ネクロファジーの唯一
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ネクロファジーの唯一
人を殺してしまったので、追加で二人殺した。まだ殺すつもりだが、今はとりあえず三体の死体の処理に困っている。
重いな、と思う。
死体を担いでいる訳でもないのに重い。三体の死体は後部座席に乗せていて、自分はただハンドルを握って夜の市街地を走っているだけなのに重い。
「これが命の重みか……」
無意味に格好つけてみたが、車内に人はいても聞いてくれる人はいないから格好もつかない。そもそも正確ではないような気がするし、罪の重みだし、罪悪感の重みなのかもしれなかった。
時刻は丑三つ時に差し掛かろうというところ。ハンドルを切り、北の山へと向かう道を進む。目的地は家からそう離れたところではないが、行ったことがない場所だった。三車線だった道は段々と車線を減らし、急勾配になっていく。道も悪くなり、タイヤが石を踏む度に後部座席の死体がギシリと動いた。
死体は丁度いい袋が無かったから、キャンプ用のレジャーシートに包んでビニール紐で縛っていた。なんか変な汁とかが流れていないといいなとバックミラーで確認したけれど、薄暗い中に青いシルエットが浮かぶだけだった。車自体に思い入れは無いが、クリーニング代は痛いし移動手段が無くなるのは困る。なんせまだ人を殺す予定なのだから。
殺人を犯したことについては申し訳ないと思っているが、自分は警察に捕まりたくは無かった。死体を調べられたり犯行現場を調べられたりすれば、自分が犯人だときっとバレてしまうだろう。だから死体は早急に処理しなければいけないのだが、こんな大きなものをどこに隠せばいいと言うのだろう。
困った俺は自殺好きが御用達の掲示板とやらを頼りに、家から近くて丁度良さそうな人気スポットに当たりを付けた。死体を人気スポットから落とし、自殺に見せかけようというわけだ。一度に三人も落ちるのは多いかもしれないが、そんなこともきっとある。いざ見付かったときは警察には心中という理由でも付けていただきたい。
人気スポットに車を止める。そこは蛇行した山道の曲がり角の崖になっている場所だった。ガードレールはこの部分だけ真っ白で新しく、新しい割に黒く車で擦った跡があった。ここはどうやら曲がり切れずに事故を起こしやすい場所でもあるようだ。きっと事故に見せ掛けた自殺もしやすいことだろう。
この人気スポットには不思議な噂もある。どうしてか、ここで自殺を謀った者は死体が見付からない。そこが更に人気を上げている理由だった。
崖沿いに車を止めガードレールごしに見下ろすと、暗闇に木々が生い茂っているのが見えるだけで下がどうなっているのかまでは見えない。高さも大分高くて、これなら確かに身を投げれば確実に死ねそうだった。
深夜だから車は通らないが、もしものことを考えてとっとと処理をしてしまおう。
後部座席の死体を一体ずるりと引っ張り出して道路に転がす。ビニール紐を解くと死体が顕になって、俺は「ごめんな」と小さく呟く。レジャーシートごと死体を抱きかかえて、崖へと投げる。バサリとレジャーシートから死体が離れる音がして、その後に耳を澄ました。落ちる音はしなかった。ずっとしていたはずの木々のさざめきに今さら気付いたくらいで。
一体終えてしまえば要領は掴めたので、あとは流れ作業である。二体目もポイと投げ捨ててしまえば、車は軽くなり自分の胸もスッと軽くなる。最後の三体目に事は起きた。三体目は体重が重く、少し勢いを付けて投げ捨てた。すると腕も軽くなると同時にポケットも軽くなる。
死体とスマートフォンが闇の中に吸い込まれるように落ちていく。もちろん落ちた音はしない。
「うわ……」
思わず自分の失態に声が出る。
捕まりたくはないから、なるべく痕跡も残したくはない。だからスマートフォンなんて痕跡の塊を落とすのはあまりに最悪だった。
