第37話

 カストラートが剣を持ち直し、突き出した。トリルは下がり、構えなおし、間合いを測る。集中するんだ。受けるだけなら、出来るはずだ――しかし、切っ先は情けなく震えた。

「なるほど――お前の剣はバルカロールのそれではないな」

 トリルは思わず唾を飲み込んだ。都合よくアインが助けに来てくれたとして、こんな相手に勝ち目なんてあるんだろうか。人馬ケノスを次々と襲い、スーですら敵わない相手だ。自分の剣が届くはずがない。

 負ける――負けたら、殺されてしまう。

 アインの顔が頭に浮かぶ。

「勝ち目がないと理解しながら構えを解かんとは。その姿勢だけは買ってやる」

「褒められるなんて、光栄だな。ご褒美に、ひとつ聞かせてよ」

 時間を稼げば、アインが来てくれる。アインが来れば、なんとかなる。そう信じるしかない。

オンブラを操ったり、生み出したり、人の姿を変えたり……その力は、魔法なの?」

 いいや、とカストラートは首を振る。

「魔法とはまるで違う力だ。古い時代に人が追い求めた、偉大な文明の残滓。お前もこの世界の真実を知れば、自らが人族に生まれた幸運を、そして人もどきの連中への憎悪が理解できるだろう」

「さぞかし、すごい真実なんだろうね。だって、目の色が真っ黒く変わっちゃうくらいだもん」

 カストラートの笑みが深まった。

「面白い娘だ、この状況で軽口を叩くとは。その胆力に免じて、少し遊んでやろう」

 そう言って、カストラートが振りかぶった。目にも止まらぬ速さで振り下ろされた赤い剣に、トリルは避ける動きをとれず、剣の腹で受けた。

「ほらほら、どんどん速くするぞ」

 あらゆる角度から襲い掛かってくる赤い刃――トリルは出来るだけ細かく剣を振って受け止める。それでも間に合わず、脚も腕も、灼けるような痛みに何度も襲われる。スーの二刀ですら、もう少し受けられたのに。

 カストラートは、剣のほんの先端だけを滑らせてトリルの体を裂いていく。痛みが増えていく。気分が悪くなってきた。たまらず、大きく払って敵を遠ざけようとする。しかし、その一刀は振りきることもできず、柄の部分に手を当てられて途中で止められてしまった。

「ここで腹を刺されたら、お前は死ぬ。内臓が焼け爛れてな」

 ぞわっと怖気立ち、トリルは体をひねって逆側から薙ぎ払った。

「おお、怖い、怖い。もう少しで当たるところだった」

 完全に遊ばれている。腰の小型弩が脳裏をよぎったが、剣から手を離す気にはとてもなれない。

「よく見れば、美しい剣だな。お前が死んでも、その剣は俺が使ってやろう」

「っ!」

 トリルは後ろに跳んで距離を取った――つもりだった。トリルが引く以上の速さでカストラートは間合いを詰め、その腹部に蹴りを放った。まともに受けたトリルは背中から倒れた。鈍い痛みが、全身に重く広がっていく。立たないと。ぐぅっ、と声を漏らしながら、トリルは立った。全身が痛い。足が震える。

「いい根性だ。その頑張りに免じて、お前の仲間の技で楽にしてやろう」

 カストラートはそう言うと、スーが取り落とした銀の剣を手に取った。そして赤い剣は体の前に、銀の剣は体の横に構えた。それは、これまでに何度も見てきたスーの構えそのものだった。

「行くぞ」

 猛然と踏み込み、回転しながら切り込んでくる。小さく避けるが、すぐさま別の角度から斬撃が飛んでくる。一度剣を合わせ、下がる――しまった、とトリルはいつかのスーの言葉を思い出した。

