エピローグ後編 ホムンクルスはROMらない

 ライツァルベッセにあるファルディーン様のお屋敷に滞在して10ヶ月……

 遂に旅立ちの日が来ました。

 長らく火山の灰に包まれていた空が、今日ようやく晴れ、燦然と輝く太陽が窓の外の世界を照らしています。


「やっといなくなってくれるのね。

 よかったわ。あなたがいつまでもいるなんて考えるだけでゾッとするもの」


 相変わらずの憎まれ口を叩いてくるレクシー。

 しばらく見ないうちに痩せられて本当にキレイになられた。

 ファルディーン様への愛が為せる業なのでしょうね。


「ご安心ください。お二人の愛の巣に入り浸り続けるほど暇人ではありませんので」


 ブーツの紐をキュッと結びあげて、私は椅子から立ち上がります。


「それでは失礼しますね。

 いつまでもお元気で、レクシー姉さま」


 私がそう言うとレクシーは腕組みをしてそっぽを向きました。


「せいぜい達者でおやりなさいな。

 ああ、どうしようもなく落ちぶれて行くあてもなくなったら、ここに立ち寄っても構いませんのよ。

 惨めで哀れな妹なら少しは同情でかわいがってあげますわ」


 きっと、いつまでも本当に仲良くはなれないのでしょう。

 そうなるには私達の間には幼い頃からの積み重ねがありすぎましたから。

 だけど、それで良いのだと思います。

 仲良くは出来なくとも、相手のことを認めるくらいのことはできるようになったと思いますから。


 客間を出て、玄関に向かうとファルディーン様がホールの柱に寄りかかって私を待っていました。


「今日はいい天気です。

 絶好の旅日和でしょう」


 さわやかに窓から差し込む光に目を細めるファルディーン様。

 舞台に立っていなくても絵になる方です。

 レクシーが夢中になるのも分かるというものです。


「ファルディーン様、本当にいろいろありがとうございました。

 リムルちゃんを預かってくれたこと、彼女の養子手続きを進めてくれたこと、それにクルスさんからの手紙を預かっていてくれたこと」

「どれもお安いご用ですよ。

 クルス殿と私は無二の友ですから」

「それブレイドさんが聞いたら嫉妬しそうです」


 ファルディーン様は優雅にフフフと小さく笑いました。


「いつでも来てください。

 あなたは私にとって義妹なのですから」

「ええ。姉さまをよろしくおねがいしますね。

 ファルディーン義兄様」



 イフェスティオ帝国の帝都を火山の噴火による火と岩が襲ってから約1年。

 私はようやく明日に向かって歩き始める気持ちの整理と準備ができました。


 命からがら、私があの大災厄から逃げ延びて、遠回りをしてライツァルベッセにたどり着いた頃にはもう1か月の月日が経過していました。

 ライツァルベッセには帝都からの避難民で溢れていて、食糧も資材も労働力も足りないということで、私は同じく避難されていた皇后様を通じて、避難民の皆さんの新しい住居の建設や別の町への移住のお手伝いをさせてもらっていました。