拾いに行くしかないのか……。
せっかく片付いた死体をもう一度見るのも気が重いが、ちゃんと処理できたのかという確認も兼ねて行くしかないのだろう。
車を走らせて下山し、崖下の場所へ行くために森の中へと入る。念のためと思って車に懐中電灯を積んでいて良かった。半月の明るすぎることも暗すぎることもない月明かりと懐中電灯を頼りに、木の根に躓きそうになりながら前へと進む。
崖下を目指して歩いていくと、着く前に硬いものを踏んだ。もしかしてと思って足下を見れば、土にまみれたスマートフォンだった。これは運がいい。しばらく捜索しないといけないと思っていたから助かった。スマートフォンを拾い土を払って電源ボタンを押すと問題なく画面は点き、奇跡的に割れてもいなかった。本当に運がいい。
しかし運がいいことは続かないものである。
死体を確認しようと崖の真下に行くと、女子高生が立っていた。一目で女子高生と分かるのは、彼女がセーラー服を着ているからだ。月明かりに浮かぶ女子高生は下を向いて何かを観察している。足下には黒い塊が三つある。死体だ。
俺の視線に気付いた少女は死体から顔を上げてこちらを向いた。……気まずい。
「心中するのを止めようとしたら、止められなくて。まだ生きてるならって望みをかけてここに……」
嘘を吐くことにした。
「これお兄さんが殺したの?」
即行でバレた。
まさか四人目が女子高生になるとは思わなかったなと対象を見据える。殺すことが目的だから、あまり若い人を殺す予定は無かった。出来ればこう、ちょっとした犯罪者とか残る命の短い人とか各種ハラスメント野郎とかを狙って殺すつもりだったのだ。それなら社会も良くなるし一石二鳥になるなと思って。罪悪感も多少はましかなと思うし。
さてどうやって殺そうか。首を絞めるのが手っ取り早いかな。殴って痛めつけるのは見ていてこちらも痛いから、息の根を早急に止めれる方法がマストだ。
「自殺にしては血の出方が少ないし、落ち方がいつもと違うから」
言い方が引っかかる。
『いつもと違う』
つまりそれは、頻繁にこの場所に来ていて様々な死体を今まで見てきたということか?
女子高生をじっと観察する。髪は肩より長く、鼻も高く色は白い。少しつり目なのがキツく見えて近寄り難い印象になるが、その近寄りずらさが余計に彼女の美しさを際立たせているようだった。
暗闇に美人はよく映える。ホラー漫画みたいで。けれど彼女は確かに生きた人間のようだった。この場所には生きた人間の方が少ないから、多数決なら死んでいる可能性もあったのにな。
「お前、ここで何してるんだ?」
「死体漁り」
「死体漁り?」
「お腹減っててさ」
「お腹が減って死体漁り?」
「お腹が減ってて死体漁りだよ」
「死体を……どうするっていうんだ?」
「そんなの食べるに決まってるじゃない!!」
食べ……る?
そうか、埋めるんじゃなくて食べれば完全な証拠隠滅ができたのか……なんて納得する訳がない。死体は食べ物ではないのだ。そんな考えを他所に、少女は説明を始めた。
「腐肉食って知ってる? 動物死体を食べる食性がある動物のことを言うんだけど」
「カラスみたいな?」
「そうそう。昆虫ではギンバエ、動物ではカラスかハゲワシ辺りが有名かな。英語ではスカベンジャーとかネクロファジーともいう」
「お前はそれだと?」
「お兄さん、話が早いね! さすが人殺し」
「人を殺して褒められることがあるなんて知らなかったな……」
凄まじい内容を軽快に話す少女に、警戒心は和らいでいく。どうやら少女は俺を仲間か何かと認識したようだった。
俺は歩を進めて、少女に並ぶように立つ。足下には目を背けたくなるような、凄惨な死体が落ちていた。一つの死体は落ちたときの衝撃で足の骨が折れ、千切れかけた膝から骨が見えている。もう一つの死体は頭から落ちたようで、顔の半分は陥没していたし脳らしき物が頭からはみ出て一部が散らばっていた。三つ目の死体は木にぶつかったのか、腹の辺りが裂けて地面の上で腸が割れたマジックバルーンみたいになっている。