「相手が引いた瞬間に畳みかけるのが基本なんです」

 剣士の一刀はあっさり木目の剣を上に弾き、トリルはいよいよ受けきれない姿勢をさらけだしてしまった。慈悲なき一撃が繰り出される。

「ぅあああぁぁっっっ!!」

 熱い。痛い。息が出来ない。右肩の先が、一瞬で燃え尽きて、全て失われてしまったようだった。赤い剣が、トリルの右肩に深く突き刺さっている。

「はは、いい声だ」

「トリル!!」

 直後、激しい音が響き、地面が揺れた。熱いものが肩口から抜け出ていく感覚とともに、トリルは脱力して膝をついた。かろうじて握っていた木目の剣が、カラァンと音を立てて落ちる。どうにか視線を上げると、カストラートが見据える先に――アインが見えた。

「お前――人馬ケノスか? 絶滅させたはずだが……」

「トリル、その肩の傷は――……! カストラート、我が一族、そして多くの同胞の血を流した報いを受けてもらうぞ」

 赤毛の男が笑う。

「その同胞達がどうやって死んでいったか、知らぬ訳ではあるまい。知っているぞ。人馬ケノスの剣術は突撃が基本。走り回って隙を消さなければ、一刀のもとに返されて終わる。お仲間がそうだったようにな。さあ、試してみるがいい」

 沈黙が通り抜ける。

 アインは無言のまま長剣を抜き、アインが猛然と切りかかった。一撃、二撃と鋭い打ち込みをし、さらにあらゆる角度からカストラートに切りつける。トリルの目には、その剣先がほとんど見えない。一方、カストラートの顔に余裕がないのは見えた。

 ギィン、と音が響き、銀の剣が弾き跳んだ。剣は壁に強く当たり、そのまま地面に転がり落ちた。

「この程度か、カストラート」

「調子に乗るな、馬もどきが」

 赤い剣が猛然と振り下ろされる。アインは長剣で受け、刃を返す。両者の激しく重い斬撃が、互いの剣を強く打ち付けていく。ギャリィッ、とアインがカストラートの剣をねじるように下におしつけ、直後に首元に刃を滑らせる。カストラートはのけぞってそれを避け、その勢いのまま、片手で赤い剣を振り上げた。アインの体がわずかに血を噴いた。

「どうした、終わりか?」

 カストラートが笑う。アインが一歩踏み込み、高速でカストラートの右側に払いを打ち込んだ。カストラートが素早く剣を立てて受ける。

 瞬間――アインは長剣から手を離し、すぐさま大剣に手をやった。そして、先程と全く同じ角度の斬撃を放った。カストラートの剣にアインの長剣はまだかかったまま、大剣の一撃がそこに加わる。刹那の時間差で、想像もできない力が赤い刀身を襲ったのだろう。ガキィン、と鈍い音を響かせて、赤い剣は折れた。ヒュンヒュン音を立てて、砕けた刃はどこかに飛んでいった。

「な……」

 目を見開いて驚きの表情を浮かべるカストラートに、アインが大剣を持ったままにじり寄る。カストラートはじりじりと引き下がる。そして、その先には、あの錫杖があった。

 アイン、あの杖がある!――叫ぼうとしたが、声が出ない。

 カストラートは素早く錫杖を手に取った。途端に、杖の先の歪な石が弾け飛ぶ。メキメキと嫌な音を立てて、カストラートがその姿を歪ませていく。

人馬ケノスの剣を知っている、と言ったな。俺も知っているぞ、その異形への変化には時間がかかることをな」

 アインは大剣を高く構えた。そしてそれを、姿を変化させ始めたカストラートに勢いよく振り下ろす。刃はカストラートだった異形の右肩からめり込み、あっさりと肩から先を斬り落とした。あまりにも、あっけなく。

 カラァン、と折れた赤い剣が地面に落ち、仇敵は残った左手で右の肩口を懸命に押さえつけるが、どくどくと滝のように流れ落ちる黒い血は勢いを変えない。くすんだ声で叫ぶカストラートを、アインは見下ろす。トリルは痛みも忘れ、その絵画のような光景に見取れていた。

「今こそ報いるがいい。すべての人馬ケノスの死に」

 じりじりと間合いを詰めるアインに、異形はただただ憎悪の視線を向けるだけだった。

「そして……」

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