第18話

「――俺からの話は終わり。そっちの進捗は? 調査院を調べてたんだろ?」

「調査院もナイト家ももぬけの殻だったが、〈クレーエ〉の拠点の一つの地下に隠れてるのを見つけた。それが昨日の話だ」

 その日の午後、家の一階には見慣れない大男がいた。〈鹿ヒルシェ〉の団長シャムだと彼は名乗った。今朝早く、アルベールに話があると呼び出され、二日間はかかるはずの距離をたった半日でやってきたのだ。どういう手段を使ったのかと聞くと、「風に乗って空を飛んできたんだ」と真っ白な歯を見せて笑った。

 シャムは大きな手の中で橙色のカモミールのバッジを弄び、腰かけているサシャとアルベールを見下ろしながら話を続けている。

「魔獣生成と人体実験のことについて問い詰めたが、陰気くせえ当主は『何も知らない』の一点張りだ。とりあえず隠れてたナイト家の奴らと、〈烏〉の団員も何人か牢屋にぶち込んだ」

「行方不明になっていた人たちはどうしたの?」

「何人かは調査院の外に放り出されてた。ほとんど骨と皮だけの状態でな。体力も霊力も底をつきてたし、しばらくは何も喋れねえだろ」

「うう……ぐす、ぐすん」

「殺しはしなかったのか、ナイト家の奴ら」

「処分が面倒くさかったのか、それをする暇すら無かったのか……後者かな?」

「せ、せっかく、昇格のバッジが……ううう」

「隠れるのに必死だったんだろ。見つけたけど。明日からは楽しい楽しい尋問の時間が待ってる」

「何となく、アレクサンダーに全部の罪を被せそうな気がするけどな。死人に口なしってやつだ――つーか、マリー」

 サシャに襟首をつかんで無理やり立ち上がらされ、部屋の隅でひたすら涙を拭っていたマリーは抱いていた物を取り落し、慌てて手で顔を覆った。「お前はいつまで泣いてんだ」

「だっ、だってー!」

 話は数十分前にさかのぼる。

 事の顛末を説明するから、というシャムから全ての話を聞き終わった頃、彼はサシャの後ろに立っていたマリーに近づいてきた。

「マリオネット嬢ちゃん、戦闘の許可は下りてたか?」

「マリーです! ――え? いえ」

「そうか。残念だ」

 眉を下げて首を振り、シャムはマリーの胸元に輝いていた下級精霊士の証であるカモミールのバッジを指差した。

「普通なら団全体の連帯責任で三ヶ月間の精霊士活動停止なんだが、状況が状況だったみてえだからな。嬢ちゃんの下級精霊士資格を剥奪するので大目に見てやろう」

「……えっ、ええぇ?」

「元々特例でぶん取った昇格だ。安心しな、精霊士資格の永久停止ってわけじゃねえ。見習い精霊士に逆戻りするだけだ」

「えええええっ!」

「『憤怒の狼』を従える事については精霊士の規則に一文字も書いてねえから、追及はしねえさ。だが、許可のない戦闘行為については別だ。嬢ちゃんは立場上そうせざるを得なかったって分かっちゃいるけどな。だから、資格の剥奪」

「いや、意味が分からないんですけどっ!」

「悪いな。規則は規則だ」

 しばらく「ちょっと待ってください、あんまりです」と訴えたし、途中でアルベールからも口添えはあった。しかしシャムは案外頑固、というか頭の固い男らしく、最後まで「規則だから」を貫いた。

 結果的にマリーは見習い精霊士に逆戻りとなり、部屋の隅でいじけていたわけだ。ツォルンが入ったぬいぐるみで涙を拭いながら。

 シャムは出されていた茶や菓子を残らず胃に収めた後、アルベールの夕食の誘いを断って悠々と帰っていった。事後処理がまだまだ残っているのだという。またな、と遠ざかっていく背中の鹿の模様に向けて「人でなし!」と叫びそうだったが、寸前で堪えた。

「ああ、私の毛並みに鼻水と涙が……」

 ツォルンは不愉快そうに何度も体を振る。ぴぴ、と床に涙の雫が散った。マリーが抱きついている間、何度も顔を蹴ってきたことは一生忘れない。

「……なんか、マリーの悲鳴みたいな声が聞こえたような気が」

 シャムを見送ったのだろう、フランが一階に現れる。彼はすぐに胸元にバッジが無いことに気付き、眉間に皺を寄せていた。アルベールに事情を説明されると、皺がさらに深くなる。

 とりあえず部屋で休んでおいで、との言葉に甘えて、マリーはフランとツォルンと共に自室に引っ込んだ。ベッドに腰を下ろすや否や、マリーはフランに抱き付いて叫んだ。ツォルンがうるさそうに耳を伏せるのが見えたが、気にしない。

