残照、紫煙

壱単位

残照、紫煙


 装填と同時に回転弾倉を銃身に叩き込む。


 間髪おかずに左の手首で撃鉄を起こし、その手のひらを銃身にかぶせるようにして、右足を引き、姿勢を落とす。

 衝撃に備える。

 右の人差し指に、ちからをこめる。


 ごぅん、ごぅん、ごぅん、ごぅん。

 巨大な槌が振り下ろされたような、重々しく、腹の底に響く音が四回、轟いた。


 腕の長さほどもある、その大型の拳銃の左右から煙が放出され、周囲をつつむ蒸気と混じり合う。発射の熱と反動で生じた空気のながれが、その赤髪の青年のまわりに、白い靄の渦を形成する。

 向かいの建物の影でなにかが倒れる音がした。赤髪の青年は頭を伏せる。

 直後、爆発音。

 青年が身を潜めている塹壕のところまで、爆風と、大小さまざまな部品が飛んできた。


 風のおさまるのを待って、青年は懐に右手を差し入れた。煙草と、古ぼけたライターを取り出す。

 ライターはまるで金槌で叩いたようにあちこちがへこみ、歪んでいる。

 目にかかる前髪の隙間からそれをじっと眺め、青年は、額にあてた。

 わずかに微笑んでいるようにみえた。

 かん、と蓋を開け、石を擦る。


 と、青年と同じ班に昨日から配属された男が塹壕にとびこんできた。


 「糧食だ。滅殺装置バーサーカーどもは俺が見張ってるから、喰っちまってくれ」


 男は周囲を警戒しながらそういい、手に持っていた包みを青年に押し付けた。


 「ああ、すまない」


 塹壕の壁に背を預け、銃床を膝において、長大な銃身を胸にたてかける。青年は戦場ではつねにその姿勢だったし、場合によっては、眠っている間も同様だった。

 けっして、その銃を手放さない。


 「……なあ、あんた」


 青年が、旨くもない糧食を奥歯で噛み砕き、ぬるい水で流し込んでいるときに、男が話しかけてきた。


 「どの部隊でも、あんたの名前をきいた。その銃のことも。あの馬鹿でかい蒸気生命の滅殺装置バーサーカーども、もう千体ほどもその銃ひとつで屑鉄にしてきたって」


 「……そうか」


 青年は、空を仰いだ。きょうはいくぶん、天候がよい。赤茶色に分厚く垂れ込める雲が薄い。わずかに、日差しが差し込んでくる。

 あの日と、同じように。


 「なあ、どうしてそんな、遺物みたいな銃、使ってるんだ。あんたほどの腕なら、もっとまともな銃を使えば戦績もあがるだろうに」

 「……これが、いいんだよ」


 青年はそういい、残りの糧食を飲みくだした。また、懐から煙草を取り出す。


 「わかんねえなあ……もったいない。なにか由縁でもあるのか、その銃に」


 煙草に火がつき、紫煙がのぼる。

 赤茶色の空、煙草の煙。

 青年は、髪色と同じ紅い目を細める。


 「……おじさんは、どうして俺に、見送らせてくれなかったんだろうな」

 「ん? なんだって?」


 ふふ、と微笑して、青年は空を見上げた。


 「この銃はな、ひとりの男の、墓なんだよ」


 青年のこころは、あの日に跳んでいる。


 男の名前は最後までわからなかった。が、青年はさいしょに男を見かけた時から、おじさん、と呼んできたし、それで支障がなかった。いまでも、かわらない。


 年齢のおぼえがない。その後の日々を数えなかったから、あれがいまから何年まえのことだったかを明瞭に思い出すことはできない。

 おそらく、五歳ほどだったのだろう。母が最後に祝ってくれた誕生日が、四歳だったという記憶がある。


 あの日、蒸気生命の小型自動人形が、おさない彼と、その母親を襲った。

 廃墟のようなちいさなバラックが寄り集まった貧民街、そのなかでももっとも貧しい区域の一軒に、彼は母親とともに暮らしていた。

 その朝、空に爆音が鳴り響くとともに、蒸気生命たちの飛空挺が通過し、何体かの小型自動人形を投下した。

 その一体は貧民街に着陸し、即座に殺戮を開始した。

 無差別にバラックを射撃し、最初の数十秒で住民の九割が死傷した。逃げ出した住民たちは、彼が暮らす西端の最貧地区に殺到する。