ただ確かに血の量は少ないかもしれない。本物の飛び下り死体なんて見たことないから、ドラマで見る死体との比較になるけど。
「自殺者の死体は無料だし、今の日本じゃゴロゴロ取れるからいい栄養源だよ。スーパーのグラム48円のササミより安いし一度に手に入る量が多い。下処理は面倒だけど、無料で頂いてるんだしそれくらいはしようかなって。料理も好きだし」
「それでお前は死体を食べてるって?」
「そう、経済的でいいでしょう? お兄さんも食べる?」
「食べるわけないだろ!」
おもむろに少女は死体に近付き両腕を引っ張り始める。動かそうとしているらしい。よく見れば手にはゴム手袋をしていて、運動靴を履いている。セーラー服ではあるが、作業しやすい格好をしているらしい。
「どうするんだ?」
「解体するよー。死体をここに落としたのは、木の葉を隠すなら森の中、死体を隠すなら死体の中っていう理論から?」
「まぁそうだな」
「ここに来たのは死体を確認するため?」
「スマホ落としたから取りに来た」
「それはやっちゃったね。見付かった?」
「あった」
「奇跡だね。この森は広いし草も生えてるから日が昇って明るい中で探しても見付からない可能性さえあるのに。……あっ手伝ってくれるの? 親切だね、ありがとう。人殺しに親切な人はいなくて人を見たら殺しちゃうのかもしれないってなんとなく先入観があったけど、そんなことは無いんだね。足先じゃなくて膝の裏に手を掛けた方が持ちやすいよ」
言われた通りに持つと確かに持ち易かった。さすが、死体運びに慣れているやつは違う。少女に導かれるままに山の中を進んでいくと、次第に歩きやすい道に入っていく。
少女と死体を運びながら、一つの考えが浮かぶ。そもそもこの少女は死体損壊・死体遺棄をしているから犯罪者だ。犯罪者が殺人犯である俺を通報するとは思えない。
「……提案があるんだが」
「何かな?」
「俺はまだ人を殺すつもりなんだ。死体を処理するのは大変だから、お前が食」
「いいよ!」
言い終わらない内に了承を得ることに成功した。二つ返事もいいところである。
「もしかしたらその可能性を私も考えてはいたんだ。お兄さん、これから連続殺人犯になるつもりだね!?」
「まぁ……間違いではないな」
「それで死体の処理方法に困っているんでしょう? お兄さんが殺して、私が死体を食べて処理すればお互いにメリットがある。こんなWin-Winな関係が結べるとは思ってもみなかったな。人肉も新鮮なものが美味しいんだよ。最高じゃん!」
焼き肉を奢ってくれて最高! みたいなテンションで女子高生は言う。そんなに喜んでくれるなら、人を殺すのも悪くないなと思ってしまう程だった。
「ついでにお願いしたいことがあるんだけど……荷物持ちを頼んでもいいかな?」
「それくらいならいいけど、どんな荷物を?」
「解体済みの死体。自転車で運ぶには何往復もしないといけなくてさ」
話を聞けば死体は現地━━つまりこの山で解体をして、保存と調理は自分の家でしているらしい。死体一つでも重いのに、自転車で移動とはまた大変なことをしているものだ。
「じゃあ今は解体する場所に向かってるわけだな?」
「そうだよ。昔はこの辺は集落があったみたいで、小屋が残ってる場所があるんだよね。その一つを使わせてもらってる」
案内された場所にはプレハブ小屋が立っていた。元々は農機具を置いていた場所のようだ。扉を開けると、中は意外にも綺麗だった。壁沿いには大きさの違う包丁が三本とノコギリが立て掛けてある。床は水で綺麗に流されて、しっかり掃除がされているらしい。しかし血や肉があるわけでもないのにどこか生臭い。嫌な感じだ。
運んできた死体を小屋の真ん中に置いた。一仕事を終えて、汗を拭う。
