粗忽裏長屋

mimiyaみみや

第1話

「おーい! 八さん! 八さんってェのはこの長屋かい?」

「なんでェおめえ、朝っぱらから。俺ァ今寝てんだから、一昨日出直して来やがれってんだ!」

「やあ、そんな馬鹿言っちゃいけねェ。大変なんだよ、起きてくれィ!」

「おい丸太ん棒、人のことサンザ呼んどいて、名乗りもしねえってなァどういう了見してんだい!」

「こいつァすまねェ、俺ァ向こう町の岡っ引き、権兵衛ってんだが……」

「なに! 岡っ引きだと? てめェ何しにきやがった! 俺ァ昔っからお天道様に背ェ向けるような悪いことァしたことねェんだ! だから見てみろィ、顔の前っ側だけ真っ黒。人呼んで、面黒の八たァ俺のことよ。岡っ引きなんぞの世話になる覚えはねェ! 馬鹿言ってェと、俺のこの黒い顔が、返り血で赤く染まるぜィ」



 大工としては名高いが、粗忽者、今風に言うと、そそっかしくってドジっ子なのがたまに傷の八五郎の元にやってきたのは、岡っ引きなんかじゃあござんせん。何を隠そう、この権兵衛と名乗る男、今でいう詐欺師。

(こいつァ噂通りの馬鹿だぜ。 こりゃあ楽な騙りだ)

 などと思いながら、八五郎の部屋にズカズカ上がり込んできた。



「なァ、八さん。驚いちゃあいけねェよ。あんた、熊五郎ってのと親友なんだってなァ?」

「確かに俺たち、八五郎と熊五郎って言やァ、兄弟の杯を交わした仲だって、ここらじゃちったァ知られているな。俺たちゃよく言ったもんよ。生まれた時は別々でも、死ぬ時は一生の終わりだって」

「そりゃあ、あんた、当たり前だよ。面白いこと言うねェ」

「誰の面が白いってェ? 俺は人呼んで面黒の八。馬鹿言ってェと、俺のこの黒い顔が、返り血でェ〜……」

「いえね、その熊さんに聞いたんだがね……」

「あ! おめえまさか、熊の野郎がまたなんかしやがって、それで身請けを頼みに俺んとこに来たってんだな?」

「ナンと言いますか、カンと言いますか……」

「さては、酒でも飲んで喧嘩しやがったな! それで岡っ引きなんかの世話になりやがって! ええい、俺が説教しに行ってやらァ。で、熊は今どこだい?」

「いえ、いえ。八さん、まずは聞いて下さいな。熊さんねェ、京に観光に行く途中だったらしいんだがね。そう、昨夜のことさね。向こう町で酒を飲んで酔っ払って、女にぶつかった。なァ、八さん、驚いちゃあいけねェよ」

「なんでェ、勿体つけずに早く言いねェ!」

「その女がただの女じゃねェ」

「タダじゃなけりゃあ、その奴さんいくらだい? 裏の酒屋で冷奴は五文だが、それより高いか安いかどっちだい」

「……武士の女だ」

「カツブシつけりゃあ六文だい」

「そうじゃあねぇ、お侍の女だって言ってんだ」

「お侍だって? お侍って言やァ、腹が減っちゃあ爪楊枝をしゃぶってるっていう、あのお侍かい?」

「あ? ああ。そのお侍だ」

「なんで、お侍の女が町中にいるんだィ?」

「そりゃあ、えーっと、お侍にはお侍にしか分からねぇ事情があるさね。それより、驚いちゃいけねェ」

「おめえさっきから聞いてりゃあ、うわ言のように驚いちゃいけねェって言うが、驚くかどうかは聞いてみなくっちゃ分からねェ。聞いた上で驚くかどうかは俺が決めらァ。だからさっさと言いねェ」

「その女な、腹にお子がいたんだ」

「なに? 子持ちか! あの、シシャモやなんかでよくある子持ちだって言うのかい」

「……。どうにも話にくいね。ちっと黙って聞いててくんねェか。あのな、熊にぶつかられて倒れた後、女は医者に運運ばれたが、ついに赤子を流しちまって……。熊さんはその場で御用よ。女の亭主が怒り狂って、熊さんを叩っ切るって息巻いてよ、まあ、切られたっておかしくねェ。相手はお侍だ。ただ、俺としては町での揉め事はごめん被りたい。そこで、金二十両で手打ちにしてもらえねェかって話をして、相手さん、それに承諾しなすった。なあに、所詮は二人扶持の貧乏侍。金を出すと言やァなんとでもなる。おっと、二十両ったって身構えるこたァねェ。乗りかかった船だ。俺が半分の十両は出してやらァ。なあに、気にすんな。十両って言やァ、目ん玉飛び出るくらいの大金だが、親兄弟に借りて回りゃあ払って払えねぇ額じゃねェ。そうだろう? 町人を守るのも岡っ引きの務め、十両は俺が払おう。だからおめえ、親友を助けると思って、残りの十両、出してくれるよな?」

