霊の亀

順風亭ういろ

第1話

どぅるるるっるるるっるっるっる

キスをしていた。息が詰まるほどにキスをしていた。

それも当然で蕎麦が私の口の中に入ってきているのだ。しかし、なぜこのタイミングなのだろう。彼女は蕎麦をワサビで溶かしたつゆにつけ、自分の口に運んで少し咀嚼したところで私の口にキスをしたかと思うと、蕎麦を私の口の中へ彼女の口の中からどぅるるると流し込んできたのだ。私の口の中で蕎麦が暴れ、つーんとわさびの香りが鼻腔の奥で刺激されると、私はむせ返ってしまった。ゲホゲホと呼吸を整えている私の視界の隅で、彼女は口の端から飛び出ている1本の蕎麦をつるんと吸い込むと、ニヤニヤと私を見つめていた。

「何をする」

「美味しいから食べて欲しくて」

この娘はこういう所があるのだ。急に突飛な行動を取り、私はうろたえてしまう。それをどこか楽しんでいるように突飛な行動を起こしては私を困らせている。そういう所でたまらなくこの娘に惹かれているのかもしれない。蕎麦を食べ終えた彼女は、走り出すと木に思い切りよく、ぶつかっていった。葉っぱがパラパラとあたりに散って、彼女は振り向いた。逆光を浴びたその姿に、見惚れていた。それがなんだか、とても綺麗に見えて、私はたまらなくなり、私も同じように木にぶつかっていった。彼女の用にうまく落ち葉は舞わなかったのが、彼女にとっては気にいらなかったのか、ふぅとため息をついて、もう一度駆け出したので、私はそれを捕まえ、改めてキスをした。

その日の後も、私と彼女は何度も逢瀬を重ねた。湖や森の中、川や繁華街、色んなところを見て回った。もちろん、蕎麦もよく食べた。湖の近くを散歩している時、彼女は不安げな顔を見せ「私がどこかへ行っても探し出せる?」と言った。私は性欲からなのか、よく思われたいが為なのか「もちろん。どこに行ったって探し出して見せるぜ」と言った。言ってから、「ぜ」は少しやりすぎたかな、と恥じていると、彼女は思いきり木にぶつかった。葉っぱが舞っているのを眺めていると、即座に私のお尻に痛みが走った。彼女は「テイッ」と声をあげ、私のお尻に水平に蹴りを入れていた。「なにをする」「隙をみせたから」と彼女は言ったあと、

「お願いがあってさ、私の親に会ってくれる?」と唐突に話を切り出してきた。私はある程度、覚悟はしていたけれども、ああ、そうか、彼女と結婚するのか、という実感がイマイチなかった。けれども、彼女と一緒に住むのもこれから先は悪くないなという想像も膨らんで、「ああ、わかった。会うよ」と、答えた。

「なに、一瞬、間を開けてんのよ。今の2~3秒くらいの考えている間はなあに?」

と彼女に言われて「あ、いや」と、ごにょごにょとごまかしていた。

「じゃ、いいですぅ。会わなくていいです。仕事もなく毎日ブラブラしてる男をうちのお父さんが許すわけがないわ」

「いや、まぁ、仕事なら…」

「なに?何か仕事はじめたの?」

「仏様を…信じるというかそういう…」

「なに?」

「…仏さまを信じる仕事」

「…仏さまを信じるしごと」

と、彼女は言ったあと、なにか考えいるような顔で私を見ている様だったが、構わずに、「仏さまを信じるとぉ、なんかぁ金持ちになった人かいたりしてぇ、上人とか呼ばれてぇ偉くなったりもするらしくてぇ」

