山に消える男 1

 それが視られるようになったのは、今から××年前の事らしい。それは山の中から現われ、山の中に消えていく。正に「山の霊」と言える男だった。男は季節の変化を無視して、いつも重そうな装備を背負い、探検家のような服を纏い、そして、最新の通信機器を持っていた。


 登山家達は、彼の存在を恐れた。彼から何かをされたわけではないが、その存在自体が不気味だったからである。山の中で彼を何度も見ている登山家でさえも、その存在には恐怖を抱いていた。


 「あの男を見たらすぐに逃げろ。阿呆な好奇心で近づいてはならない」と言う風に。一種の畏怖を抱いていたが、登山の初心者達には「それ」が通じなかった。彼等は現在の価値観よろしく、そう言う風習は見下していたし、その風習自体に反抗心すら抱いていた。

 

 俺達が恐れるのは、SNSの炎上だけだ。それから闇バイトが知られる事と、脱税売春婦が警察に暴かれる事だけ。それ等以外は特に興味がなく、周りの女子達から「弱者男子」と笑われる事を除いて、オカルトらしいオカルトは何も信じてなかった。


 大学の夏休み、「地元の山を制してやろう!」と息巻く彼等も。そんな迷信はまるで、信じていなかったのである。彼等は山での注意をほとんど聞きながして、案内役の男子に「それじゃ、行こうぜ?」と言った。「はよう登らんと、日が暮れてまうん」


 周りの仲間達も、その意見にうなずいた。普段は味わえない非日常を感じている彼等には、この時間ですら惜しかったのである。彼等は山登りのマナーをほとんど無視して、ある時は周りが怒るような叫び声、熟練の登山家から「止めなさい」と怒られるような声を上げて、山の登山ルートを登りつづけた。そして、登山ルートの途中に休憩所を見つけた。


 彼等は(興奮で気が大きくなったのか)普段なら守る順番待ちのルールを破って、トイレの順番はもちろん、足湯の場所すら「おお、メッチャ気持ちいい!」と奪ってしまった。「やっぱり、来て良かったな!」

 

 残りの仲間達も、その意見にはしゃいだ。彼等は自分達が世界の中心に居るような気持ち、自分達こそ世界の中心であるような気持ちを味わって、今の休憩所から意気揚々と発ったが……。神様がそれ等の愚行に怒ったのだろう。正確には案内者の意見を無視したからだが、本来の登山ルートを外れて、舗装もされていない山道を歩きはじめたのである。


 案内役の男子は、仲間達の愚行に「止めろ」と叫び、その中核らしき男子にも「そう言うのは、ダメだ!」と諫めたが、幼稚な全能感が心地よい彼等には、それがまったく届かなかった。彼等は案内役の男子を帰らせて(男子は「それ」を否んだようだが、結局は馬に念仏だった)、自分達の好きなように進み、そして、予想通りに迷ってしまった。


 木々の間に座って、自分達の状態を嘆く彼等。彼等は突然の事に冷静さを失い、普通なら捜索隊に「助けて」と叫ぶところを、「こうなったのは、アイツの所為」とか「帰ったら、絶対にぶっ殺してやる」とか言って、建設的な考えをまったく持たなかった。


 挙げ句は、通信の手段すら失ってしまう始末。彼等は中身の壊れたスマホや小川の中に沈んだスマホを眺めて、そこに言いようのない敗北感を覚えた。「俺等、死ぬのかね?」


 それに応えるのは、居なかった。「スマホが生活のすべて」と思っていた彼等には、「サバイバル」と言う発想すらない。ただ、自分達の未来を憂えるだけだった。彼等は山風の冷たさに身体を震わせる中で、あの案内役をまた恨みはじめた。「あの野郎、マジで殺してやる。自分だけ家に帰って」


 ああもう、ガチで死なねぇかな? 彼等は、案内役への罵詈雑言を吐いた。客観的に見れば、「彼等の方が悪い」と言っても。自分の快楽しか考えない彼等にとっては、案内役の裏切りは万死に値する物だった。


 彼等は死への恐怖を誤魔化す意味で、案内役への呪詛を吐きつづけたが……。そこにふと、妙な気配。自分達の背後に迫るような、そんな気配を感じたのである。彼等はその気配に怯えて、気配の方にふと目をやった。「あれ?」

 

 なんだ? 変な男が一人、自分達の方を見ている。まるで「こっちに来い」と言わんばかりに。彼等の事を手招きしては、その足を促していた。


 彼等はその光景に震えながらも、相手が懐中電灯を持っていた事や、彼等に向かって「オオイ」と叫んでいた事もあって、相手が自分達を捜しに来た人物、つまりは「救出舞台の一人だ」と思ってしまった。「助けだ」

 

 そう叫んだ一人につづいて、残りの面々も「俺達、助かったんだ」と叫んだ。彼等は動けない仲間に悪態を付きながらも、男の所にゆっくりと降りて、自分達の救い手に「ありがとうございます!」と叫んだ。「俺等、死ぬところだったんですよ」

 

 男は、その言葉に表情を消した。「無表情」とまではいかないものの、ある種の無感動を見せたのである。彼等は男の案内に従って、月明かりに照らされた山道をゆっくりと降りはじめた。「これでもう、安心だ。温かいベッドで寝られる」

 

 男は、そのわめき声を無視した。そうする事で、彼等の未来を示すように。男は無感動な顔で、夜の山道を歩きつづけた。

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