「何か、重いよな。人の重みだけじゃなくてさ」
「現実逃避で気が重いだけじゃないの?」
「あーそれもあるかも。あんたはそういうのは無いのか?」
うーん、としばらく考えた後に言ったのは、
「腹が重い」
それだけだった。どうやら罪悪感だのなんだのというのは無いらしい。
「お腹いっぱい食べられるっていうのは素晴らしいことだよね」
「まぁ、それのみに関しては同意だが……」
どうせお腹いっぱいにするなら牛肉とかがいい──と思うのは贅沢だろうか。
少女はてきぱきと死体を解体していく。俺はその間に、残った二人の死体を小屋に運び込んだ。運び終える頃には最初の死体は綺麗に解体され、骨や食べられないところは黒いごみ袋にまとめられていた。食べられる部分は部位ごとにビニール袋に入れられている。冷凍するためのようだ。
解体作業を手伝う気にはなれなかったから、解体し終わるまで俺は小屋の隅に座ってしばし仮眠を取ることにする。疲れていたのか、夢は見なかった。
「お兄さん、解体作業終わったよ。荷物持ちをお願いします」
その言葉で起こされる。小屋の中を見渡すと解体した場所は水で流したのか、来たときと同じように綺麗な状態になっていた。肉は三つの大きな袋にまとめられている。どうやらそれぞれの人ごとに分けられているようだ。
小屋を出ると日が昇りかけていて、明るさに網膜がやられて痛かった。こんなに色んなことがあった日にも太陽は昇るんだなって、当然のことを思う。
森を抜けて自分の車へと戻り、少女は助手席に、肉を後部座席に、少女の自転車は荷台に押し込んだ。少女に案内されるままに車を走らせると、着いたのはそこそこ大きな一軒家だった。きっと親は手堅い仕事をしているそこそこの稼ぎがある人なのだろう。
「ここ、お前の家?」
「もちろん。私しか住んでないけどね。廊下を右に曲がったところがリビングで、奥がキッチンになってるんだ。大きい冷凍庫があるから、一旦そこに肉を入れといて貰ってもいい? ちょっとシャワーして着替えてくる」
少女はお風呂場へと向かったらしい。俺は肉を両手に提げて、家へと入る。
言われた通りに廊下を進み、リビングへと向かう。掃除が行き届いていているようで、床にはホコリ一つ落ちていない。解体するときにも思ったが、綺麗好きなのだろう。
冷凍庫には既に肉が入っていた。これも人肉に違いない。空いていた段があったので、そこに新しい肉を突っ込んだ。
リビングで待っていると、白いもこもこの部屋着に着替えた少女が戻ってくる。なんだっけ、確かちょっと高くて女子高生から女子大生辺りに人気のブランドの部屋着だったはず。なんとなく制服を着ているときよりも女子高生らしさがあった。
「荷物持ちありがとう! 本当に助かった」
「さっきはなんで制服だったんだ? 学校帰りって訳でも無いんだろう?」
「私、あんまりお金無くてさ。先輩達が卒業するときに制服をいっぱいくれたから、使い捨てにしてる」
「まさか先輩は親切であげた制服が人を殺して解体するときに使われてそのまま捨てされてると思ってなかっただろうな……」
「それはそうなんだけど、聞き捨てならないことを言うね。人を殺したことなんか一度も無いよ」
「……ん?」
「人を殺したことは一度も無いんだよ。最初から死んだ肉しか食べたことはない。詳しいことは、ちょっと言いたくないんだけど……」
もう一度、言い聞かせるように少女は言う。俺とはそこが違うという訳だ。あくまで俺は『殺す者』、お前は『食べる者』。
「人間の肉って美味いのか?」
「正直に言えば食べれたものじゃないけど、調理方法で美味しくすることは出来るよ。もしかして人肉の味に興味ある?」
「興味は無いわけでは無いな……」
少女は目を輝かせる。マイナーな趣味に理解者が現れたときのような、同属を見付けた時のような嬉しそうな目だった。
「食べたい死体はある?」