と、私が言うと、彼女は「まあ、いっか」と言い、父親に話を通しておくというような事を話し、その日は帰っていった。

しばらく、彼女からの連絡を待っていたが、その日から、彼女からの連絡は途絶えた。待てど暮らせど、一向に連絡が来ず、どうしたんだろうか?と思い、彼女の家にとりあえず、足を運んだ。彼女の実家に行くのは初めてのことで、緊張と戸惑いと、果たして訪ねていいものだろうか、とか思索にふけって彼女の家の扉の前をウロウロとしていた。扉を叩く動作をしてはやめ、思索にふけり、「あ、あ、あ」と声がかすまないよう発声練習をしたり思索にふけったり、などしていると、彼女の家の扉がガラガラと音を立てて開いた。扉を開けて出て来たのは、どうやら彼女のお父さんらしき人だった。

「あの、あなた家になんか用ですかな?」

「あ、いや、あの、娘さんに会いに来まして」

「娘に何の用で?」

「あ、いや、その、元気かなぁって」

「あ、そう」

と、言って扉を閉められてしまった。

「あ、あのぅ違うんです。娘さんと約束してて」

また扉がガラガラと開き、

「娘ならね。出かけているよ。今、家にいないよ」

それだけ言い残して、扉はもう二度と開かなかった。私はそれから、毎日のように彼女の家に伺ったものの「いつも留守をしている」と告げられるだけだった。ある日、彼女の家の近くで、近所に住んでいるらしきおばさん二人がひそひそと噂話をしているのを盗み聴いた。「娘さんが彼氏を連れてくるとかで、お父さんが怒っちゃって怒っちゃって。なんかね、大きい湖が東の方にあるでしょ。あそこの真ん中に島があって、そこに閉じ込めた。らしいわよ」「やぁねぇ」というような話をしていた。聞くや否や、私はその湖の方へと駆け出していた。ひたすら走って、湖へ着いたものの、あまりにも大きい湖で、とても水見の真ん中の島までたどり着けそうになかった。少し、湖の中に入り泳いでみた。私もどうにか彼女に会いたい気持ちがあったから、もう少し泳いだ。まだまだ行けるだろう、と泳いだ。ともすると、すでに必死になっていた。けれども、私の体力ではとても無理だったようで、途中で気を失って、そのまま湖の水の底へ私の体は落ちていった…。

気が付くと、湖畔にいた。いつの間に陸に戻ったのだろう。途中まで泳いでいたのは覚えている。顔を上げると、子供の男の子の顔が笑っていた。その顔の上の方から声が聞こえ、はっきりとしたおじさんの声で、「起きた?」と聞こえた。その声が聞こえた方に視線を向けると恐ろしい仏像のような顔が喋っていた。改めて全身を見てみると首の周りに髑髏の首飾りをして、腰巻だけで基本的に裸で、膝の所から動物の象の鼻が垂れ下がっていた。子供の男の子の入れ墨を腹に描いていて、どのようにみても変態だと思い、私は後ずさり、逃げようとした。

「ちょ、ちょっと、待って」

「ひああああ。ひああああ」

「落ち着いて。ね。大丈夫だから。落ち着いて。話を聞いて」

私は腕をつかまれていた。逃げようにも逃げられず。もはやパニックだった。

「大丈夫だって。わたし、偉い仏だから、あの娘さんに会いたいんだしょ。あの、ほら、霊亀っていうのかな。これで、あそこの湖の真ん中さ、行けるから。この霊亀あげるから。ね。落ち着いて。あら、聞こえてないかな。まぁいいかなぁ」

とまた気を失っていた私は目を覚ますと、透明な感じの亀に乗っていた。その亀が私を湖の中心にある島に連れて行ってくれた。

島に着くと、彼女がいた。彼女は私を見ると、走ってきて、思い切りぶつかった。私が倒れていると、キスを奪われた。貪るように私もキスをした。


数年後、私たち夫婦になり、子供が生まれた。奇怪な格好をした仏の話を面白がって聞いていた息子は仏教に興味を持ち、そちらの道へ進んだ。どこか遠くに修行へ行くと言って、数年後に帰ってきた。なにやら大層立派な僧になったらしく、私の家をリフォームして、寺院にしてしまった。


数千年後、ここいら一体は蕎麦で有名な場所となった。真ん中に寺があり、その周りをたくさんの蕎麦屋が囲む町、深大寺として。

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霊の亀 順風亭ういろ @uirojun

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