行灯皿

多田いづみ

行灯皿

 行灯皿あんどんざらというものを手に入れた。

 なじみの店に出ていたのを買ってきた。無地で緑釉りょくゆうの、すっきりとした皿である。


 店の品ぞろえは、現代の作家物が半分、骨董こっとうとまではいかない雑器ざっきが半分で、わたし好みだった。

 そこへは月に一、二度、ひやかしにいく。好みの出物があれば、もちろん買うこともある。わたしの目当てはどちらかといえば、雑器の方だ。


 雑器というのは普段使いの食器のことで、つまり日用品だ。

 厳密に言うと、機械による大量生産品は雑器のうちに入らない。職人が手でひいて形を作り、筆で絵付けした、どこかに手の跡を感じさせるものを雑器という。いろいろな考えがあるが、少なくとも、わたしはそういう基準で買うものを決めている。


 手の跡といっても、日用品だからそれほど凝った細工はない。が、熟練の職人が作るものなので、粗い仕事でも独特の味わいがある。絵付けなら、筆にも勢いがあってのびのびとしている。そして何より丈夫で機能的だ。とくに商売で使われるものは、乱暴なあつかいに耐えられるだけの丈夫さを備えていなければならないし、そうしたあつかいに耐えてきたものだけが残っている。

 わたしは陶製のうつわが好きなくせに不器用でよく割ってしまうから、繊細な作家物よりも丈夫な雑器の方が合う。


       *


 その日も新しく入った品物をあれこれ物色していると、緑色の平たい皿が目に留まった。


 わたしがしげしげとその皿を見ていると、

「ああ、行灯皿ですね」と店主が声をかけてきた。

「行灯皿?」

「行灯なんて今は使わないからご存じないかもしれませんが――行灯皿ってのは、行灯の下に置いて油がたれないようにする受け皿のことでして。ものを食べるための皿じゃありませんが、平べったくて面白いかたちをしているでしょう。それで今でもけっこう人気があるんです。べつに行灯に使わなくても、たとえば花なんかを飾ってもいいし、もちろん食器としても使えますよ」


 言われてみるとその皿は、湾曲がなく、ほとんど真っ平らだった。現代のデザイナーの作といっても通用するような、モダンで洗練された造形をしている。


「いや、それにしてもこの皿は出来がいい。たぶん江戸後期から明治初期の、美濃か瀬戸のものでしょう。ご覧ください、こうして真っ平らにロクロをひくのはえらく難しいんです。ですから行灯皿をひくのは、その窯でいちばん上手い職人だったそうですよ。がんらい行灯皿ってのは、行灯の中にしまわれて他人に見せるものじゃないのに、なぜかだいたい絵付けがされてましてね。こういう無地のものはかえって珍しい」


 わたしは行灯皿について何も知らなかったから、店主の言うことにうなずくばかりだった。しかし、話半分に聞いておくとしても良いものだと思ったし、あとあとダマされたと怒るほどの値段でもない。それでそいつを買ってきた。


 そのあと、ずうっとその皿で食事している。

 わたしはあたらしい器を手に入れると、飽きるまで使いつづけるという悪いくせがあるのだ。

 しかし、こいつはなかなか飽きがこなかった。深みのある緑釉で、皿にのせたものはなんでも美味しく見えるし、ふちが立ち上がっているから、思ったほど外にもこぼれない。意外と使い勝手がよかった。わたしは雑な性格だから、油の受け皿という前歴もべつに気にならない。


 奇妙なことに、その皿を買ったあと体調が良くなってきた。

 食べているものは前と変わりない。いや、むしろ食欲は上がって、以前よりもカロリーをとっているはずなのだが、腹まわりがスッキリして体も軽くなってきた。

 いい年をして脂っこいものばかり好んで食べているのに、健康診断の数値はどこも悪くない。運動も何もしていないのに――。


 それで変な呪いでもかかっていないか心配になってきて、調べてみた。といっても、ただ怪談とか民俗学の本を適当にぱらぱらと読んだだけなのだが。


 行灯にかかわりのある妖怪や幽霊はたくさんいる。夜つかうものだから、そうしたものとの結びつきは、とうぜん大きい。

 行灯の油をなめる坊さんとか、小僧さんとか、婆さんとか、いろいろな妖怪がいて、もうたいへんな賑わいである。百物語の最後にあらわれる青行灯という妖怪もいる。

 なかでもいちばん有名なのは、化け猫だろう。

 行灯の油をなめる化け猫の描写は、怪談にもよくでてくる。行灯には魚からとった油も使われていたから、猫が油をなめることはよくあったらしい。油をなめる猫の影が、行灯の光で何倍にも広がって、おそろしい妖怪に見えたというわけだ。


 しかしわたしはこうも思った。日本的な考えでは、モノには神が宿り意志を持つ。

 行灯皿は油を受けるのが役目だから、受け皿としての役目を失なった今でも、油を欲しているのではなかろうか。そしてその怨念が、皿にのせた食べ物から油を吸い取って、わたしは知らず識らずのうちに健康的な食事をしているのではないだろうか、と。


 もしそうなら、そんな呪いであれば、むしろ大歓迎である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

行灯皿 多田いづみ @tadaidumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説