第41話

 また、トリルはカストラートとの戦いで使えなかった小型弩を置いていくことを決め、代わりに投げナイフの練習をした。投擲武器はコレペティタのせいで印象が悪かったが、水人フォークの戦士は一般的に使用するものらしく、コツを習うと共に一式を譲ってもらえた。

 そんな日々が過ぎ、三人は相談を繰り返し、出立をいよいよ明日に決めた。

 三人で揃って宮殿に行くと、それでは今夜ささやかな宴を催しましょうと女王は言った。宴席は宮殿の食堂ではなく、別の場所に設けられた。催事で使われる広間に円卓がいくつも並べられ、所狭しと料理や飲み物が並べられている。会場は既にたくさんの人で賑わっていて、トリルが休養を取っている間に知り合うことができた人達が顔を揃えてくれていた。

「今宵は、記念すべき夜です。数年に渡る水の穢れは、清められました。勇敢な人族の娘トリルとスーブレット、そして白き勇者アインザッツによって」

 会場の視線が三人の円卓に注がれ、拍手が鳴り響く。トリルは照れながらも誇らしさを感じた。

「勇者達は旅の傷を癒し、ついに明日、このフォンテの都を旅立ちます。彼らの功績を讃えるとともに、その前途が水精アクアの守護で清く潤うことを願って、今宵を過ごしましょう」

 あちこちで杯が当たる音が響く。三人も、誰からともなく、自分達の合言葉で杯をぶつける。

「ヴィンクルム!」

 三人はすっかり慣れた生の魚を食べ、炒った海老をかじり、蟹のはさみを吸った。清らかな水は喉に冷たい。思い思いに食べ、飲み、円卓に足を運んでくれる人たちに挨拶をし、時間はあっという間に過ぎていった。

「ちょっと寂しい気がするね」

 トリルが言うと、スーは小さく頷いた。すぐそばの席で、シラブルは仲間と話さず静かに杯を口に運んでいる。ふたりは、お互いにどう思っているんだろうか。そう言えば、療養中、シラブルから人族の武器について細かく聞かれたことがあったが、あれはスーのために武器を仕立てようとしていたのではないか、と思い至った。きっと、出立前に手渡すつもりなのだろう。

「また来ることもあるだろう」

 アインが言う。

「各地、各国を渡り歩いて、旅がそこで終わるとは限らん」

「そうだね――旅がどんなふうに終わるのかなんて分からないけど、コリーナにも、このカスカータにも、また来れたらいいよね」

「思った以上に長い時間を過ごして、かけがえのない思い出がたくさん出来ました。きっと私、ここで過ごした時間をずっと忘れないと思います」

 スーの視線がかすかにシラブルに向いたのを見て、トリルはおもむろに立ち上がった。

「――私、女王様に森人エルフの国について何かご存じないか、聞いてくるね」

 何か言いかけたスーを見ないようにして、トリルはアインの腕を引っ張る。

「ほら、アインも来て」

「いや、俺は……」

「いいから」

 トリルはアインの手を引っ張って、ゆっくり歩いた。ちらっと振り返ると、シラブルが立ち上がり、スーの席に向かうところだった。

「シラブル、一緒に来ないかな」

「どうだろうな……おそらく自由な旅は水人フォークのしきたりによって制限されているだろうし、両親の体調のこともあるだろう。家族との別れはいつになるか分からんものだが、そのときは傍にいてやりたいはずだ」

「そっか……それもそうだね」

 話している内に、ふたりは女王様の円卓についてしまった。

「あら、トリルにアインザッツではありませんか。恋人同士がお揃いで――結婚の報告かしら」

 不意の言葉にトリルは気が動転してしまった。

「い、いえ、あの、女王陛下にお聞きしておきたいことがありまして」

「伽の相談かしら? でも、そういう話をすると、側近がうるさいのよねぇ」

「陛下、お立場を弁えられてください。少々、飲み過ぎですぞ」

 横の初老の水人フォークが額に汗をして慌てている。

「私達は明日、南に発って森人エルフの国に向かいます。それで、何か彼らの国についてご存じのことがあればと思いまして」

 ふむ――と女王が細い顎に指を当てる。

「南に広がる森はアルベロ大森林と呼ばれていますわ。そして、その深部は特にムスキョ樹海と呼ばれているそうです。おそらく、貴方達が求める古いものは、後者にあると思われます」

「アルベロ大森林の、ムスキョ樹海……」

 ただ、と女王は言葉を次ぐ。

森人エルフは、我々と同様に排他的な生活を送っている種族のはず。あなた達はレチタティーボという牛人ミノスに出会ったことでわたくしとの縁が生まれましたが、森人エルフに知己はないのでしょう?」

 トリルとアインは同時に頷く。

「迎え入れてもらえるとは限りません。用心していくように、と一応言っておきますわ」

「ひとつ付け加えると」

 赤い顔の隊長が口を開く。

水人フォークに残っている多くの伝承の中に、森人エルフについて謳ったものがある。それによれば、彼らは人族や水人フォークの三回分の命の長さを持っているという。見た目通りの年齢ではないかもしれないぞ」

 トリルは小さく何度か頷いた。

「ありがとうございました、女王陛下、そしてみなさん。明日あらためてお伝えするつもりでしたが、今日までたくさんお世話になったことを、私、絶対忘れません」

「俺もだ。家族を失った俺にとって、ここで過ごした安らぎの日々は、いいようのない心地よさがあった。いつかまたこの地を訪れたら、今日の日の話をさせてほしい」

 優雅な所作で、女王が立ち上がる。そしてやわらかく、トリルの頬と、アインの腰に手を当てた。

「こちらこそ、水人フォークを代表してお礼を申し上げますわ。どうか、貴方達の旅が、無事に目的を達成させられますように」

 トリルは深く頭を下げ、アインも膝をついて頭を垂れた。明日からまた歩くので早めにお暇しますと一言伝え、二人は元の席に戻った。スーとシラブルは、円卓からいなくなっていた。

「それじゃ、私は宿に戻るね」

「ああ。では、明朝な」

 会場を出て上を見上げると、湖の底がたゆたっている。いろいろなことがあったこの街も、明日でおしまいだ。ぐぐっと右肩を上げてみると、なんとなく違和感はあるような気がしたが、痛みはない。借宿に戻って、しっかり旅支度をして、早めに寝よう。

 部屋に戻って、鞘を手に取り、剣を抜く。スァッ、と乾いた音を立てて、木目の刀身が鈍く光る。その刃の鋭いことを目で確認して、トリルはまた剣を納めた。その横に、餞別代わりにと譲ってもらった投げナイフ入れを置いた。まだ百発百中とはいかないが、実戦で使えそうだとディクションの太鼓判ももらった。他にあれとこれと――と確認している内に、宿の戸が開く音がした。

 寝室から顔だけ覗かせて見ると、スーが何か大きな包みを抱えて帰ってきていた。

「おかえり」

「た、ただいま帰りました」

 答えが分かっていることを、トリルは意地悪く尋ねた。

「それ、なぁに?」

「えっと……それ、とは?」

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