第96話

「ティアドロか。首紐が変わっているな」

「コロラトゥーラさんに、つけかえてもらったの。ずっと見せたかったんだけど、機会がなくって」

 そうか、と言ってアインが微笑む。

「似合ってるぞ。きれいだ」

 思わず、顔が熱くなる。

「そ、そういう顔と、こういう雰囲気で、指輪もつけてくれればよかったのに」

「やり直すか? つける指の指定があるのだから、作法もあって然りだったな。どういう風にすればいい?」

「そ、それはいいよ。次の旅が無事に終わったら、教えてあげるから」

 ふたりは支度を済ませ、スーと合流して石の都を発った。スクードの長城は、その封印が解除されていた。

「アクート王のご命令で、帰還される他の種族の方々のために急いで参りました」

 早馬で長城にやってきていた鉱人ドワーフの魔術師一行が、そう言った。森人エルフの魔法の力なしで長城は通過することが出来るようになり、二人は王都への帰路についた。

 長城を抜け、西の街オーヴェストを通り、王都カステロへ。野営をしながら、三人はゆっくりと進んだ。途中、同じように国に帰る騎士達や牛人ミノス達、水人フォーク森人エルフ達とも歩いた。みな、口々に、オンブラを見る回数が明らかに減ったことを喜んでいた。まったく目にしないわけでは無かったが、見かけてもこちらに仕掛けてくること無く逃げていく姿もあった。

「ディスカーリカのあの装置は、大陸中のオンブラの要因になっていたのかもしれません」

 スーが言った。

 王都で三人を待っていたのは、アリア女王直々の労い、クプレ大臣の賞賛、インテルメッツォの感嘆、そして――トリルへの両親からの叱責だった。

「戦に参加したというのは本当なんだな」

 スーの館の一室で、トリルは姿勢を正して座らされていた。アインは、別の部屋で休んでいる。スーは、宮殿に残ってアリアと話をしている。向かい合うトリル親子から少し離れて、インテルメッツォが腕を組んで天井を仰いでいた。

「コロラトゥーラ殿が王都に向かうと言っていたから、手伝えることがあればと我々も来てみれば……インテルメッツォ殿からとんでもない話を聞かされたぞ」

 トリルはうつむいたまま、父の次の言葉を待つ。

「滅亡の危機に瀕している鉱人ドワーフ族を救うための戦があり、その最前線を希望したと」

 トリルはうつむいたまま、小さく頷く。

「しかも、水人フォークの国を訪れた際には、剣を肩に刺されてひと月安静にしていたとも聞いた」

 トリルは、また、小さく頷く。どうやら、インテルメッツォが、父に丁寧に事実を説明してくれたようだった。彼もまさか、自分が両親にそういうことを言っていないとは思っていなかったのだろう。居心地が悪そうに、かと言ってこの場にいないわけにもいかず、ただ立っている。

「無事に帰ってきたからいいようなものの……」

 父が頭を抱えると、今度は母が口を開いた。

「他に、何か言ってないことはないの?」

「えっと……」

 私は、左手薬指の指輪を親指で撫でた。人族でない彼と、制度としての婚姻関係を結んだわけではない。だから正式な関係になっているわけでは無いが、そもそも、アインと懇意になっているという話自体をしていない。

「アイン――なんだけど」

人馬ケノスの彼だな。仲良くしてもらっていると聞いているが」

 彼との関係について、インテルメッツォがどんな説明をしたのか分からなかった。ただ、自分の口から、きちんと言う方がいいだろう。トリルは意を決して、指輪を見せた。

「アインと、想い合ってる。彼と、ずっと一緒にいたいと思ってる。ただ……人馬ケノスが種族として存続していけるかどうかが分からなくて、そのために、他の人馬ケノスの女性と子どもを育まなくちゃいけないかもしれない」

 父も母も、黙ってトリルを見て聞いている。

「だから、あと半年だけ、アインと旅をする。それで、他の人馬ケノスを見つけることが出来たら、その問題は解決出来るから。もしも見つけられなくても、私は、アインと一緒に暮らしていきたいと思ってる」

 話し終えると、喉がからからだった。

「まだ十六だぞ」

「もう十六だよ」

「相手は人族じゃないんだぞ」

「彼は素敵な男性だよ」

「つらい思いをするかもしれないんだろう」

「それ以上に、しあわせな思いをするよ」

 父は、黙ってトリルを見た。母が言葉を次いだ。

「一緒に暮らしていくっていうのは、彼らのように旅の生活をするということ? それとも、街に定住するということ?」

「それは……」

 王都カステロに帰ってくるまでの間で、アインとはその話題になっていた。当分旅はするかもしれないが、いつかは、定住するのがいいんじゃないか、という話に落ち着いていた。

「すぐにではないけれど、いつか、旅は終えるよ」

 母は鼻から息を吐き、あらためてトリルを見据えて口を開いた。

「何も問題なければ、ノルドで暮らしなさい。近ければ、力になってあげられるから」

「お母さん……」

 母がにっこり笑ってくれた。父は腕を組んで、ぶすっとしている。でも、あの顔は、怒っているときの顔ではない。

「アインくんならば、危険を遠ざけてはくれるだろうな。彼が望むなら、鍛冶も教えよう。手に職をつけない男など、認められんぞ」

 うん、とトリルは頷いた。

「彼とは一度、男同士で話をする必要があるな。王都に留まっている間に、その機会をつくるとしよう」

「その場は、私が協力して設けましょう」

 インテルメッツォが口を開いた。こうして家族は落ち着くべき所に落ち着き、それから数日の間は平穏な時間を過ごした。アインは毎晩のように父に連れられて、日によっては街中の酒場に行き、顔を赤くして帰ってきていた。

 スーは、宮廷魔術師としての仕事をこなしながら、ディスカーリカに向かう算段を着々と立てているようだった。父であり上司でもあるインテルメッツォも現地に行きたがっていたが、その都度報告のものを王都に帰らせるためには長は留まっていなければならないとスーが力説し、とにかく自分が調査に赴けるように全力を尽くしていた。

 そんな中、トリルはアリアに呼ばれた。

「インテルメッツォから聞いたぞ。奴に与えられるはずだった、願いを聞き入れるという権利を、トリル、お前が持っていると」

「はい。旅のはじめに、そういう話にしてしまいました」

 宮殿の中庭を歩きながら、ふたりは笑った。中庭にはたくさんの花が植わっていて、旅をしてきた中でも見ることの無かったような美しい景観だった。

「それで、見事予言を成就させた『虹の乙女』は何を望む?」

 アリアが微笑する。

「たくさん考えて、スーにも相談したんですけど……」

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