「……。するってェと、あれかい? 熊の野郎、今お侍に捕まってやがんのかい? そういやァ、あいつ、十日ばっかし京見物に行ってくるって昨日は朝から大騒ぎして飛び出して、今日は見てねェ……。そうかい。京へ行く道中で。そうかい。アア、なんてことしやがったんだ。あんなに京を楽しみにしてやがったのに。あいつァ昔っから酒癖が悪くってよォ、俺も口すっぱく気をつけろって言ってたってェのに、なんてこったい」

「ああ。八さん、気持ちは察するが、泣かないでおくれ。気をしっかり持ってくれよ。今よう、お侍と熊さんを連れて来てんだ。哀れな姿を見てやっておくんな。おおい、お侍さん、入って来てくんなせィ!」



 権兵衛がそう長屋の入口に向かって叫ぶと、男が二人入ってきた。一人は腰に、大小二本を刺した侍風の男で、乱暴に紐を引いている。その紐はもう一人の男に繋がっていたが、その男、両手両足を荒縄で縛られ、目まで覆ったほっかむりに猿ぐつわという出で立ちで、誰が誰やらわからない。



 この男達、もちろん権兵衛の仲間。本物の熊五郎が京見物に行くのを知って、熊五郎が留守の間に、親友の八五郎から金を巻き上げようと一計を案じていた。縛られた男は哀っぽく呻いたが、その声は猿ぐつわの内にこもり、八五郎には、本物の熊五郎の声に聞こえた。

「熊ァ! 無事かい? お侍よぉ、おめえ、そんなに縛らなくたって、熊は逃げやしねェよ。畜生、今縄を解いてやるからな!」

八五郎が縛られた男に近づくと、侍風の男が紐を引いて、

「アイヤ待たれィ、縄を解くことは、この何某左衛門が許さんぞ」。

 権兵衛が割って入って、

「八さん、落ち着いて、落ち着いて。いえね、八さんに金を借りるくらいなら自ら死んでやるって啖呵を切るもんだから、そりゃ可哀想だってんで、早まらねェようにこうやって縛ってんだ。ただ、金を払わねェってなると、命の保証はできんがな」。

 しかし八五郎、目の前で縛られた男が気になって、権兵衛の言葉なぞ聞いちゃあいない。

「んーーー、んーーーん」

 縛られた男が呻くのを聞いて、八五郎、いてもたってもいられず、

「熊ァー、助けてやるからなァ!」。

 権兵衛を突き飛ばし、縛られた男のほっかむりを取り去った。


「アッ───」

 権兵衛たちが驚き、よもや計画は失敗に終わったかと思われたが、お立ち会い、お立ち会い。八五郎は根っからの粗忽者。縛られた男を見て、

「熊……」。


(こいつぁ本物の馬鹿だ)

 権兵衛と何某左衛門は、顔を見合わせホッと胸を撫で下ろし、

「この、正真正銘、足の先から頭の先まで、心も体も、生まれて死ぬまで熊五郎を、助けるために十両、十両を出してくれるな?」。

「熊、熊。おめえ、一晩中外で縛られていたんだろう? 夜露を吸って顔が馬みてェに伸びてらァ。髪もこんなに薄くなって……。怖かったんだろう? あんまり身の縮む思いをしたせいで、背っ丈は縮んでらァ。熊、熊よ、醜男に成り下がったなァ」

「んーー、んーーーん」

「おお、そうか、熊。辛かったなァ。でもよぅ、命あっての物種よ。てめェ、えれェことしでかしやがって。なあに、俺とおめえは一心同体。俺が金を払ったって、自分の金だと思ってくれて構わねェさ。なァ、お侍さん、今は手持ちがねェが、明日までに周りから借りてきて、きっちり十両耳揃えて払うから、明日まで待ってもらえねェかい? なあに、俺ァちったァ腕に覚えのある大工、信用だけはあるんだ。きちんと毎日仕事すりゃあ、そうさな……十年。十年もありゃあ十両くらい揃えられる事ァ皆わかって、貸してくれる。なァ、頼むよ」


 八五郎が頭を下げると、何某左衛門は口元を緩めながらも、格式張った口調で、

「うむ、やぶさかではない」。

 権兵衛の顔はパッと明るくなり、

「そうかい、八さん、払ってくれるかい、よかったなァ、熊さん」。

 縛られた男も悲鳴とも嬌声ともつかぬ声で、

「んーー、んーーーん」。

「だからよぉ、その縛ってあるの、解いてやってもらえねェか」

「それはならん! こいつは金を払うまで、連れていく」と何某左衛門。

「明日の暮れ六つ、金を取りに行くから、用意しておけ」



 権兵衛たちが、ひと仕事終えた心持ちで長屋を去ろうとしたその時、一人の男が長屋に入ってまいりました。

「おおーーい、八! 八の野郎!」


 さて、ここで登場したのは、なんと本物の熊五郎。


「八よぉい、帰ってきたぜい。いやァ、京は遠くっていけねェ。行きと帰りの銭考えると、どうしても惜しくなって、結局花街でパァっと遊んで、帰って来ちまった。おお、大勢で出迎えか? ん、なんでェ、そんなお化けでも見たみたいに皆してポカンとこっち見やがって、くすぐったくならァ」


