エピローグ
「はい、どうぞ」
新しく割り当てられた専用の執務室で、スーはノックに応えた。扉を開けて姿を見せたのは、旧知の美女だった。
「邪魔をするぞ、スー」
「リリコ様!」
スーは勢いよく立ち上がり、小走りでリリコに近づく。
「珍しいですね、ここに……宮殿に来られるなんて。てっきり、まだ山の上にいらっしゃるものかと……まさか、何かあったんですか?」
にわかに緊張した面持ちになって、スーが言う。リリコは首を振って笑った。
「いや、そういうわけじゃない。あそこの名前がディスカーリカからプルウィウス・アルクスに変わった他には、大きな出来事はないよ」
「そうですか――でも、それは仕方のないことですよ。ディスカーリカの意味は『ゴミ捨て場』ですから」
「プルウィウス・アルクスは『虹』だったか。スーの意見が通ったと聞いたが、本当か?」
スーは照れくさそうに頭を掻いた。そのあどけない顔を見て、要職に就いたとは言え、その中身はあまり変わっていないようだとリリコは安心した。
「向こうではずっと、充実した時間が流れているよ。古代の研究の調査、新しい音楽の追求。気が付けば一日が終わっているような感じだ」
「それなら……でも……」
スーが人差し指を顎にあてて、中空を見る。
「トリル様達でしたら、ノルドだと思いますけれど」
リリコは思わず声をあげて笑ってしまった。
「相変わらずだな、スー。思考の初めに、あのふたりがいる」
「それはもう、大切な人達ですから。もちろん、リリコ様も」
「シラブルも、な」
スーのはにかみが少し硬くなって、顔が紅潮していく。
「そ、それは……そ、それで、御用件はなんですか?」
咳ばらいを一つして、スーが真顔をつくって言葉を紡ぐ。リリコはまた笑ってしまいながら、実は――と切り出した。
「旅に出る前に、一度、君達の足跡を改めて読んでいこうと思ってな。断片的に話は聞いていたが、最初から最後まで、一連を知りたかったんだ」
「えっと、その旅というのは……もしかして『西大陸』に、ということですか?」
リリコはこくりと頷いた。
「ああ。いつか旅に出たいと思って森で過ごし、森を出て君達と戦い、そこへ新たな冒険の舞台の存在が明らかになった。となれば、そちらに足を運ぶのは、成り行きとしては自然だろう?」
「それはそうですけれど、『西大陸』には……」
スーが開いた口を、リリコは手のひらで制した。もがもが言うスーに、
「前情報は仕入れないまま行きたいんだ。実は、トリル達からも、ほとんど何も聞いていない」
リリコの言葉を聞いて、スーはふっとほほえむ。
「その方が、冒険らしいですものね。ほとんど何も……というのは、つまり、あの二人に関わること以外は、ということですか」
「そうだな。結果として彼女らが幸せになるという確信がもてた時点で、それから先は遠慮させてもらったよ」
少し前に帰ってきた彼らの様子を、リリコは思い浮かべる。旅から帰還したその表情は明るかった。
「幸福の形というのは人それぞれなのだろうが、少なくとも、私はトリル達が心から納得していると感じたから、それでいいと思ったし、心残りはない。二人は他にも何かと話をしたがったが、余計なことまで聞かされそうでな。逃げるようにカステロに来て、それからここに来たんだ」
そうでしたか、といいながら、スーがまた小首を傾げる。
「なんだか、少し前からカステロに来ていたように聞こえるのですが……」
「着いたのは、二日前だったかな」
スーが目を大きくして、それから口を尖らせた。
「どうして会いに来てくださらなかったんですか? 一緒にお食事をとることも、お話をすることもできたのに……」
頬を膨らませるスーに、リリコが慌てて言葉を次ぐ。
「すぐに訪ねようとも思ったんだが、先に君たちの旅の足跡に目を通してからの方が、そこで沸いた疑問なんかも聞けると思ったんだ。君の記録を、一通り読ませてもらったよ。もっとも、私が知っている部分もあったが」
「それで、何かお聞きになりたいことが――?」
不安そうに上目遣いになるスーに、リリコは首を振って答えた。
「いいや、何も。それどころか、君達の足跡を知って、居ても立ってもいられなくなってしまった。元気そうな君の顔も見れたことだし、私は発つとするよ」
「え、もう、ですか? せっかくですから、お食事くらい……」
スーのせがむような視線に、リリコは笑いながら首を振った。
「トリルにも同じように誘われたが、断ってきたんだ。新天地、西大陸が私を待っているからな」
リリコの草色の目の輝きを見て、スーも諦めたように微笑む。
「――分かりました。帰ってきたら、お話、たくさん聞かせてくださいね」
「ああ、もちろんだ。旅の終わりがいつになるかは分からないが、まぁ、君とシラブルと関係が一歩前進する頃には帰ってくると思うよ」
「も、もう! リリコ様ってば!」
スーが顔を赤くして、リリコはハハと笑って応えた。
「まぁ、君達人族が寿命を迎える前には帰ってくるよ」
「
それからいくつかの言葉を交わして、リリコはスーの執務室を出て、宮殿から街に出た。サァッ、と風が吹き抜けていく。
リリコは、あらためて思う。
森は広く、心地よかった。石造りの町は、森よりずっと広いが、どこか寒々しくて、心細くもある。ふるさとはよかった。だが、ふるさとはよかった、と思えるのは、離れた経験があるからだ。もしかすると、もっと素晴らしい場所があるかもしれないし、想像もつかないような過酷な環境もあるのかもしれない。もしかしたら……そうやって想像を巡らせるだけで、リリコの胸はかすかに高鳴りを始める。
「さて――今日はどこまで進もうか」
リリコは突き抜けるような青空を見上げて、まだ見ぬ世界に思いを馳せた。
ゆきて紡ぎし物語〜虹の乙女と影の予言〜 成井シル @ventarble
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