第44話

 三人は小屋を出て、真南に進む。

「方向が分からなくなったらと思うと、怖いね」

「急に声が出なくなることはあっても、方向を失うことなどあるはずがないだろう」

「それにしても、空気が澄んでいますね。深く吸うと、体の中が洗われるようです」

 スーの言葉にアインが相槌を打った、その瞬間だった。

「止まれ」

 声がした――女性の声。トリルは瞬間的に剣の柄に手を当てた。

「抜くな」

 動きが止まる。

「構えれば、射貫く」

 声は、上から聞こえていた。しかし、目の動きで確かめられる範囲に、人らしき姿は確認できない。

「森に入った目的を言え」

 トリルはごくりと唾を飲んだ。横目でスーを見ると、言葉を決めかねているように口を一文字に結んでいる。争うつもりはないことを伝えたい。できれば、何か友好の糸口になるような言葉はないか。トリルはハッとして、閃いた言葉を口にした。

「サルヴァトーレ」

「なんだと?」

 明らかに、驚きの響きがあった。

「サルヴァトーレの物語を聞きに来ました」

 沈黙が流れる。風に揺れる枝や、流れる草の音もしない。ザッ、と音がしたかと思うと、前方に一人の女性が舞い降りた。

 森人エルフだ。耳が長く、細い。若葉色の髪は肩の長さほどで揃えられ、その目の色も色の薄い草を思い出させる色だった。体の線は細く、木の幹のような色の、見るからに軽そうな衣を着ている。露出している首と顔は、晴れた日の空に浮かぶ雲のように白い。背丈はトリルやスーよりも高く、自然、二人は視線を少し上にあげる形になった。相手の目つきは鋭いものの、威圧的ではなかった。

「古の白い鹿の王の名を口にするとは――森人エルフとゆかりがあるのか?」

 小さな口から美しい声が流れる。

「今はまだ」

 緊張しながら、言葉を紡ぐ。エルフは、ふっと笑った。

「旅人か」

 そういって、彼女はトリル、スー、そしてアインを順に見た。

「森では白い毛並みの生き物は殺さない。だが、白の人馬ケノスを見たのは初めてだ」

 アインは、そうか、とだけ言った。

「あらためて聞く。森に何を?」

 トリルがスーを見ると、スーはお任せしますと短く言った。

「人族の国を出て、これまでに牛人ミノスの国、水人フォークの国を訪ねてきました。各地に残された物語を集めています」

 森人エルフは、ふむ、と言って頷く。

「他には?」

「あとは……美味しいものを探している、かな?」

 クッ、と森人エルフが笑いをかみ殺した。そのまま、彼女とトリルが見つめあう。

「君の名前は?」

「トリルです。こっちはスー、あっちはアインです」

 リリコだ、と森人エルフは名乗った。

「弓を向けたことを許せ」

 いいえ、とトリルが首を振ると、彼女は笑った。

「かしこまった言葉を使う必要はない。そういうのは苦手なんだ。それで、そっちの二人も同じ目的で旅をしているのか?」

 草色の瞳が、アインとスーに向けられる。

「私は、お二人の旅を補佐しています」

「俺は、不遜の輩を討つのが目的だな」

 リリコの表情が険しくなった。美しさの中の鋭さがきらりと顔を覗かせる。

「不遜の輩だと?」

「ああ。どうもこのところ、邪悪な意志と力を以ってろくでもないことをしでかしている連中がいるようでな」

 アインの言葉を聞いたリリコは、口元に手を当てて視線を横に流した。何か、思考を巡らせているような感じだ。トリルは彼女の整った顔と口から出てくる言葉を待った。

「――その話、少し詳しく聞かせてもらえないだろうか。代わりと言ってはなんだが、私達が暮らす里へ君達を案内しよう。そこなら、君達が求めているという物語も食べ物も見つかるだろう」

「人族の私達が――外部の人が行っても大丈夫なの?」

「私が一緒なら問題ない」

 リリコが踵を返して歩き始めたので、トリルはその横に並んだ。その後ろに、スーとアインが続く。

「里まではどれくらいかかるの?」

「ここからはそれほどかからないが……せっかくだから、話しながら行くとするか。ここアルベロの森は、開拓者サルヴァトーレが切り拓いたと言われている。小さな集落はいくつもあるが、大きな里はふたつしかない。セーメとラーモ――それぞれ『種』と『枝』を指す古い言葉から来ている。今向かっているセーメの里が、私の郷里だ」

 歩きながら、トリルはあらためてリリコが持つ弓に視線を落とした。人族が使う合板の弓と違って、一本の枝から弓を作っているように見えた。

「すごい弓だね。そんなつくりの弓、人族の国では見たことないよ」

「ああ、守護の役割を担う者のみが持つ特別な弓だからな」

「役割?」

「ああ。私は森全体と長の一族の守護を担っている」

「森全体って……すごく広いよね。リリコは、この森全体を把握してるの?」

 リリコは軽快に笑った。

「私に限った話じゃないさ。生まれて二十年程度の子どもならいざ知らず、独り立ちした森人エルフなら、それらも含めて森のほとんどを掌握しているよ」

 トリルは反応に窮してしまった。生まれて二十年程度は、森人エルフにとって子供らしい。となると――

「あのさ、リリコ」

「ん?」

「リリコって、今、いくつなの?」

「六十三だが」

 平然と言ってのけたリリコに、そうなんだ、と言いながら、トリルは必死に動揺を隠す。後ろを歩いているスーとアインが羨ましかった。少なくとも、多少は顔に出しても大丈夫なのだから。

「君は?」

「え?」

「見たところ、それほど年輪が広がっているようには見えないが……ただ、人族は見た目に寄らないという噂くらいは私も聞いたことがあるぞ」

「えっと……」

 二十でたかだかと言われてしまうくらいだ。十六と答えたら、確実に子供扱いされてしまうだろう。かといって、まさか嘘をつくわけにもいかない。

「まず、人族は大体六十くらいの人生だっていう前提をもって聞いて欲しいんだけど」

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