「女の子いただろ? お前と同じ年くらいの。あれがいい」
「やっぱ健康な成人男性が食べるなら若い女の子ないいよね。けどそんな言い方をされるとちょっと構えちゃうな……」
「お前は殺さないよ。あいつは特別だから、食べたいんだ」
「そっか。まぁ特別な人を殺さないといけないことくらいあるよね。それなら希少部位が見付かったから、それを食べてみる?」
「希少部位か。気になるからそれにする」
「ハンバーグとか好き? 形とか残ってたらちょっと食べずらいし、ハンバーグなら美味しい味付けにしやすいから」
「ハンバーグか、いいな。最近食べてない。ミンチとか作れるのか?」
「それは奮発してミンチにする機械を買ったので出来ます! ソースはデミグラスとケチャップどっちがいい?」
「ケチャップ」
三十分程が経った頃、リビングで俺と少女は向き合って朝ご飯を食べることになる。
さっき知り合った人の家の食卓でご飯を食べているのは、なんとも不思議な状況だ。そういえば昨日の昼からご飯を食べていなかったことを思い出し、急に空腹が襲ってきた。
目の前の皿には美味しそうなハンバーグ。朝に食べるには重いかもしれないが仕方ない。俺のリクエスト通り、ケチャップがかかっていた。少女の料理の腕は確かなようで、ハンバーグはもちろん美味しそうだし、副菜のニンジンのコンポートや揚げたじゃがいもとブロッコリーが彩りを添えていて、見た目にも食欲をそそった。
一口、口の中に入れてみる。
「……生臭い。生焼けでもないのに。食べれる味ではあるけど」
「それは特別そうかもね。あんまりしない風味もする……けど普段人肉を食べてない人にはその独特な風味は分からないかもしれないね」
「どこの部位なんだ?」
「聞きたい?」
「……いや、止めとこう。なんか生々しいし」
「意外とお兄さん繊細だよねー。人殺しが繊細じゃないっていうのも先入観か」
「繊細というのは否定できないな……普段の俺は引きこもりだし近所の人にまともに挨拶さえも出来ない」
「思った以上に繊細だった」
それからというもの、俺は人を殺し死体を作っては少女の元へと運んでいる。少女は俺が新鮮な死体を持っていっても崖下の飛び下り自殺死体は変わらず食べるようで、数ヵ月に一度はそれも運んだ。
「お兄さん、連続殺人犯として名を馳せつつあるねぇ」
半年ほどが経った頃。その日も少女の元へ死体を運び、少女は解体も終えて家で朝から新鮮な肉でソテーを食べていた。俺はあれから少女が死体を食べることは見ても自身で食べはしていない。やっぱり食肉用の肉が美味いし……ということで、俺はコンビニで買ったパンとフライドチキンを同じ食卓でいただいている。お互いのプライベートに踏み込むことはしない。ただ利害の一致のみで成り立っているこの関係は、淡白で意外にも居心地がいい。
俺の殺人は連日ニュースになっていた。犯行現場には明らかに血が残っているのに、死体だけがない。犯行も様々な方法を取り一貫性がない。血の量からして確実に死んでいる人もいるようだが、死体が確認できていないため一部は生きているのでは無いかという推測もされていた。
その推測は間違っていて、目の前の少女の栄養源になっている。まだ栄養になっていない分は、冷凍庫にいる。
人を殺した人数は三十人になった。もはや流れ作業的に人を殺しているが、悲しいことに自分の目的は果たせていなかった。
「このまま殺しても、もう無理なのかな……」
「あれ? 殺すことに快感を覚えているというタイプではないのは薄々勘づいてたけど、もしかして目的があるの?」
「あるよ。……最初の殺人を忘れたくて、殺し続けてるんだ」
どうやっても晴れない。最初の殺人が忘れられない。唯一の殺人が薄まらない。
人を何度殺そうとも、殺す度に最初の殺人が頭を過り、何度殺そうとも夢に見るのは最初の殺人だった。どうやっても忘れられない。俺はこの重さから逃れたいのに。
