左甚五郎の不思議

mimiyaみみや

第1話

§

 大工の家におぎゃあと産まれ、鑿(のみ)をオモチャに甚五郎。すくすく育って齢は十。初めて彫るは誰がため。裏の傘屋の蜜がため。


「なあおみつ、そんなに泣いてどうしたん?」

「あんな、にまめがいなくなってん」

 なるほど老猫にまめの姿、二日前からとんと見ぬ。妹のような蜜のため、鑿を振るって一晩で、木彫りの猫を彫り上げた。

「にまめはもう帰らんかもしらんが、これでも抱いて元気出せ」

「わあ、にまめ!」

 蜜が木彫りの猫を抱くと、不思議とほんのり温かい。

「にまめ、しんでん?」

 不思議とほんのり温かい、木彫りににまめを思い出し、涙が伝う蜜の頰。木彫りの猫は何思うたか、蜜の頰をペロリと舐めた。

「にゃあ、にゃあ」


 不思議や不思議、甚五郎。甚五郎と蜜の猫。



§

 大工の見習い甚五郎。齢は十四の少年盛り。

 連日続いた寺の修繕、終えてお堂に酒肴。大人たちに飲まされた酒にへべれけ甚五郎。形大きさ様々の酒器を次々放り投げ、器用に取ってまた放る。やんややんやの大道芸。おっと、うっかり欄間に当たり、傷が付いたが龍の彫り物。

「こいつぁいけねぇ、竜神様に祟られる」

 震え上がった大工衆に、甚五郎は言い放つ。

「なんだいこんなただの木っ端。俺がちょいと直してやらぁ」

 木切れを彫って甚五郎。ピタリと収まる欄間の龍。


 はてさてご存知、明化二年の大風に、どこもかしこも損壊倒壊。勢いづいた大風が、この寺の前で掻き消えた。寺の坊主がふと気づく。欄間の龍のしとどに濡れて。


 不思議や不思議、甚五郎。甚五郎と寺の龍。



§

 若き大工の甚五郎。二十歳になった甚五郎。他の大工の仕事を見ると、壊して自分でやり直す。

「若いくせに威張り腐って」恨み募った老大工。


 皆が帰った夜遅く、残って仕事甚五郎。組みかけの家で眠り込む。

 夜も更けた、まさにその時、手遊びで彫ったネズミ「きんとん」に鼻をかじられ飛び起きた。枕がわりの木材に、小刀どんと突き刺さる。

 敵は件の老大工。酒に酔った赤ら顔。なんとか宥めて落ち着かせようと言葉をかける甚五郎。されど敵、抜いた小刀振り回し。すんで刺される危うし危うし。甚五郎、腰の鑿に手をやって「エイヤ」と投げるは遥か上。刺さったのは梁の継手の僅かな隙間。敵の頭に落ちる梁。

 老大工、伸びちまった。

「この継手はアンタの仕事だ」


 さて、木彫りのネズミきんとんの姿が見えぬ、どこへ行ったか。「根太を齧っちゃ大変だ」あちらこちらを這い回り、きんとん探す甚五郎。


 不思議や不思議、甚五郎。甚五郎とネズミのきんとん。



§

 男二十四、甚五郎。いっぱしの大工、甚五郎。仲間からの人望厚く「独立するならついていくぜ」「次はおまえが棟梁だ」などと。


 ある日故郷から文届く。その文字を見て胸躍る。かの日交わした約束の

「泣くな、みつ。一人前になったら必ず迎えに来る」

 蜜は覚えているだろう。その蜜からの文だった。

 はやる気抑え文開く。


────────────────────


 甚五郎様、お久しゅうございます。お元気にしていますでしょうか。いいえ、あなた様がお元気であることを、私は存じております。あなた様が作ってくだすった、でんがく──覚えておいででしょう。あの木彫りの猫を──が、こんなに元気なんですもの。けれど油断はいけませんよ。くれぐれもお体ご自愛ください。あなた様にお話ししたい些細なことが日々募っております。しかし甚五郎様、あなた様が遠き地で頑張っておりますのに、どうして私が浮かれていられましょう。これらのことは胸の中で、かの日のあなた様にお話しするに留めております。甚五郎様、どうか、どうかくれぐれもお体を大事になすってください。


