第40話

 傍にいたシラブルに視線が送られ、彼はバツが悪そうな顔を浮かべた。

「もう一度、お願いできますか」

「いいだろう。人族の剣士と鍛錬を積めることは、私にとっても有意義だからな。そして、考えが至らぬとき、体を動かしているうちに答えが出ることも往々にしてあるものだ」

 手合わせが再開された。トリルは心の中でスーを激励し、声はかけないまま訓練場を後にした。

「そこを歩いているのは――トリルではないですか」

 声をかけられて振り返ると、そこにいたのはシェーナ女王だった。

「女王様――って、こんな普通に出歩くんですか」

「ふふ。街の中にいる分にはまだいいほうだ、と側近たちには言われているわ」

 具合はと尋ねられ、トリルはそこそこですと答えた。自然、歩きながら話をする形になる。

「時に、トリル。ひとつ、聞かせてもらえませんか」

「はい」

「アインザッツやスーブレットと違い、貴女は元々戦いに身を置いてきたわけではないようですね。そんな貴女がなぜ、オンブラ蔓延る危険な世界を旅して回っているのですか」

「それは……」

 トリルは逡巡を覚えたが、正直に話すことにした。予言は国家機密だと聞いてはいたが、虚偽を口にすることに抵抗があった。『影の予言』、そしてコリーナで見た遺跡と壁画について、トリルはかいつまんで女王に話した。

「『影の予言』と古代文明……」

「私やアインが予言の人物かどうかは分からないんですけどね」

「――白き戦士が帰還したら、貴方達に見せたいものがあります。貴方はその身に傷を負い、スーブレットは剣を失い、アインザッツは凶悪な存在を排してくれた。そして今、貴方は秘すべきであろうはずのことを正直にわたくしに教えてくれた。その恩義に、報いたいと思います」

 アインが戻ってきたのは、ちょうどその翌日だった。道中はオンブラに襲われることもなく、快適な旅だったという。カストラートの赤い剣は折れた刀身とともに鞘に納められ、抜けないように厳重に紐で縛られていた。また、彼が使っていた錫杖の残りの部分もアインは回収してきていた。

「スーの剣は、見つけられなかった」

 アインが言うと、スーは何も言わず頷いた。見つからないものと覚悟を決めていたのだろう。トリルとアイン、そしてスーは、身なりを整えてシェーナ女王の待つ宮殿へ向かった。

「それでは、見に行きましょうか」

 シェーナ女王は立ち上がった。

「これから向かうんですか?」

「ええ。というより、場所にはもう着いているのですけれど」

 女王が笑って言葉を次ぐ。

「既に気付いていることと思いますが、この水の都は古代文明の遺産を活用して営まれています。そして、トリルの話を聞き、わたくしは驚きました。この宮殿の地下に同じような遺跡があるのですから」

 三人は顔を見合わせた。

「本来は立ち入り禁止になっている区画ですが、貴方達にはお見せしましょう」

 女王が歩き出し、三人は続いた。らせん状の階段を下り、さらに下り、また下る。かなりの深さまで降りてたどり着いたのは、丸みを帯びた広い部屋だった。モンテ山の遺跡、コレペティタと戦った広間を彷彿とさせた。

「先に小部屋があります。どうぞ、ご覧になってきてください」

 アインの蹄の音が広い空間に響く。奥の部屋には、やはり壁画があった。

「モンテ山と同じですね」

「でも、壁画の内容が違うよ。人馬ケノス牛人ミノス森人エルフ水人フォーク鉱人ドワーフ竜人ドラグーン、それと人族。確かに七種族は描かれてるけど……」

「人族と他の種族が争っているように見えるな」

 体の向きが全体として向かい合う構図になっていて、直接組み合っているような所もある。

「どういうことなんだろ……?」

 トリルはひとり呟いたが、スーもアインも何も言わなかった。誰もその答えを持ってはいない。

「ひとまず、私はこの絵を写します。お二人は、どうされますか?」

 二人は互いに目を合わせて、トリルが先に口を開いた。

「邪魔にならないように、外に出てるよ。広間に何かないか、見ておくね」

 分かりましたと答えたスーを置いて、ふたりは広間に戻った。

水人フォークが多種族との交流を断っていた理由のひとつが、あの壁画です」

 入口で待っていた女王は静かに言った。

「謂われは分かりません。ですが、遥か昔のある瞬間では、人族と他の種族とが争っていたのでしょう。争いが種族の差異ゆえに起きたものだとすれば、種族同士の関わりが少ないことこそが最善だろうと、歴代の女王は考えてきたのです」

 水色の澄んだ瞳がトリルを見つめる。

「しかし、しきたりに囚われていたわたくし達の水は、貴女達が取り戻してくれた。その献身に、争いの種などあろうはずがない」

 女王は右手を差し出し、トリルの左手を優しく包んだ。

「『虹の乙女』よ。出立の際には、ささやかながら見送りの宴を催しましょう。貴方達の旅の成功と、予言の実現を願って――それでは、わたくしは先に戻りますね」

 そう言い残し、女王は上に戻って行った。

「傷はどうだ」

「だいぶ良くなったよ。すっかり痛みがなくなるまで、一週間はかからないんじゃないかな」

 それだけ言うと、アインは黙ってしまった。

「どうかしたの?」

「――コレペティタ、カストラートは繋がっていた。だが、あの禍々しい力の杖は、おそらくカストラートが創ったものではない。奴はあくまでも剣士だ。となると、他にも同じような者がいるのだろうと思ってな」

 アインの言葉に、トリルはハッとした。アインはもともと、一族の仇を討つために旅をしていたのだ。今回の戦いで、その目的は達成されたことになる。

「アインってさ……これからも、旅、続けるの?」

 人馬ケノスの戦士はきょとんとした表情になってから、大声で笑った。

「何を今更。壁画の謎、昔話の奇妙な一致、不埒な悪党共――これらがすべて中途半端なまま、旅をやめられるはずがないだろう」

 それに、と言ってアインは言葉を次ぐ。

「それらがなくとも、俺はお前と旅をしたいと思っているよ」

 そっか、と言ってトリルは下を向いた。嬉しさに笑みがこみ上げてきて、それを見られないようにするので精一杯だった。

 それからほどなく、スーが戻ってきた。

「しっかり描けた?」

「ええ、ばっちりです」

 スーの満足そうな返事を受けて、三人は上の宮殿に戻った。

「それでは、今しばらくはトリルの養生のために滞在してください。何か入用であれば、遠慮せずシラブルにでも申し付けてくださいな」

 急に名前が出て驚くシラブルをしり目に、スーは分かりましたと元気よく返事をした。

「アイン様、毎日でなくても構いませんが、私に剣の手ほどきをしてくださいませんか」

「いいだろう。俺も、スーの剣を学びたいと思っていた」

 そんな会話をして、アインとスーは早速訓練場に向かった。トリルは治療所を出て、借宿に移らせてもらった。だいぶ具合がよくなってきたというのもあるし、薬湯から逃れたいというのもあった。体がなまりきらないように街中を散策し、人と話し、生の魚をごちそうになり、貝も生で食べられるようになり、『力在る言葉』の学習をした。

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