 目の回るほど忙しい日々でしたが、クルスさんを失って傷心だった私にはちょうどよい忙しさだったと思います。

 それはリムルちゃんにとってもそうでしょう。


 リムルちゃんはクルスさんの遺志とファルディーン様の計らいで、クルスさんの養子として認められることになりました。

 そのことにより、身分も奴隷から男爵令嬢となり、堂々とダリル殿下の側付きとして働かれています。

 また、ダリル殿下はソーエンに留学し剣術を学んでいらっしゃいます。

 留学というのは建前で本当のところは同盟締結の証として人質にされたというのが本当のところでしょう。

 そのことの是非を問いたい気持ちがないわけではありません。

 ですが、お会いしたダリル殿下は自らの役目をその小さな体でしっかりと背負っていました。

 だから、殿下をお支えするためにリムルちゃんも殿下についていったのです。


 リムルちゃんには本当に申し訳ないことをしてしまいました……

 家族となるつもりで3人で暮らしていたのに、結局、こうやってバラバラになってしまったのですから。

 それでも、出立の日の朝、


「シルヴィウスの家名を汚さぬよう忠道に邁進します」


 と、宣言した彼女の凛々しい顔に私は救われると同時に背中を押される思いでした。

 私も自分にしか出来ないことをやらなくてはならない、と。




 街中に出た私は新聞を買って、カフェのサンドイッチを食べながら眺めました。

 すると、その紙面の片隅に探していた記事を見つけました。


『故クルス・シルヴィウス男爵に名誉将軍章授与』


 と見出しには書かれています。

 内容は大災厄から帝都の人々を避難させる上で多大なる貢献をしたとされていますが、本当の功績は魔王ペーシスを倒したことにあります。

 私の見届けたその一部始終をイスカリオス様にお伝えすると、あの方は大層驚いていました。

 曰く、あのペーシスという魔王はイスカリオス様ですら歯が立たないと決戦を避け続けていた魔王らしく、それが倒れた事は魔王軍との戦いにおいて人類側にとって大きな前進であるとのことでした。

 本当にクルスさんはすごい方だと思います。


 ああ、イスカリオス様といえば、半年ほど前にご結婚されたようです。

 お相手はエヴァンス皇太子さまの長女のレイチェル様。

 お歳はまだ14歳とのことですが、イスカリオス様に大層憧れていた御様子で念願叶ってとのことです。

 巷では政略結婚だの公爵邸での決闘はどうなったのだの悪い噂を立てる人もいるそうですが、あれでいて情の深いお方です。

 きっと、自分を慕う少女を無下にすること無く、大切にされることでしょう。



 街の外に出ると、荒野を柔らかな風が撫で付けていました。

 目の前には街道が地平線に向かって伸びており、ポツポツと馬車や旅人が見られます。


 さあ、旅の始まりですね!


 私は頭の中ではっきりとそう思い浮かべます。

 すると、



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『そうだな。あまり無理はするなよ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 と、妖精さんが言葉を返してくれました。

 思えば、この妖精さんのおかげで、私は生き残れた。

 そんな風に思います。




 約1年前、イフェスティオ山の渓谷にて————



 私の腕の中でクルスさんは光になって消えました。

 身につけていた鎧や服はともに光となりましたが、私のつけていたリボンだけがその場に残されました。

 グラグラと揺れる大地に拳を叩きつけて私は子供のように泣いています。


「うぅっ……クルスさぁん……クルスさぁん……」


 火山の山頂から吹き出す煙も炎もどんどん強まっていきます。

 そのうち、私がいる場所にもその炎はたどり着くでしょう。

 それでいい、と思いました。

 私が生きたいと思える理由はもう何もなかったんですから。


 だけど……


 落ちていたリボンを拳をギュッと握り込んで立ち上がります。

 涙を服の袖で拭い、走り出します。

 どこに向かえば良いのかはわからないけど、とにかく前へ。


 私の目の前でクルスさんは死にました。

 もっと生きたいと嘆きながら。

 私に、生きてと願いながら。

 だから、たとえどんなに辛くても、生きる意味が見つからなくても理由はある。

 クルスさんが守ってくれた、生きて欲しいと願われた命だから、自ら投げ出すわけにはいかないのです。


 大きな揺れが起こりました。

 私は前につんのめって倒れてしまいます。

 そして、谷中にゴゴゴゴゴ……と轟音が響き渡っています。

 きっと火山から溢れ出した岩や炎が押し寄せてくる音でしょう。

 もう、あまり時間はないようです。

 いったいどこに逃げればーー



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

 ー

『————』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ん? 今……頭の中に何かが?



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【】

『————れ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 また……これはいったい?



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『右手の斜面を登れ!』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



「ええっ!?」


 今、はっきりと頭の中に文字が浮かび上がりました。

『右手の斜面を登れ!』

 って……


 たしかに右手には斜面があります。

 斜面……というより崖……

 こんなの登れるわけが……



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『今のメリアなら登れる!

 早くしろ!』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 この【◆転生しても名無し】って……名前でしょうか?

