第4章 森人の国 フィオーレ

第43話

「私が生まれ育ったノルドの近郊にも森はあったけど……いくらなんでも、大きすぎない?」

 トリルの眼前に広がる森には、端が無かった。遥か彼方まで切れ目なく木々が立ち並んでいる。

「湖の下に街があることを想像も出来なかったように、世界には想像を超える光景があるものだな」

「スー、どうするの? 行き来する人が少ないだろうから、例によって道はわからないわけでしょ?」

「ぐるっと森の外周を歩いてはみるつもりでしたが……これでは相当時間がかかりそうですね。とりあえず、歩けるだけ歩いてみて、日が暮れたら野営の準備をする、という形をとりましょう」

 一行は沈んでいく太陽に向かう形で歩いた。左に森を見ながら、入り口を探しつつ歩いていく。森の中は光が差し込んではいるが、奥が見えず、中に何がいるのか、杳として知れない。

 不意に、ギュイィ、と甲高い声が聞こえた。

「鳥? 不気味な声……」

「いや、これはハーピーの声だ。翼をもったオンブラ。あそこだ、見えるか」

 アインが指した方向に、一体の大きな影が見えた。向こうでも姿を見つけたか、次第に高度を下げ向かってくる。

 ガチャ、と音がした方を見ると、アインが手斧を構えていた。太い腕が手斧を握り、すさまじい勢いで振られたかと思うと、手斧が飛んでいく。滑空してきていた怪物はギャウッと声をあげ、力を失って地面に墜落した。

 トリルも剣を抜きながら、落ちた場所に駆けつける。既にこと切れている怪物は、翼だけでもトリルの背丈ほどの広さがあった。

「ハーピーって、大きいんだね」

 木目の剣を握りながら、トリルはその骸を見た。顔は人間に似ているが、やせこけていて、目はくぼみ、黄色い。異様に口が大きく、ぎざぎざの歯が覗いていた。胴体は人間のそれと同じだが、肩から先が銅のような色の翼になっていて、下肢も鳥のように羽毛で覆われている。足元はと見てみると、やはりそこも鳥の足を大きくしたような形だった。

「脅威はない。頭上から襲い掛かってくるだけだからな。足のかぎ爪で貫かれればさすがに致命傷になるだろうが、それを避けて一撃叩き込んでやればいい」

「さらっと言われても、私は頭上から襲い掛かってくる相手と戦ったことなんてないんだけど……」

「それにしても、ハーピーは本来海辺の暗がりにしか発生しないはずです」

 美しい青緑の双剣を握りながらスーが言う。

「各地でオンブラが増えているという話を聞きますが、出現する場所まで変わっているのでしょうか」

「カストラート達の仕業という線もあるかもしれん。連中が持っていたあの錫杖の力の一端は、オンブラを支配するというものだった。数を増やしたり、場所を移らせたりも出来るのではないか」

 ガラン、と突き刺さっていた手斧が土に落ちる。ハーピーの骸が影となって消えたのだった。

「今はまだ人里の中に出現したという話は聞いていないが、ゆくゆくはそういう事態もあり得るのかもしれん」

「そう考えていくと『影の予言』の重要性が増してきますね。最後の『虹の御旗、影を晴らす』という文句は、まさに現在各地で起きている異常現象に対する解決を意味するわけですから」

 手斧を回収して、アインが元のさやに納める。トリルはハーピーが残した影をじっと見た。

「そもそも、オンブラって、いったいなんなんだろう? 暗がりを好み、人に仇をなす――けど、生き物ではないし、精霊とも違うわけでしょ」

 アインとスーが顔を見合わせる。

「考えたこともないな」

「壁画の内容から察するに、古くから存在しているという点は事実だと思いますが……」

「カスカータの壁画には、人と他の種族が争う姿が描かれていたじゃない? オンブラの脅威が昔からあったのなら、種族間で戦う余裕なんてあったのかな」

「人族同士、牛人ミノス同士、人馬ケノス同士でも喧嘩することはあろう。余裕があるかどうかではなく、必要に迫られればそうなるというだけだ」

 なるほどね、と言いながら、トリルは剣をしまった。

「ごめん、変なこと言って。もう少し進んでみよう」

 ほどなく日が暮れ、トリルとスーが天幕を張り、アインが駆けて獣を狩りに行った。収穫はまるまるとした野兎で、皮をはいで内臓を抜き取っても、食べる部分が多く残るくらいだった。

「スーの味つけ、久しぶりだね」

 とろみのあるスープをすすりながら、トリルは言った。口の中に広がる濃い味が、疲れた体に染みていく。

水人フォークの料理も美味かったが、比べると牛人ミノスの方に勝ちが行ってしまうな」

「私は悩ましいところですね。生のお魚はそうでもないですけど、いろいろな貝はすごくおいしかったです」

「生の魚と言えば、初めて食べたときに二人とも私に毒見させたよね。今更だけど、あれってどうなの?」

 アインとスーはお互いに目を合わせた。

「俺も貝は好みだったな」

「鎧貝は身まで利用できるというのが素晴らしかったですよね」

「ちょっと、無視しないでよ! まったく――でもまぁ、食べ物って、別の種族を訪ねる楽しみの一つではあるよね。森人エルフの料理は、どんなのがあるんだろ」

「森は幸が豊富でしょうから、人族が知らない木の実やキノコなんかもあるかもしれませんね」

「糸を紡ぐ――これを種族間の絆を繋ぐことだと捉えたとして、壁画も見ねばならんし、昔話を集めねばならん。しまいには料理を食べ比べなければならん。忙しいやら面白いやら、なんとも得るものが多いことだな」

 久しぶりの三人での野営は、どこか懐かしく、居心地の良い夜になった。

 そんな一行が森の様子に変化が見たのは、歩いて移動し続けて二日目だった。少し入ったところに、小屋と思しき建物が見えたのだ。

「どうする?」

「行ってみない手はないだろう」

 森のすぐ横を歩いていたわけではなかったため、三人はあらためて森の方に歩いていき、初めてその木の高さと太さを間近に見た。

「ノルド近くの森の木は、太くても三人くらいが手を伸ばせば囲めるくらいの幹だったけど……ここにある木は、その倍はありそう」

 見上げると、枝も太い。高い位置にあって正確には分からないが、人が立っても折れなさそうな太さに見えた。

 森に入ると、ひんやりとした空気に日が差し込み、明るく不思議な心地よさが満ち満ちている。

「ごめんください」

 スーが扉をたたく。返事はない。こじんまりとした木造の小屋は、苔や生えて蔦が絡まり、外観だけ見ると、あまり使われているようには見えなかった。

「入ってみましょうか」

 ギッ、と重い音を立てて、扉が動いた。外とは違って中は埃っぽさがあったが、植物に浸食されている風はなかった。

「壁に大量のフック――何かを吊るしておく場所のようだな」

「下が石造りになっていて、灰が残っているところを見ると、燻製小屋でしょうね。獲った肉などを掛け、小屋全体を煙で満たして、燻蒸させるのでしょう。森のはずれに作っているのは、万が一火事などが起きたときに被害が広がらないように、ということでしょうか」

「言われてみると、なんとなく煙たい香りが残っているような気がするね。食べ物をつくる場所があるってことは、近くに人が住んでいる所があるってことかな」

「可能性はあります。ここを起点にして、森の奥に進んでみることにしましょう」

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