「それはそうに決まってるよ。童貞や処女を捨てた相手をいつまでも覚えているように、初めてした殺人は覚えているものじゃないの? 私が初めて食べた人を覚えているように」
そう言われて、腑に落ちた。三つを兼ねているなら、尚更忘れられないものだ。
「なるほどな……それはそうかもしれない」
「そろそろ話してもいいかな。この一軒家に女子高生一人で住んでるっておかしいと思ったでしょう? 単純に私以外の家族が死んだからなんだよ」
「つまり家族を食べたって?」
「結果的にはそうだね。申し訳ないとは思ってる──けど生きるためには仕方なかったんだ」
少女が小学生五年生で夏休みが始まったときのこと。両親は車で出掛け、少女と三歳の弟と家で留守番をすることになったらしい。両親が出掛けたのは隣県の百貨店だったから、数時間で帰ってくるはずだった。しかしいくら待っても帰ってこない。夜になり、日付を超え、また一日が過ぎ、何日も経っていく。
少女は真面目だった。あまりに真面目だったが故に、親の言い付けを守り続けた。
『留守番中、絶対に家から出てはいけないよ』
親からの言い付けを忠実に守った少女は、弟と二人で何日も待ち続けた。隣人は車がないから旅行に行っていると思い込み、家の二人に気付く人は誰もいなかった。少女は弟とお菓子や冷蔵庫の物を食べていたが、買いだめをする親ではなかったから一週間もすれば食料は尽きた。
そしてついに弟は餓死した。夏休み最終日のことだった。
何度呼び掛けても返事は来ない。死んだということは分かったが、どうすればいいか分からなかった。そして異常なまでの空腹は、死んだ弟を人ではなく肉だと認識した。
「ごめんね」
何度も謝り、泣きながらながら弟の指を食べる。ごめんね、けど弟のことは無駄にはしないよ。
その三日後、少女が学校に来ないことを不審に思った担任が家を訪ね、少女は保護されることになった。さらに数ヶ月後、両親の車はあの山の崖下で見付かり、死亡が確認された。
「それが私の初めて人を食べた思い出。弟のお陰で今の私は生きている。弟はいなくなったけど、いつも一緒にいるんだ。その後は親戚の家に住まわせてもらうことになるんだけど、やっぱり寂しくてね。両親の骨も食べちゃった。高校生になってからは親戚の家を出て、親戚が残しておいてくれた私の実家にこうして住んでいるってわけ」
「それからなんで継続して人肉を食べてるわけよ?」
「その辺は上手く説明出来ないんだけど、多分人を食べたら寂しくなくなるって間違えて覚えちゃったんだよね。自殺する人を食べるのも、独りで寂しいなら一緒にいようよっていう同情から。今の私は、弟と両親とその他大勢の人と一緒にあるんだ」
「意外と優しい理由で食べてたんだな」
こんな少女に食べてもらえるなら、自殺した人達も俺が殺した人達もきっと浮かばれることだろう。
「お前が優しいやつで良かった。俺の妹もきっと喜んでるよ」
「ああ、あの私と同い年くらいの女の子。妹さんだったんだね。だから食べたがったんだ」
「そう。あんまり美味しくはなかったけどさ」
「……お兄さん、もしかして『木の葉を隠すなら森の中』理論で死体を自殺死体に紛れ込まそうとしたし、自分のした殺人も他の殺人を重ねることで唯一の特別な殺人を薄れさせようとしたの? 単純だね」
「……まぁ、うん、そうだな。けどお前の話を聞いたら、俺が初めて食べた人間が妹で良かったと思うよ。俺は一人じゃないし、寂しくない」
「え」
「え?」
「あー……」
少女があからさまに目を逸らした。
「……ごめん。あれ、正確には妹さんじゃないんだ」
妹じゃ……ない?
「嘘を吐いたのか? あれは妹じゃないと?」
「妹さんから出てきた肉であることは間違いないんだけど……」
「……あのときの部位はどこだったんだ?」
ため息を吐き、意を決したように口を開く。
「胎児だよ。生まれる前の子ども」
「え?」
妹に、子ども?
