第39話

「カストラートの剣は、腱や筋を避けながら血の通り道を正確に貫いていました。最後まで剣を振り続けることは出来るけれど、どんどん血は流れていくように。こんなに残酷な剣を、私は見たことがありません」

「じゃあ、アインが来てくれなかったら、今頃――ぞっとするね」

  翡翠の瞳から大粒の涙がこぼれる。

「不甲斐ないです。トリル様がこんな目に遭っている中で、気を失って倒れていたなんて、私は……私は……!!」

「結果的に助かったんだから、いいってば。それに――」

 アインと口づけを交わした瞬間を思い出す。スーが目を覚ましていたらと思うと、違う意味でぞっとする。

「それに――なんですか?」

「な、なんでもないよ。ところで、アインは?」

「女王陛下にカストラートとの戦いについて報告したあと、必要なものを調達してくるといって出かけられました」

 そう言ってから、スーが半透明な白い杯を差し出した。

「きれいな器だね」

「貝を加工してつくったものだそうですよ。中身は薬湯です」

 中を見ると、器の美しさをかき消してしまうほどの、濁った緑色の液体が満ちている。

「これは……」

「薬湯です」

 飲む気になれなかった。サハギンの体表のヌメヌメを採取してきたのかと思うくらいに、強烈な見た目をしている。

「失った血を増やすためにも、内側に活力をよみがえらせるためにも、必要なものです。私がいいと判断するまで、トリル様には治療に専念してもらいますからね」

 うん、と言いながらも、トリルの手は動かない。しかしスーはじっと見つめ続ける。今後、こういうものを口にしないためには、怪我をしないようにするしかないな――トリルは意を決して、杯をあおった。口いっぱいに苦みが広がる。なんとなく清涼感があるのがせめてもの救いか。飲み干して、ふーっ、と息を吐く。

「それでは、私は女王陛下にトリル様が目を覚ましたことを伝えてきますね」

「あ、ちょっと待って。戻ってきてから、どれくらい時間が経ったの?」

「日数で言えば一日も経っていませんよ。水の門を抜けて半日ですから」

 トリルはスーとシラブルを見送って、天井を見た。それと同時に、アインに対してささくれた感情が沸く。大切な存在とかなんとか言って、目が覚めるまで傍にいないというのはどういうことだろう。女王様に報告するのは、シラブルに任せればよさそうなものだ。調達しに行ったという何かは、私よりも大切なのか。武器だろうか。アインのことだからありえる話だ。男の人って、よくわからないな。それとも、人馬ケノスにとって、くちづけってそれほどたいしたことじゃないのかな。

 はぁ――と息をついたところで、カカッと音が聞こえた。蹄の音だ。部屋の入り口に顔を向けると、アインが姿を現した。

「具合はどうだ」

「そこそこ」

 トリルは自分の感情を少しでも感じさせたくて、目を閉じて言った。かつかつと音が近付いてくる。額にやわらかい感触が当たって、小さく水音が鳴った。ぱっと目を開けると、アインがトリルの額に唇をあてていたと分かった。

「ちょ……!」

 とっさに開けた口に、アインが何かを放り込んだ。むぐ、と口を閉じると、口いっぱいに甘さが広がった。飴だ。

「どの種族でも、薬は不味いと相場は決まっている。目が覚める前にと思って、甘いものを探してきたんだ」

 口の中から、薬湯の苦みが消えていく。

「じゃあ、アインが調達しにいった物って――コレ?」

 アインが笑う。

「バカ……」

「顔が赤いな。少し熱っぽいようだが、大丈夫か?」

「だ、大丈夫。ところで、スーの話だと当分ここに滞在することになりそうだけど……」

「それについては、お前が寝ている間に色々と算段は立てた。俺はまず、もう一度あの水源に行ってくる」

「どうして?」

「カストラートの剣があのままになっている。折れたとはいえ、忌まわしい剣だ。熱を放ち続けるという特性からいっても、放っておいていいものではなかろう。回収して、人目につかぬところに封印したい。女王は協力してくれるとのことだったしな」

 なるほど、とトリルは頷いた。稀少な金属だけにもったいない気もするが、仕方がない。

「それなら、ひとつお願いしていい?」

「スーの剣だろう。元より、探してみるつもりだった」

「そっか。でも、スーはどうするんだろ? アインと一緒に行くの?」

「いや、水源には俺だけで行く。その方が速いしな。彼女は鍛錬に励むと言っていた。カストラートに負けたのが悔しかったと笑っていたが、お前に怪我を負わせた責任を感じているのだろう。毎日守備隊の鍛錬に参加すると言っていたから、歩けるようになったら見に行ってやるといい」

 アインの言葉に従ってスーの様子を見に行けたのは、それから数日後のことだった。もっと時間がかかると見込まれていたが、ルーラードが持たせてくれた秘薬の効果が凄まじかった。治療に当たっていた水人フォークは、肩から下が腐り落ちてもおかしくなかったのにと舌を巻いていた。

 道を聞き、鍛錬場を覗いてみると、若い水人フォーク達が、それぞれの得物を持って打ち合っていた。

 その中にスーもいた。相手は守備隊の隊長であるディクションだった。スーは木刀を二本ではなく、一本だけで構えている。

「行きます」

「よし、こい」

 スーは踏みこんで一撃を放ち、体を旋回させて二撃、三撃と繰り出していく。カン、カンと隊長は難なく受け、上手に間合いを保ちながら姿勢を崩さない。スーの動きは相変わらず流麗だったが、何か不思議な感じがした。

 違和感の正体は、じっと見ていてようやくわかった。スーは、剣を持つ手を、右と左で入れ替えながら攻撃しているのだった。しかし、ふりかぶったスーの剣は、ディクション隊長の痛烈な弾き返しで手から離れてしまった。

「――駄目か」

 スーがうなだれる。

「着眼点は悪くなかったがな」

 ディクションは飛ばした剣を拾い、スーに渡しながら言う。

「持ち手を変えて変幻自在に攻めるというのは、確かに相手にとっては脅威だ。実際、シラブルは圧倒されていただろう? だが、シラブルのように若く、力が同等な相手ならまだしも、膂力で劣る相手には一発で逆転されてしまうな。君自身が気づいているように」

「――私の剣は、軽い……」

 スーが剣を受け取りながら呟いた。

「カストラートと戦ったときも、そうでした。剣筋を見切られて、一刀を狙われてしまい、剣を手離してしまったんです。それが分かっている今も、同じ結果になってしまいました。私の握力では、どうしても弾かれてしまう」

「我ら水人フォークが槍を好む理由は、実はそこにある。体格的に大きくなりにくい私達は、両手で強く持てる武器の方が合っているのだ。情けないことに、それでも槍を離してしまう者もいるがね」

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