第45話

「あ、ああ……六十くらいの命なのか。それは、ということは、つまり私は――」

「十六だよ」

「は?」

「私が、生まれてから十六年」

 リリコが目を見開く。そして、ハッとして後ろを見る。

「私も十六です」

「俺は十九だ」

「――信じられん! まだ子どもじゃないか! いや、六十年の命の内の十六だから、半の半は過ぎているのか。ということは、私達でいうと、五十から六十の間。つまり、感覚的には私達は同じくらいということになるのか? いや、しかし――」

 リリコの言う通り、寿命に対する割合で言えば、同じくらいの年齢層ということになるのだろう。だが、トリルの目の前にいる、どう見ても多少年上くらいの美人は、トリルの両親よりも年上であるらしい。私と同じくらいの年だね、と笑って言うのは憚られた。

「種族が違えば、随分と違うものなのだな……では、役割は? 私達森人エルフは、統治、守護、狩猟、生産という役割が氏族ごとに定められているが、君達人族はどんな?」

「えっと……仕事っていう意味では、別に生まれによって決められてるわけではない――かな」

 言いながら、トリルは自信がなくなってきてしまった。

 鍛冶屋の娘として生まれても、自分の意志でまったく別の生き方を選ぶ――それははたして、本当に可能だったろうか。成り行きで旅に出ることが出来ただけで、アインとの出会いがなければ、自分は今でもノルドで父と母を手伝い、本で読む物語に憧れ、変化のない毎日を過ごしていたに違いない。魔法に興味があるから宮廷魔術師になる、というわけにはいかなかったのではないか。スーのように家柄に恵まれ、生活に余裕があれば、選択肢が増えるのかもしれないが……

「それでうまくいくものなのか? 役割が定まっている方が迷わなくて済むし、果たすべき責務が明確になるだろう」

森人エルフは、生まれたときから役割が決まってるってことだよね。それって、問題が起きたりしないの? 例えば、手先の不器用な人が生産の役割になっちゃったりとか」

 トリルの問いに、リリコはいかにも複雑そうな表情を浮かべた。

「狩人の氏族に生まれながら弓の訓練を厭う者、蜜採りの氏族に生まれながら虫を嫌う者、そういう者は少なからずいる。だが、定められた役割を担い、それをまっとうすることが正しい命の使い方だろう。そこの木も、草も、花も、命を循環させる役割、風を清める役割、蜜を作る役割をそれぞれ担っている。だからこそ、森は美しい」

 歌うように言葉を紡ぐリリコだったが、その表情には一抹の寂しさのようなものがあった。気にはなったが、トリルはひとまず頷いて応えるに留めた。

 それに――定められた役割という言葉は、自分にとって無関係な言葉には思えなかった。

 自分が今、こうして冒険の旅に出ることが出来ているのは、会ったこともない昔の予言者が、生まれてもいない、瞳に虹を宿した女の子の役割を、勝手に決定しておいてくれたからだ。

「森の外の話は、新鮮なものだな。人族の街に出かけていく者達の気持ちも、分からないでもない――さて、見えてきたぞ」

 リリコの先導で私達がたどり着いたのは、木の上に形成された里だった。細長い指が示す先を見上げると、木の枝や蔓が絡み合い、網のように足場を構築している。そしてそれらを、また蔓が伸びて橋のようにお互いをつなぎあっている。ただ、高い位置にある割には、はしごや階段の類は見当たらない。

「どうやって上に行くの? 魔法?」

「風に乗って飛ぶ魔法もあるにはあるが、皆が皆魔法を使えるわけではない。だから――」

 そう言ってリリコはスタスタと歩いて一本の大木の前に立った。大きなうろがぽっかり口を開けていて、人ひとりが中に入っていけそうだ。

「これは、スカーラアピオーリという木だ。私達は梯子の木と呼んでいる」

 彼女に手招きされて、トリルは洞の中を覗き込んだ。外観からは分からなかったが、木の中は空洞で、中がずっと上まで吹き抜けになっている。

「中に梯子があるのが分かるか?」

 きょろきょろ見渡してみると、なるほど、木の蔓が絡み合って、梯子と呼んで差し支えないものが組みあがっている。試しに手に取り、ぐっと力を入れると、微動だにしない。体重をかけて引っ張ってみても、まるで動かない。

「頑丈なものだろう。この木は中に梯子状の蔓を形成し、樹皮も極めて固い。私達森人エルフは色々な木を活用するが、この木もなくてはならない重要なもののひとつだ」

 私が先に行こう、と言って歩み出たリリコだったが――

「リリコ、待って」

「どうした?」

「私とスーはいいんだけど……」

 三人の乙女が――内一人は乙女という言い方が適切か怪しいが――アインを見る。梯子の木はそれなりに太く、中の空間は広い。それでも、アインの巨体は入れそうにないし、入れたとしても馬の下肢をもつ人馬ケノスが梯子で上まで行くというのは不可能だ。

「なるほど――わかった。では、魔法で里に上るとしよう」

「あ、待って。アインは魔法でお願いするしかないけど、私はせっかくの機会だから、樹の中を上ってみたい」

「では、私もご一緒します」

 上で落ち合うことを確認して、洞に入りなおす。梯子に手をかけ、ぐっと上る。手と足をかけながら、調子よく登っていく。かける場所の間隔は均等ではなかったが、不思議とするする登っていけた。空洞の幹は途中に割れや穴が見当たらなく、どのくらいの高さまで来たのか知ることは出来そうになかった。それでもぐんぐん上に進むと、出口が見えた。まかりまちがって落ちてしまわないように、最後に手に力を込めて足を運び、空洞の幹から外に出た。

「ようこそ、セーメの里へ」

 リリコの横には、青ざめた顔をしたアインが立っていた。

「アイン、どうしたの?」

「なんともないのか、この高さで」

 下を覗く。確かに、こんなに高いところまで来たのかと驚くほどだ。

「すごく高いね」

 少しドキドキはしたが、これは新しい場所に来たという胸の高鳴りのような気がした。スーも到着して、下を見る。

「これは……足を踏み外さないように、注意しなければなりませんね」

「誰かさんは四本もあるから、倍、気を付けないとね」

 アインは余裕なく、こくこくと何度も頷くだけだった。ついにアインにも弱い部分が見つかったか、とトリルは嬉しくなってしまった。

「落下の心配ならしなくていいぞ。里全体を、風精ウェントゥスが常に見守ってくれているからな。子供が落ちそうになっても、風で受け止めてくれるんだ」

 そう言って彼女は一歩、蔦の端から外に、上体を前のめりに踏み出した。落ちてしまう――と思いきや、ふわっと体が浮き上がって、元の場所に押し戻された。

「な?」

 試してみるか? とリリコに言われたのはアインだったが、遠慮しておくと小さく言っただけだった。その様子がさすがに気の毒に思えてきて、やってみなよとは言えなかった。

「ついてきてくれ」

 里には、たくさんの森人エルフがいて、誰もかれも怪訝そうな顔で一行を見た。森人エルフ以外の種族がここを訪れることがないのは明らかだった。リリコがいなければ洞の中を登ろうなどとは思わないし、上に来る魔法も知らない。人族が森人エルフとの交流を持てていない理由は、森の中で迷うこともあるだろうが、樹上に人里が形成されているという特異な理由のためだろうとトリルは感じた。

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