「なるほど……まぁ子どもならいいか。そうか、俺との子どもがいたのか……」
「え? お兄さん、妹さんのことが好きだったの?」
「ああ、愛し合っていたよ」
俺と妹は愛し合っていた。高校生になり、友達と頻繁にカラオケオールをして朝帰りの妹は、帰ってくれば俺の部屋の扉を開けて「ただいま。お兄ちゃん、朝だよ」と起こしてくれた。こんな引きこもりの俺にも優しかった。妹のことが好きだった。妹もそのことに気付いたのだろう。数ヶ月前の台風で外に出ることも出来ない日、深夜に妹は俺の部屋にやってくる━━。
「どうして子どものことを言ってくれなかったんだろう……。実のところ妹に限っては、本当は殺したとは言いにくい状態だったんだ。妹の部屋に行ったら首を吊っていて、慌てて下ろしたけど痙攣していて、もう助からないだろうなっていう状態だった。だから苦しまないように殺したんだ。いわゆる安楽死。他の二人は俺の両親で、妹を殺したところを見られたから殺した」
「そっか……近親相姦だから、産めないことが辛くて子どもと一緒に死んじゃったのかな。悲しいね」
「妹は食べれなかったけど、子どもは食べれたから良かったのかな」
「そう思えるなら良かったよ。あの大きさだと、五ヶ月くらいじゃないかな」
「五ヶ月?」
「五ヶ月」
「は?」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。五ヶ月?
「間違いはない?」
「無いと思うよ」
「ならそれは──俺の子どもじゃない!!」
じゃあ俺は一体何を食ったんだ? 初めて食べた人間は素性の知れない子の肉で? 妹も食べれなくて?
…………え?
「初めて食べたあの肉はなんだったんだ? 貴重な俺の初めては? なぁまだ妹の肉って」
「ごめんね、もう妹さん食べきっちゃった……」
少女は本当に申し訳なさそうに言う。
お前。
お前が。
お前が妹を食った。
ならば。
「お前が食った妹を俺は食べる」
「え」
それから後は早かった。暴れて逃げようとする少女を取っ捕まえて馬乗りになり、慣れた手付きで首に手を掛ける。床に仰向けになる少女と顔を向き合わせれば、覚悟を決めたでこちらを見据える。次の瞬間、耳に付く笑い声が聞こえた。
「あははははははははははははははははははははははははははははは美味しく食べきってね」
そして少女の首を絞めた。
解体の方法は見ていたから、風呂場で見よう見まねでやってみた。ミンチにする機械の取り扱いは難しかったがどうにか動かすことに成功し、キッチンを借りてハンバーグを作る。
「いただきます」
確かにあまり美味しいと言える味ではなかったけど、これがあの少女であり妹であり少女の弟であり自分の両親でありその他大勢の孤独な自殺者であり俺の殺した人達の味だと思えば、複雑な味にも納得がいった。
「ごちそうさま。お前の家族も俺の中で一緒になったから、寂しくは無いよな」
ティッシュでケチャップの付いた唇を拭き取る。ふと顔を上げれば時刻はまだ早朝で、窓からは新しい朝の光が差し込んでいる。
俺は久々に日中に街を歩くことにした。
どうしてか穏やかな気持ちだった。道の端の雑草が力強く茎を伸ばして花を咲かせている。名前は分からないが、小さいタンポポみたいな花だ。視界を何かが横切ったからそちらを向けば、三毛猫が駐車していた車の下に入っていくところだった。車の下を覗き込んでみたが、猫は更に向こうの方へと行ってしまったようだった。代わりにモンシロチョウがふわりと飛んで、それを目で追い掛けると背景には雲一つ無い青い空がある。空は深い青をしていて、手を伸ばしたくなったから、両手を掲げて伸びをした。たまには朝の散歩も悪くない。
散歩を楽しんでいると、近所のおじいさんがホースで庭木に水を遣っていた。
「おはようございます」
不思議なことに、そんな挨拶が自分の口から飛び出した。今までの自分なら考えられないことだ。普段なら挨拶なんて出来ないし、出来たとしてもどもってしまう。そんな俺にいつもなら怪訝そうな顔をするものなのに。
「おはよう」
おじいさんも、自然に挨拶を返してくれた。やっと、普通の人に馴染めたのかな。俺は返事の代わりに微笑んで、朝の散歩を再開する。
なんていい日なんだろう。
世界はどこか晴れやかで、みんなが一緒にいると思えば強くなれる気がした。
ネクロファジーの唯一 2121 @kanata2121
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