧に一致しているのが花山院さんなんだと思う。世の中の物事で100%絶対確実って言えることってきっと無いけれど、私にはあの人の容姿だけは例外で、間違いなく完全って思えるの。で……、そんな唯一絶対完全確実の100%が存在しちゃったら、他の1~99.9%なんて結局誤差だと思わない?」

「……………………あっそう」

言った野々道は目を見開いて私を凝視しながら、ストローに噛みついて飲み干したはずのイチゴ牛乳を空のパックから吸っている。

「うん……」

……伝わった、だろうか。

友達のいない高校生活とは寂しいだけでは済まないということは、世に溢れる種々の学園を舞台とした作品群が証明している。このクラスで今のところまともに会話を続けられる友人は野々道一人だけだから、私としては彼女に不快な思いをさせて絶交されてしまうということだけは避けたいのだが……。

「アタシは?」

「え……?」

サンドイッチの最後のひと欠片を口に放り込んで、彼女が聞く。

「顔の美人度。何%?」

「えっ……。えー…………」

考えた事も無かった。

野々道の顔……は、確かに整っていて美人だ。かわいい系の。

あれ、いや、かっこいい系じゃなかったか?

いや、キレイ系なのに性格の粗暴さがギャップで人気とかミスコンの頃に言われてたような……。ちょっと待てよ。記憶に頼らなくても、今目の前にあるんだから冷静によく見つめればいいだけじゃないか。目の形、鼻の高さ、口の大小に顎のラインと各々の配置は……。

「きゅうじゅう…………に、%くらい?」

「ふーーーーーーん……。92パーか」

もう適当に答えてしまった。

ど、どうだ……?

「ふっ。ミスコン3位のアタシに忖度もなく……。おもしれー女」

野々道は目を細めてにんまりと笑った。

どうやら彼女の機嫌を損ねずに済んだみたいだ。


――しかし、この時私はあることに気が付いてしまった。

野々道の顔を採点しようと、詳しく彼女の顔立ちを認識しようとして、初めて気づいた。


……わからない。


私は、彼女の顔を

私はいつの間にか、花山院真姫以外の人間がどんな顔をしているのか、判別することができなくなってしまっていたのだ。

ちょうどさっきの例えのように。

絶対的な1を認識してしまったために、0~0.999を切り捨ててしまって、判じることができなくなっていた。

がたりと椅子を引いて、目の前の女生徒が立ち上がる。

女生徒は黒板の脇にあるゴミ箱へ少し歩み寄って、わずかに離れたところで横着して、サンドイッチの包装紙とベコベコになったイチゴ牛乳のパックを投げ入れた。

「野々道?」

「ん?」

野々道の名を呼ぶと、その女生徒が振り返る。

私はそれが、本当に野々道なのか……もう、わからない。

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蝕美 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta

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