第49話

風精ウェントゥスよ。我らを風で包み、無事に大地に着地せしめよ。イン・ボッカ・アル・ルーポ』

 ふわっ、と体が浮き上がり、吊るされたように風に包み込まれながら、三人は地上に降り立った。さっきまでいた樹上の里は、あっという間にはるか頭上になった。

 リリコが走り出し、トリルとアインもそれに続いた。かなりの速さで走られるかと思ったが、リリコは加減をしてくれているのか、トリルの足でもついていけそうだった。途中、アインが「大丈夫か」といいたげな顔をしたが、トリルは笑顔をつくって応えた。

「しっ」

 急にリリコが立ち止まり、弓を構え、矢をつがえた。そしてヒュンッ、と弦で風を揺らす。ギャウッ、と声が響く。

「オークだ。やはり、このところオンブラが増えているな」

 続けて、リリコが数発の矢を射る。その度に短い断末魔が森に響くが、トリルの目には、彼らがどこにいるか、まったく分からなかった。

「行くぞ」

 何事もなかったかのようにリリコがまた走り出した。二人はまたそれに続く。リリコの後姿を追いかけながら、トリルの頭の中にはティコの声がよみがえっていた。

「リリコを、森の外につれていってあげてほしいの」

 それが、彼女の三つ目のお願いだった。

「ティコね、知ってるんだ。リリコ、古い冒険物語の絵本を読んで笑ってるときがあるの。口には出さないけど、ずっと旅や冒険に憧れてるんだと思う。森の外れまで見回りに行ってるのだって、きっと夢を捨てきれないからなんだよ」

 物語を読んで想像を広げる――トリルにも覚えがある話だった

「トリル達が森に入ってきたとき、きっと、リリコはすごく興奮したんだと思う。お父さんが風に還って塞ぎがちだったけど、すごく声が弾んでたもん」

 そんなに気持ちが高揚していたようには見えなかったような――とトリルは思いながらも、口には出さなかった。それほど感情を露わにする性格ではないことは、既になんとなく分かっている。

「ティコが思い描いている通りに事が運んだら、氏族役割の制度が見直される。そのとき、誰かが彼女の背中を押してくれたら、リリコはきっと――ティコはそう言っていた。

「あれだ」

 鬱蒼とした木々の中、リリコは高い位置を指さした。太い枝の上に、蔦まみれの小屋があった。森の中でも場所によって生えている樹木には違いがあるらしく、辺りはとげのある枝や幅の広い葉っぱが生い茂っている。

「すごく高い位置にあるね」

 里ほどではないが、それでもかなりの高さだ。

森人エルフしか使えないように、例の梯子の木からも遠ざけて作るのが通例だ」

「たてがみがざわつく。確かに、あの小屋にはオンブラの気配を纏う何かがある」

「決まりだな。中は狭いから、私とトリルとで身に行こう」

 アインは頷いた。美しい声が精霊に呼びかける。二人の体はふわっと浮かんだかと思うと、飛び上がって樹上の小屋に着地した。濃い黒の木の壁と扉。リリコが手をかけ、ギィ、と扉を開く。中はこじんまりとしていて、確かにアインが入るととても調べるどころではなくなりそうだった。

「例の杖の長さは?」

「私達が見たのは、どっちも同じくらいの長さで――そう、リリコの矢くらいの長さだったよ」

 ふむ、と言ってリリコが小屋に入っていく。目の高さくらいの棚が四方に設置されていて、様々な大きさの木箱が置かれている。隅にはおびただしい数の矢が備えられていた。トリルが手近な木箱をひとつ開けてみると、同じ種類の木の実がぎっしり入っていた。別の木箱を見ると、また別の種類の木の実が入っている。がさがさ漁っている内に、トリルは一本の短剣を見つけた。

「これは……」

 トリルはそれを手に取り、鞘から抜いてみた。まっすぐの刀身は銀色に光り、細やかな装飾が施されている。

「それは森人エルフのものではないな。森には、そんな風に金属を加工できる者はいないから、レジーロが森の外で入手したものだろう。他の種族と交流があったことの証拠にはなるが、肝心の物が見当たらないな……」

 トリルはう~んと唸りながら視線を上に向けた。

「あ――」

 見つけた。梁から、見覚えのある闇の粒がちらちら落ちてきている。死角になっているが、間違いない。

「リリコ」

 トリルが指さすと、リリコも気づいたらしく、頷いて応えた。リリコが梁の死角に手を伸ばす――

「待って!」

「なんだ?」

 伸びかけた手がピタッと止まる。

「コレペティタは、その杖の力を体内に取り込んで怪物になった。カストラートも、追い詰められて、最後に杖の力を取り込もうとした」

「つまり?」

「直接触らない方がいいかも」

「では、何か、別のものに入れて運ぶことにしよう――よし、この箱でいいか」

 近くにあった箱から中身を捨て、リリコが錫杖を滑らせ入れる。さらにその上から枯れた葉や汚れた布などを詰め、蓋をした。

「これでいいだろう」

 小屋を出た二人は、再度、魔法で地上に降りた。

「どうだった?」

「見つけたよ」

「この中にある。何か、感じるか?」

 アインが明らかに顔をしかめた。

「間違いないな」

「よし、戻ろう」

 リリコが走り出し、二人は続いた。途中で二度休憩を挟んだが、昼前にはセーメの里に戻ることが出来た。ティコとスーは魔法や精霊の話に花を咲かせていたが、三人が戻ってくるとその無事を喜んで迎えた。

「ふたりは、まだ動けそうか。出来ることなら、今からラーモへ向かい、さっさと片付けてしまいたい」

 トリルとアインは頷いた。リリコが先導し、その後ろをティコ、トリル、スー、アインが続く。太い蔓と細い蔓が絡み合った橋をいくつも渡って進んでいく。いくつも枝の橋を渡り、広場を抜けて、たくさんの森人エルフにじろじろ見られながら五人は進む。

 セーメの里を出てラーモの里までも、地上から遥か高い位置の橋を、ひたすら進んでいくだけだった。ただ、橋といっても、やはり蔓が何本も何本もねじれて絡み合っているだけで、足を踏み外すほどの細さではないにせよ、五人は横に並べないくらいの太さだ。駆け足で走りながら、頬を撫でる風が心地いい。トリルは、風精ウェントゥスが見守っていてくれていることを実感した。常に、左右から風が体を中央に寄せてくれていて、おそらく意図的に飛び降りようと思っても押し戻されるのだろうという感覚があった。また、多少はぐらぐら揺れても良さそうなものだが、不思議となんの振動も感じなかった。

 アインは相変わらず高所ゆえの恐怖心は消えていなさそうだったが、人族や森人エルフと同じくらいの速さでは移動できるくらいにはなったようだ。

 やがて五人は、大きな広場に出た。

「おっ、リリコじゃねーの。ティコもつれてこっちに来るなんて、どうしたよ?」

 広場の中心に座る森人エルフの男が軽い調子で言った。若木の葉の色の目と髪に、それより濃い色の頭巾をかぶっている。あれがレジーロだ、とリリコが小声で言った。

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