 それに私の名前を知っている。


 半信半疑のまま私は崖を必死で登りました。

 そして頭の中の文字に導かれるまま進むと、横穴のある岩場にたどり着きました。





 その後、私はその穴からサンタモニアにあるオーベルマイン学院の地下に移動し、なんとか大災厄から逃れることに成功しました。

 ライツァルベッセに戻る道のりはもちろん、クルスさんの死を受け入れようともがいていた今日までの間、ずっと妖精さんは私の頭の中で言葉を発し続けてくれました。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『国内を闇雲に探しても期待は薄い。

 縁のある口の固い人間に協力を頼もう。

 そうするとーー』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△


 最初の目的地はソーエンですね。


 ブレイドさんにお会いしたいですし、リムルちゃんや殿下のご様子も知りたいです。

 それにブレイドさんとククリさんとの間に出来た子供のことも……


 ブレイドさんとククリさんの子供。

 男の子だろうか、女の子だろうか。

 お父さん似のやんちゃな子供だろうか。

 お母さん似のしっかりした子供だろうか。

 どうにしても楽しみでありません。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『なあ、メリア……本当に良いのか?』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 何がです?



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『ファルディーンも、レクシーも、イスカリオスも、ブレイドも、ククリも。

 結婚したり子供を作ったりして幸せを築いている。

 お前だってその気になればいくらだって縁談の話はあったろう。

 イスカリオスだって、結婚前は傷心のお前を気遣って何度も様子を伺いに来てくれていた。

 こんなあてのない旅をしていればそう言った幸せを掴みそこねることになるぞ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ……妖精さん、案外、俗な事を気にしますね。

 でも、その忠告は聞き流してしまいますね。

 これは私が決めたことなんですから。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『死んだ男に縛り付けられるのは正しい生き方なのか?』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 私は思わず、足を止めます。

 縛り付けられている……


 たしかにそうかも知れません。




 ライツァルベッセに戻ってすぐ、ファルディーン様にお会いしました。

 彼はクルスさんから遺書を預かっていたのです。

 それはアイゼンブルグに向かって出立する前に書かれていたものでしたが、そこには私に伝えたい気持ちが溢れた言葉で埋め尽くされていました。



『この手紙を読んでいるということは、僕はあなたのもとに帰れなかったということだろう。

 許して欲しい、とは言わない。

 許してくれなくて構わないと思っている。


 僕はずっと怖かった。

 あなたを残して死んでしまうことが。

 そのことがあなたを傷つけてしまうことが。


 だから、せめてもの心の整理のためにこの手紙を送る。



 僕はあなたを愛している。

 それは僕が死ぬ時も死んだ後だってずっとだ。

 だけど、そのことにどうか縛られないで欲しい。

 僕があなたを愛したのは君を幸せにするためであって、決して邪魔をするためではないからだ。


 好きな人ができれば結婚すればいい。

 子供を作ればいい。

 僕のことを忘れたっていい。


 生きているものは生きているものとしか関われない。

 僕はもう思い出の中にしかいない。

 その思い出が甘く優しいものであったとしても、それだけでは生きていけない。

 あなたを生かすのは未来へと続く希望だ。


 僕もそうだった。

 生きる、というシンプルな目的を定めていただけの空っぽの僕に中身をくれたのはメリアだった。

 あなたを守り、あなたと楽しい思い出を積み重ねていく中でこの先の世界を見たいと思うようになった。


 だから僕はメリアを守るという気持ちが生まれた時に初めてこの世に生を受けたのだと思っている。

 メリアの身体を心をメリアを取り巻く世界をすべて守りたい。

 たとえこの身が滅んでも、この想いは消えはしない。

 メリアのこれからの人生が幸せに包まれたものになるように、ずっと……』



 この一年の間、何度も何度も読み返して泣いた手紙。

 まぶたを閉じれば一言一句思い出せてしまいます。


 だからこそ、私はクルスさんができなかったことをしてあげたいと思うのです。


 クルスさんの手紙はもう一通ありました。

 その中には、私の体をフローシアさんに診てもらうこととか、リムルちゃんの身分のこととか、ライツァルベッセに自分の肖像画があることとか、延々と、私に教えたかっただろうことが羅列してありました。