 今度こそ計画は失敗したと権兵衛と何某左衛門は思った。だがお立ち会い、八五郎は泣きながら熊五郎に詰め寄り、

「熊ァ、おめえ、昨日酒に酔って人にぶつかったろう? そんときの女がこのお侍さんの女で、身重で、うわァーん」。

 話を聞いてびっくりした熊五郎。実は、この熊五郎、八五郎に負けず劣らずの粗忽者。

「なんだって? 俺ァ確かに飲むと訳が分からなくなるが……。そうか、花街に行く前に一杯引っ掛けたが、その後誰かにぶつかった気がする。うん、確かにぶつかった。そうか、あのときのそれがおめえさんの女か。そいつァすまねェことをした。詫びても詫びきれねェ。ああ、俺ァなんてことしちまったんだ! なァ、ところで、そっちの縛られている男は、何かしやがったんでィ?」

「馬鹿野郎! その、縛られている男が、熊、おめえだよ」

「エエ? 俺ァこんな不細工だったかなァ」

「んーー、んーーーん」


 八五郎と熊五郎の話をきいて、権兵衛と何某左衛門は、

(妙なことになってきやがった)

(も少し様子をみよう)

 とヒソヒソ話。

 それに気づかず八五郎、

「ああ、兄弟分の俺が言うんだから間違いねェ」。

「それにしたってひでぇ顔じゃあねェかい?」

「んーー、んーーーん」

「馬鹿、俺の言うことが信じられねェってんのかい? おめえは滅多に鏡を見ねぇから自分の顔を忘れんだ。俺の方がおめえの顔をよぉーく知ってらい」

「そりゃあそうだ。それによぉーくみると、ちっと顔が伸びて、目鼻がひしゃげて髪も薄いが、こりゃあ確かに俺だ。驚いた、俺が縛られてやがらィ」

「おめえは昔っから粗忽だったからなァ、自分がお侍に捕まってるのも気付かず、花街に行って、朝まで眠って今帰ってきたんだ」

「なんだって? そういや今朝から身体中が痛いのは、畳に直に寝てたからだと思ったが、まさか一晩中縛られていたとは……」

「でも、大丈夫だ。俺が十両払やァこのお侍も許してくれるって」

「そりゃあいけねェ! いや、そうじゃねェ。俺のためならおめえが銭出してくれるってェのは、よぉーく分かってる。俺だっておめえのためなら何を差し出したって惜しくはねェ。だがよ、人様の子を死なせたとあっちゃあ、俺ァ死んで詫びなくっちゃ気が済まねェ。なァ、八さん、俺を死なせておくれ」

「そうか、そうかい。おめえは昔っから粗忽で、酒癖が悪くて、それでいて義理堅かったなァ。いや、それでこそ熊だ。よく言った! 俺が一思いにバッサリ殺ってやるからな」

「ああ。おめえに殺られるんなら本望だ。頼む」


 権兵衛たちが口を挟む間もなく、八五郎、「ちょいと失礼」と何某左衛門にスルリと近づき、長い物を抜くってェと、一太刀で、縛られた男を背中からバッサリ切って捨てた。


「熊ァ!」


 八五郎は膝から崩れ落ち、死骸にすがって、大声で泣いた。

「八、よく俺を切ってくれた」

 八五郎の背にそっと手を乗せる熊五郎も思わずの涙声。

 ついに二人は死骸を囲んでオイオイ泣き始めた。

「なんだか憑き物が落ちたみてェに体が軽いや」

「馬鹿野郎、呑気なこと言いやがって。アア、俺ァ兄弟分をこの手にかけちまった」

「馬鹿はおめえだ。俺の頼みなんだ。おめえが俺を切らなかったら、俺ァおめえと縁を切るってなもんよ!」

「そうかい。熊。そう言ってくれるかい。おめえはどこまでも良い奴だったよ……。畜生、手厚く葬ってやるからな。おめえ、どこに埋めてほしい?」

「そうさなァ、二人でよく筍を掘った、あの山にでも埋めて貰おうか」

 熊五郎がそう言うと、

「権兵衛さん、お侍さん、ご迷惑お掛けしました」

と、権兵衛と何某左衛門がもの言えぬ間に、二人で死骸を抱え、エッサホイサと駆け出した。



「熊よう、おめえ、太ったろ?」

「馬鹿言え。おめえが頭の方を持ってるからそう感じるんでい。俺ァ足だから軽く感じらい!」

「そりゃあ、おめえは死んだんだから、重さなんて感じねェだろうよ」

「ところでよう、八。さっきから不思議で仕方ねェんだが」

「なんでェ、この後に及んで」

「この、運ばれてるのは確かに俺だが、運んでる俺は、いったい誰なんだい?」

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