 自動人形はその背を追い、容赦なく、その責務を果たしていった。


 彼は、ひと部屋しかないバラックの奥、洗濯物の山の中に、隠された。

 母親は彼に汚れたシャツを被せ、大丈夫、わたしが守るから、ここを動かないで、とことばをかけた。

 それが、母のさいごの言葉となった。

 銃弾が通過し、壁が破砕する。轟音。悲鳴。崩れる住居。

 それでも彼は、うごかなかった。母が、そのように言ったからだ。

 と、ひときわ大きな轟音が響き、騒音がふいに止んだ。そのまま、静寂が訪れる。


 彼は布の山から這い出し、たおれている母をみつけ、すがった。

 母の目は、ひらいていた。開いているのに、彼を見ようとはしなかった。光のない瞳を、赤茶色の空に向けていた。

 彼は、泣きも叫びも、しなかった。母のそばを離れようとしなかった。母の遺骸とおなじ姿勢で寝転び、はやく意識がなくなるようにと、幼いながらに、願った。


 おい。

 声をかけられ、目をひらく。


 男が、立っていた。

 分厚い体躯。無精髭。黒い外套は、なにかの革でできているとみえた。

 右腕には、凄まじい、という形容が相応しいような、巨大な拳銃。鈍い銃銀色の銃身に、なにかの花のような模様が刻印されている。


 なんだ、生きてるじゃねえか。みたところ怪我もしてねえ。やつら、まだ三体いる。はやく逃げろ。

 そういい、踵を返して歩き出す。

 彼は、そのまま、見送る。


 二十メートルほども離れて、男は、振り返った。ちっ、と吐き捨てるような音をだし、再び彼に近づいた。しゃがむ。ぐいっと、襟首を掴む。顔を近づける。後ろに撫でつけた黒い髪から煙草の匂いが漂う。


 おい。なんで逃げねえ。

 ……おかあさん、と、いる……。

 男はそばに斃れる女の遺骸をちらとみて、吐き捨てた。

 もう死んでる。ここに寝転んでたって生き返らねえ。

 ……おかあさんの……ところ、いく……。


 男は、左手で彼の襟首を掴みながら、右手で彼の頬を強くはたいた。

 子供にする行為ではない。

 が、はたいた。

 彼は、男の顔をぼうっと、みあげた。


 くそが! おいガキ、てめえはどうして生きてる。そこの女、てめえの母親が、いのち張って護ったんじゃねえのか。そこの汚ねえ布の山に、てめえを突っ込んで、自分とひきかえにてめえを生かしたんじゃねえのか。

 ……。

 死にたければ死ね。だがな、ここでは死ぬな。てめえの母親はな、てめえが生きることにぜんぶを賭けたんだ。その賭けに負けたんだって、いのち張ったのが無駄だったって、思わせるんじゃねえ。

 ……。

 てめえの一等だいじな女の最後の願いくらい、叶えてやれ!


 言い、男は彼を突き放し、地面に放り出した。

 くそっ、ともう一度いい、少し離れた瓦礫に座った。

 懐から煙草とライターを取り出す。


 彼は、頬をあかく腫らしたまま、しばらくうごかない。

 男は何度もライターを擦ったが、うまく作動しないようだった。しばらく試していたが、毒づき、諦めた。

 彼は、起き上がった。母親を振り返り、くちを噛み締め、踵をかえして歩いた。男のところへ近寄っていく。ん、と訝しむ男の手からライターをとり、上手に火をつけた。


 ……器用なんだな、おまえ。


 真っ赤になった目と、血がにじむほど噛み締めたくちびる。

 男は、彼の顔をみて、頭に手をのせた。


 俺と来い。

 いいことなんざなにもねえが、死に方だけは、教えてやれる。


 「……きたっ!」


 声に回想を破られ、赤髪の青年は反射的に銃を構えた。

 遠くに自動攻撃人形の影。


 「なあ、あんたの通り名、セリーズって、どんな意味なんだ」


 銃弾を装填しながら男が尋ねる。

 青年は手元の銃に瞬時、視線を落とし、ふっと微笑した。


 「……さくらんぼ。いつかこの銃といっしょに、返すものだ」



 <完>

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