 そしてその中の一つに、レイクフォレストの教会で生まれたバースくんのことについて書かれていました。


『……このことを世界で知っているのは僕だけかもしれない。

 レイクフォレストの教会で生まれた赤ん坊のバースのことを覚えているか。

 結論から言うと、彼はユーグリッド族とイフェスティオ王家の両方の血を継いでいる。

 それは英雄の血統とされ、将来、魔王軍すら討ち滅ぼす大英雄になるかもしれない資質を秘めているということだ。


 僕はその事に気づいた時、大いに悩んだ。


 力を持っているからと言って他人が戦うことを強要するのは間違っていると思う。

 だが、そのことを知らないまま暮らすにしても、彼の力は争いを招く可能性が高い。

 せめて、自分で降りかかる火の粉を払える程度の力を身につけるべきだ。

 だから、彼に自分がそういう存在であることを教えてあげて欲しい。

 その後の彼の生き方を定めるのは彼自身だが、メリアならその相談にも乗ってあげられると思う』



 魔王軍との戦いは未だ続いています。

 この終わりなき戦いに終止符を打ってくれる英雄の出現を誰もが望んでいます。

 ですが、私はそのためにバースくんを探そうとしているのではありません。

 クルスさんと私で取り上げて守り抜いた命の行く末をただ知りたい、力になれるならばなりたい、と思ったからです。




▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆転生しても名無し】

『……クルスというヤツはあなたに面倒な荷物を背負わせたものだ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 荷物のない旅なんてありませんよ、妖精さん。


 それと、私の幸せを勝手に決めつけないでください。

 今はクルスさんの遺志を継いで旅に出ますけど、先のことなんて分かりません。

 もしかしたら旅先で素敵な男性と恋に落ちるかもしれませんしね。


 フフッ、そうなったら妖精さんは嫉妬したりなんかしますか?



 私はからかうように妖精さんに尋ねてみます。

 妖精さんは長く間をおいて、



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『ホムホムだ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 と言葉を返してきました。

 ……ホムホム?



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『いつまでも名無しの妖精では使い勝手が悪い。

 これからはホムホムと呼んでくれ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ホムホムさんですね。了解です。

 なんだか可愛らしいような面白いような名前ですね。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『僕がつけたわけじゃない。

 まあ、気に入らないわけじゃないけど』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 じゃあ、ホムホムさん!

 今度こそ前に進みましょう!


 私は大きく一歩、足を踏み出した。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『本当に無茶はするなよ。

 魔王軍の魔物が大陸内に侵入しているという話もある。

 女の一人旅なんて襲ってくれと言っているようなものなんだ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 大丈夫ですよ。

 昔と違って今回は戦闘訓練も受けましたし。

 クルスさんがくれた力のおかげで並の男性じゃ私に敵わないんですから。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『過信が一番怖いんだ。

 せめて護衛してくれる人間がいればいいんだが』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ホムホムさんがいれば十分ですよ。

 ずっと私に声をかけ続けていてください。



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『……そうだな。

 ROMらないようにする』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ろむらない?



▽*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:▽

【◆ホムホム】

『困っている時、悲しんでいる時は力を貸す。

 喜んでいる時、楽しんでいる時はいっしょになってはしゃぐ。

 明日も、明後日も、その先も……

 そうやって、メリアのそばにいる。

 僕はメリアを守る……そういう意味だ』

△*+*+:*+*+:*+*+:*+*+:△



 ホムホムさんのその言い方……

 なんだか懐かしい感じがして、涙が出そうになります。


「守られてばっかりですね。

 私って……」

 

 簡単にひび割れてしまう脆い心を揺らしながらも前に進みます。

 地面を踏みしめる足の感触が、自分が立っていることを知らせてくれます。


 涙がこぼれないよう空を見上げて見ます。

 雲ひとつない空はどこまでも高くて、悲しみも涙も吸い込んでくれるように思えます。


 ここにいないあなたに呼びかけてみます。

 そうすることで、勇気や生きる力がもらえる気がしますから……




「ねえ、クルスさん。

 私、生きていますよ」




——おわり——

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ホムンクルスはROMらない〜異世界にいるホムンクルスがレス返ししてきた件〜(WEB版) 五月雨きょうすけ @samidarekyosuke

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