第97話

 トリルは、女王の金色の瞳を見据えて、言葉を紡ぐ。

「欲しいものがないので、お願いを聞いていただけますか」

「お願い?」

「はい」

 トリルはゆっくり息を吸って、呼吸を整えた。

「他の種族、他の国と、仲良くして下さい。かつて、この世界がそうであったように、いえ、それ以上の世界になるように」

 トリルが言い終えると、アリア様は穏やかに笑った。

「予言に謳われし乙女の願い、確かに承った。モナルキーア王家正統の女王として、身命を賭して、全ての種族、全ての国との友好を目指そう」

 それから二人は、歩きながら色々な話をした。夜伽の話になったときはトリルも思わず赤面したが、口外した場合は極刑に処すぞと笑顔で脅されてすぐに顔が青くなった。

 それからまた数日が経ち、トリルとアインは「その日」を決め、ふたりを知る者達に伝えて回った。

「これを持って行ってください」

 インテルメッツォが渡したのは、新しい外套だった。

「古の都で発見された古代の魔法を用いて試験的につくられたものです。水精アクアの力と火精イグニスの力が込められていて、中の温度を一定に保つとともに水や汚れを弾いてくれます。『天幕要らず』とでも名付けましょうか」

 トリルはありがたくそれを受け取った。館に帰ると、ささやかな見送りの宴が催された。

「ふたりとも、気をつけて行ってきてね」

 食事の途中でソワレが言葉を紡いで、トリルは驚いてしまった。これまでは、彼女が言葉を発する場面がほとんどなかったし、はじめの頃はまるで無感情に見えたくらいだったからだ。

「恋心ってやつよねぇ、まさかソワレが自分からこんなことを言うなんて」

 マチネがしみじみと、しかし複雑そうな顔をしている。

「私と離れている間、ここの馬の世話を担当しているオラトリオっていう人族と仲良くなったらしいの。まさか、ここでも人族と人馬ケノスがそうなっちゃうなんてね。おかげであんなに変わっちゃって」

「お姉ちゃんだって、トリル達と旅をして、変わった。よく笑うようになったもの」

 明るい表情で言う妹に、姉は照れくさそうにはにかんだ。

「まぁ、それは否定しないけど」

「最初に会ったときなんて、こんなに目を吊り上げてたもんね。お前は人馬ケノスを滅ぼすつもりか、ってさ」

 トリルがマチネの声を真似て、眉も手で上げて言った。

「悪かったと思ってるわよ。本当、お願いだから良い知らせを持って帰ってきてよね。あなた達の関係を知っている人達に、後ろから刺されたくないもの」

 マチネが肩をすくめる。

「考えてみれば、私が月の導きで得たのは、種の存続のためのきっかけっていうだけだからね。すぐにアインと出会えたから直結させてしまっただけで、絶対的なものではないと思ってるわ。今ではね」

 マチネの言葉を、ソワレが静かに笑いながら聞いている。

 ふと、スーを見る。スーは、何も言葉を発していなかった。笑みを浮かべてはいるが、ソワレのものとは対照的に、どことなく寂しそうだ。これまでずっと一緒に旅をしてきたから、離れてしまうのが寂しい――自分がそう思っているように彼女も感じてくれているのなら、なんとなく、嬉しい気がした。

「旅の期間は、半年ってことでいいのね」

 マチネが言葉を紡ぐ。

「そのつもりだ。もちろん、人馬ケノスを見つけることが出来たら、予定を前倒しにして帰ってくることも考えられるが」

「あれ、そうなの? 私は、見つかってもゆっくり旅をして回ろうと思ってたんだけど」

「そうだったか? 帰ってきてから、また旅に出ると言っていたと思うが」

「それは、半年が終わってからだってば。そうしたら、今度はリリコに声をかけにピエトラに行くの」

「いや、リリコのところにいくのは――」

「はいはい、そのあたりのことは、旅をしながら二人でゆっくり決めて頂戴」

 マチネが呆れた表情で言う。

「本当に、二人だけで大丈夫なの? つまるところ、あなた達の旅を支えてきたのはスーだったっていう気がするんだけど」

「それは認めるけど……でも、スーはスーで、やることがあるんだもんね」

 スーは匙も置いたまま、なんの反応もしない。

「スー?」

 もう一度声をかけられて、彼女はハッとしてトリルを見た。

「は、はい。すみません、ちょっと考え事をしていたもので」

「ちょっとちょっと、大丈夫なの? 三人とも、一段落して気が抜けちゃってさ」

 笑うマチネとソワレに、トリルは苦笑しながら、また話題を変えてその時間を楽しんだ。それじゃあそろそろ、と誰かが言って、みんなが席を立った。翌朝の食事を終えたら出立することを確認し、その場は解散となった。インテルメッツォが、見送りを希望する者のために、一度宮殿に立ち寄ってほしいと言ったので、二人は了承した。

 部屋に戻り、装備の確認をして、荷物を整える。マチネが口にしていた通り、アインがいるとはいえ、スーが一緒ではないことを考えると、これまでの旅よりも色々と頑張らないといけない。彼女に頼っていた部分が大きいことは、自分でよく分かっている。特に旅の最中の食事に関しては、食糧の調達から調理まで、自分がすることが多くなるだろう。

 あれこれ考えながら作業をしている内に、外はすっかり暗くなって、月明かりが煌々としてきた。明日からまた歩くから、そろそろ寝なくっちゃ――そのとき、コンコンコンと扉が鳴った。

 開けると、立っていたのはスーだった。

「スー……どうしたの、こんな遅い時間に」

 スーの目が、真っ赤だった。ついさっきまで泣きはらしていたようなふうだった。

「すみません、夜分に」

 とりあえず入って、と言い、スーを部屋に招き入れる。旅立つ準備はほとんど済んでいたので、部屋はきれいだ。寝るだけにしておいたベッドに腰掛けて、スーを横に座らせる。

「何かあった?」

 スーはふるふると首を横に振った。

「覚悟を決めるのに、時間がかかってしまって」

「覚悟?」

「トリル様と、お別れする覚悟です」

 ぎゅっと拳を握って、スーが小さく言葉を紡ぐ。

「お別れって……半年だよ? 少しはずれるかもしれないけど、一生会えないわけじゃない。オンブラの危険性はまだ少しあるだろうけど、アインが一緒だし……」

「違います」

 スーが呟いて、言葉を次ぐ。

「私、一生会えなくなる気持ちを、ちゃんとつくってきました」

「どういうこと?」

「半年で帰らず、ずっと、おふたりで旅を続けて下さい」

 スーはうつむいて、自分の手を握ったまま続ける。

「おふたりが、お互いに想い合っている。それでいいじゃないですか。私、おふたりに添い遂げて欲しいんです。なんの憂いもなく、しがらみもなく。マチネ様を悪く言いたいのではないんです。でも……半年で帰ってこずに、そのままふたりでどこかを旅し続けたって、誰も、文句は……」

 言いながら、スーの声が震え始めた。そして、彼女の翡翠色の瞳が、あふれる涙でにじむ。

「それじゃ、スーに会えなくなっちゃうよ」

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