 さて、末筆ではございますが、私はこの度領主様に娶られることとなりました。すごい出世でしょう。私は領主様のため、そして両親のため、元気なお子を産もうと思います。

 甚五郎様、甚五郎様。優しいあなた様は、「しっかりな」と言ってくださいますでしょう。私ごとではございますが、どうしても甚五郎様にお知らせしたく、筆を取った次第でございます。

 この文があなた様のお仕事の邪魔にならないことを願って。

            甚五郎様へ 蜜より


────────────────────


 甚五郎、三日三晩部屋に篭ってコツコツと、飲まず食わずでコツコツと、ただただ響く鑿の音。

 彫っているのは阿修羅像。

「この像が、憎き領主と憎き蜜の、二人の仲を切り裂こう。二人の命を断つだろう」

 恨みを込めてコツコツコツ。


──なあ、じんちゃんて呼んでもいい?

 コツコツコツ。


──みつな、よっつになったよ。もうすぐ追いつくなあ。

 コツコツコツ。


──あんな、にまめがいなくなってん。

 コツコツコツ。


──甚ちゃん家のきんとんが一番好きやわあ。

 コツコツコツ。


──嬉しくて、なんて言ったらいいかわからん。なあ、甚ちゃん、待っとるからね。


 完成間近の阿修羅像。鬼の形相阿修羅像。あとひと打ち。あとひと彫り。

 甚五郎、そこから先にどうにも進めぬ。目を閉じ「エイヤ」と鑿振るい、


 コツコツコツコツ。


 出来上がったのは小さな小さな鬼子母神。安産祈願の鬼子母神。

 蜜は翌年元気なお子を産んだという。


 かなしやかなし、甚五郎。甚五郎と鬼子母神。



§

 大工を辞めた甚五郎。風来坊の彫物師。

「甚五郎の彫物にゃ魂宿っているそうな」そんな評判どこ吹く風で、木彫りを売って日銭を稼ぎ、酒と博打でスカンピン。


 流れ流れてある町で、木彫りを売ろうと風呂敷広げ、「甚五郎」の看板出した。通りかかった呉服屋が、その彫物を蹴散らして、「不届きものめ、偽物が」。

 引っ立てられた甚五郎。話を聞けば呉服屋に「本物の甚五郎」が抱え込まれているそうな。


 我こそ誠の甚五郎と、訴え聞くは大岡越前。

「されば二人に彫らせてみよ」とのたまった。


 呉服屋に抱え込まれたるは、立派な髭のでっぷり太った甚五郎。縄をかけられ引きずられるは貧相不潔でボロを纏った甚五郎。

 髭を生やした甚五郎、鑿を振るって彫るは鯉。今にも動き出しそうな、見事なまでの錦鯉。

 貧相不潔な甚五郎。同じく鯉を彫り上げた。どんより死んだような鯉。

 並べて歴然。天晴れ、髭の甚五郎。


 待ったをかけるは大岡越前。

「鯉を池に放ってみよ」と。

 二つの木彫りを池に放ると、髭彫る鯉はプカプカと浮かびて見える白い腹。不潔の彫った鯉こりゃ不思議、悠々泳ぐ池の中。

「甚五郎の彫物にゃ魂宿ると言われておるが、なるほど陸では死んだ鯉、水に入れるとあの通り」


 甚五郎、その腕の右に出るものなしとして、大岡越前公から「左」の号を授かった。天晴れ、その名は左甚五郎。


 不思議や不思議、甚五郎。甚五郎と池の鯉。



§

 木彫師、左甚五郎。津々浦々で名を上げて。東照宮の眠り猫、歓喜院の鷲と猿、秩父神社の子持ち虎。酒を飲んでは鑿振るい、ごくごくたまに人助け。父の訃報は三十年前、蜜の訃報は五年前。人生夢か幻か。齢六十、甚五郎。鑿を持つのは最後となろう。死期を悟った甚五郎。生涯独り身、甚五郎。


 鑿を振るうは誰がため。それは初めて自らのため。

 無邪気だった蜜の姿を、それから若き己が姿を。二人仲良く手を繋ぎ、二人仲良く微笑んで。


 魂込めて、人生込めて。

 コツコツコツコツコツコツ。


──甚五郎様、甚ちゃん、じんちゃん。

──みつ、おみつや。



 甚五郎の彫物にゃ魂宿ると言われておるが、さあ、出来上がりだ。最後のひと打ち全身全霊。


 コツン──。


 あれ、不思議。

 部屋にはただ、鑿を持つ木彫りの老人だけがあったそうな。


 不思議や不思議、甚五郎。名工、左甚五郎。

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