第95話

「おはようございます、トリル様」

 柔らかな光に目を覚ます。体を起こしながら、髪を梳かしていつもの馬の尾の形に整えているスーを見る。こじんまりとした部屋には、トリルとスーのふたりだけだった。

「おはよう、スー……みんなは?」

「まだ寝ている方もいらっしゃいますし、もう出かけられた方もいらっしゃいますよ」

 トリルはぐっと伸びをしてベッドから立ち上がる。スーの耳飾りが、陽光にきらめいていた。そういえば、昨夜、シラブルが耳飾りの約束が、ということを言っていたけれど、どんな内容なんだろうか。気にはなったが、トリルは聞かないことにした。きっと、そのときが来れば、スーから話してくれるだろう。自分も、アインとのことで、彼女に伝えていないことはある。

「なんだか嬉しそうですね」

「そう? いつも通りだよ」

 トリルは手ぐしで髪を整えて、衣服も直した。

「アインは?」

「アクート王に用があるとのことで、早く発たれました」

 そっか、と言いながら、トリルはスーを見た。

「ねぇ、スー」

「はい?」

「モナルキーアに帰って、そのあと、どうするの?」

「アリア様に、戦いの報告を。そして、これまでの旅の記録をまとめます。とは言っても、前半部分は既にまとまっていますから、残りはクラテーレのこととピエトラのことだけになりますけれど」

 うん、と頷きながら、トリルはじっとスーを見る。翡翠色の瞳が、トリルを見つめ返している。

「そのあとは?」

「ディスカーリカの調査に参加させてもらおうと思っています」

 しっかりトリルを見据えて、はっきりと彼女は言った。一緒に旅をすると思ってた――という言葉がトリルの頭に浮かんだが、口から出ては行かなかった。

「トリル様は、決められたんですか?」

「前にも言ったとおり、アインと旅をするよ。半年だけ、人馬ケノスを探す旅を」

 そうではなくて、とスーが言う。

「アリア様に何をお願いするか、ですよ」

「ああ……」

 そういえばそんな話もあった。

「やっぱり、思い浮かばないんだよね。カステロに帰る道中で考えるよ」

「トリル様の功績を考えれば、大きなことでもアリア様は認めて下さると思いますよ」

 スーが笑う。

「スーだったら、何をお願いする?」

 親友が首を傾げる。

「難しいですね……物的に欲しいものは特にありませんし」

「じゃ、帰るまでに一緒に考えてよ。いいやつを採用するから」

「分かりました。でも、私は何も思いつかないと思いますよ」

 ふふ、とスーがかわいらしく笑った。二人は簡単に朝食を済ませ、アインの帰りを待った。他の皆は、すでに思い思いに動いていて、トリルがアインの戻り次第出立することを伝えると、わかったと言って了承した。

「みなさん、あっさりしたものですね」

「それぞれの街を訪れて、お別れして、すぐに再会したわけだからね。すぐまた会える、って思ってるんじゃないかな」

「なるほど。そう言われてみると、確かに私もそんな感覚があるかもしれません」

 ほどなく、アインが戻ってきた。

「王様に用事って、なんだったの?」

「俺が、というよりも向こうの都合だ。戦いが終わったら王の所に来るように呼ばれていたのでな」

 そう言って、アインは手のひらを差し出した。そこには、あの大剣と同じような美しい光を放つ指輪が二つあった。

「俺の分と、お前の分だそうだ。それぞれ、左手の薬指につけろと指定までされたぞ」

「それって……」

 トリルは、耳が熱くなっていくのが自分で分かった。視界の端で、スーが両手で口元をおさえているのが見える。

「なんだ?」

「アイン様!」

 スーが聞いた事のない高さで言葉を紡ぐ。

「む?」

「人族のならわしで、男性が女性に指輪を渡す際は、つけてあげることになっているんです。是非、そうしてください!」

 スーの様子に驚きながらも、そうなのか、と言って、アインはなんともない顔で指輪をひとつつまみ、トリルに向ける。

「あ、あのさ……」

 トリルは手を差し出さないまま、言葉を次ぐ。

「左手薬指に指輪をつける意味、知ってるの?」

 アインの紫色の瞳にトリルが映る。

「いや……右と左で意味が違うのか?」

「というか、左手の薬指って、人族の習慣では、婚姻の証っていうか……」

「ふむ」

 アインはそれだけ言うと、さっとトリルの左手をつかんで引いて、パッと指輪をつけてしまった。そして、自分の左手薬指にも、同じ輝きの指輪をつけた。

「さすが鉱人ドワーフのものだな。しっくりくる」

 トリルが固まっていると、スーが両手で覆ったままの口を開いた。

「居合わせてしまって、すみません……」

「き、気にしないで……」

 トリルは右手の指で、左手にはめられた指輪を撫でた。つるつるとしていて、不思議な感じがした。母が父と婚姻を結んだのは二十のときだったと言っていたのを、瞬間的に思い出していた。

「それで――コンインというのは、なんだ?」

 アインが今更首を傾げる。

「アイン様……」

 スーの眉間に皺が寄った。

「トリル様の説明を、よく聞いて下さい。私、出発前にちょっと用を足してきますから」

 それだけ言うと、スーはさっさと借宿を出て行ってしまった。トリルは苦笑してアインを見た。

「婚姻っていうのは、男女が夫婦になるってことだよ。そういう仕組みが、人族にはあるの」

「つがいになる、ということか。なにか、問題があるか?」

「ないと言えばないけど……もっとこう、気持ちを込めて欲しかったっていうか、雰囲気が欲しかったっていうかさ」

 笑いながら、言葉を紡ぐ。

「でも、意味を知ったからって、今更返してなんて言わないでよね」

「言うものか」

 アインが上体をぐっとかがめて、トリルに口づけをした。体が揺れて、首飾りも動いた。

「あ、そうだ」

 トリルは襟をゆるめて、首飾りを引き上げた。

「見て、これ」

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