「バッジ剥奪って! 戦闘許可なんて、あんなことになるなんて想像してなかったし、取ってるわけないし!」

 しかも、よりによって両親が帰ったあとに。

 後日「見習い精霊士に逆戻りしました」と手紙を出したら、もしかしたらマリー以上に驚いて倒れてしまうかも知れない。そんな馬鹿な、と乗り込んでもきそうだ。

「あんまりよ! 大目に見てくれたっていいじゃない!」

「まあ……他の精霊士からの不服を抑えるためだろうな」マリーの背中をさすりつつ、フランは苦笑しながら続けた。「『特例で昇格なんて!』って声を、『無許可の戦闘行為が認められたので剥奪しました』って理由で、ひとまず抑えることは出来るだろうし」

「なんとなく分かるけど、だとしてもー!」

 ひとしきり叫んで落ち着いた後、マリーは最後に一度だけ鼻をすすって、すっきりとした顔を上げた。涙の跡をフランが指で伝う。

「いいじゃないか。昇格だって言われた時、初めは固辞したんだし」

「そうね。それに精霊士としての資格がなくなったわけじゃないし、また来年、昇格試験に挑戦する。それで今度こそ、正規の手段で昇格する」

「立ち直りが早くて結構」

 フランに頭を撫でられ、マリーは緩みきった笑みを口元に浮かべた。

 やり直せるのだと考え直したら、いくらか気分が落ち着いた。精霊士資格そのものが剥奪されていたら、そうはいかないのだから。多少の腹立たしさは残るが、それをぶつけるべき相手はもうこの世にいない。

 試験は一年に一度しか行われない。次の機会は来年だ。

 次こそはナイト家による介入のない、真っ当な試験を受けられるに違いない。必ず再び下位に昇格しようと決めた。

 マリーはツォルンを抱き寄せ、フランの手に自分のそれを添えた。

「これからも、私、頑張るから。次こそ絶対に昇格する」

「ああ。俺もお前を支える」

「それで、私が上位精霊士になったら、なんだけど。私と――」

 言いだそうとして、どうしても口に出せなくて顔を伏せる。フランは首を傾げて顔を覗き込んでくるし、ツォルンも腕の中から不思議そうな眼差しで見上げてきた。

 何度も言葉にしようと挑戦して、「あー」だとか「うぇー」だとか、意味のない言葉だけしか出てこない。

 ――ああ、もう!

 マリーはフランの襟を引っ掴んだ。そのまま勢いよく引き寄せ、いつかの夜と同じように、彼の唇に口づけた。

「私が上位精霊士になったら、結婚してほしい!」

「「……は?」」

 疑問が二ヵ所から返ってきた。フランと、ツォルンだ。

「俺と、結婚」

「そう。嫌なの?」

「嫌なわけがあるか!」

 叫ぶように言ったと思ったら、口元をぱっと手で押さえる。自分が叫んだ一言が急に恥ずかしくなってきたようだ。生身の人間だったら顔が真っ赤になっているのではないかと思う。ツォルンは恐らく渋い表情を浮かべながら苦言を呈してくる。

「しかし人間と精霊だぞ。言ってみれば種族が違う。私が生み出された時代にも、人間と精霊が結婚した話など聞いたことがない」

「前例がないなら、私たちが前例になってしまえばいいだけじゃない」

「……潔さというか、単純な馬鹿さもアルデラミン譲りだったか……!」

 ええい放せ、とツォルンが身をよじってマリーの腕から抜け出そうとする。だがマリーは行かせまいと尻尾を力強く掴んで引き留めた。

「逃げないでよ。証人になってもらわないと困るんだから」

「なんのだ!」

「私とフランが将来を誓い合ったっていう証人」

 マリーとフランが攻防を繰り広げていると、不意に羽毛が触れるような手つきで、優しい指が頬を撫でた。

「上位精霊士になるのも、結婚も、楽な道じゃないぞ」

「分かってる」マリーはフランの指に、自分の指を絡めた。

「反対はされると思うけど――特にお父さまとか――必ず押し切ってみせる。だって『精霊と人間が結婚してはいけない』なんて規則も法律も、ないでしょ?」

 初めは憂いを浮かべていたフランだったが、すぐに緋色の瞳を細めて笑った。

 フランボワーズと同じ色の瞳が、まるで林檎のように耳たぶまで赤らめたマリーを映し出している。

 繋がり合った手を引き寄せられ、耳から頬、首筋の順に掠めるような口づけが降る。くすぐったくて、それでもどこか心地いい。フランはマリーの左手を取り、薬指に唇を落とした。

「俺からも言わせてくれ」熱っぽい眼差しが、マリーを捉えて放さない。「結婚してほしい」

「……喜んで」

 太陽が山に落ちようとしている。イチゴに似た色合いの光がペルレと〈獅子〉を染めていき、マリーの部屋にも入り込んできた。

 壁に映った二つの影が、ゆっくりと重なり合っていく。触れては放れ、また近づいていて。二つの間から、ぽん、と小さな影が逃げるように飛び出して、笑うように肩が揺れた後、また一つになった影は次第に夜の闇に溶け、消えていった。

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英雄の花 小野寺かける @kake_hika

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