第36話
「不幸中の幸いといったところでしょうか。そういえば、
青白く照らされた石壁は、無言のまま厳めしく続く。また二人が歩き出すと、ほどなく水の音が大きく聞こえ始めた。
「水源に着いたのかな」
「行ってみましょう」
何度目かの曲がり角を通り、二人は進む。四角く開けた空間の中央に、大きな池がある。池の周りにはたくさんのきらきらした石が植わっていた。そしてその傍に、一人、誰かが立っている。月明かりに照らされて、その人物の姿が次第にはっきり見えてきた。
「野の獣が迷い込んだかと思ったが――まさか人族だったとは」
男だった。赤い髪の毛が、短く逆立っている。長身で、黒い金属製の鎧を着こんではいるが、具足を装着していない。トリルやスーのように、旅をする人間の格好だ。腰には長剣を帯び、その手には錫杖を持っている。先に歪な、灰色の石がついている。コレペティタが
「その顔……まさか、貴方はカストラート?」
「ほう。その若さで俺の名を知っているとは、ただの家出娘達というわけではなさそうだ」
カストラートと思しき男は笑った。その顔を見たトリルは、強い違和感を覚えた。若すぎる。バルカロールと同輩だというのなら、年齢はもう五十を過ぎているはずだった。しかし、目の前の剣士はどう見ても二十代、いっても三十がせいぜいである。
「ここで、一体何をしているのですか」
「それはお互い様というものだ。水に生きる民にとって、ここは聖なる場所。そこに足を踏み入れるとは、なんのつもりだ。モナルキーアの王家に知れては、ことだぞ」
「どの口が――それに、要らぬ心配です。あなたの言う王家に、私はこの国への旅することの許可を与えられていますから。さらに、水に生きる民の女王から、私達は水の穢れの調査を頼まれてここに来たのです」
赤毛の男――カストラートの顔から笑みが消えた。トリルはぎくりとして錫杖に目をやった。
「そっちの黒髪の娘――貴様、この錫杖を気にしているな」
「嫌な感じがするから。それが水源を穢して、精霊を住めなくさせているんでしょ」
トリルは、自分の声が震えているのが自分で分かった。そして、剣を構えた。意識してのことではなかった。体中の様々な感覚が、トリルに剣を構えさせた。
「なかなか鋭い――いや、違うな。知っているのか。そうか、あの女だな。南のはみ出し者。牛の国に潜むと言っていたから、餞別にくれてやったのだが」
「彼女は――コレペティタは、その錫杖の力で人の姿を失って死んだわ。悲惨な最期だった」
「ハッハッハ! それは、奴が器以上の力を取り込んだからだ。この偉大な力はうまく操れば、俺のように時の流れから逸脱し、永遠に力を発揮し続けることが出来る。とは言え――」
カストラートは錫杖を足元に置き、腰の剣を抜き放った。
「まだ世に知らしめる段階ではないのでな。お前達には、ここで口をつぐんでもらうとしよう」
刀身は真っ赤で、月明かりを異様に反射する。刃の周りの空気が、ゆらゆらと陽炎を立たせている。それを見たトリルの脳裏に、ずっと前にした父との会話が蘇った。
「スー、あの剣――気を付けて。たぶん『灼銅』だと思う」
「しゃくどう?」
「大陸の西側でわずかに産出される希少な金属で、ずっと高熱を発し続ける特性がある――はず」
「何かと物知りな娘だ。その通り、これは遥か古い時代の
じり、と近付くカストラートに対し、スーも一歩進み出た。
「私が相手になります。トリル様の身に何かあっては、私が同行した意味がありませんから」
「スー……」
「まずはお前が相手か? いいだろう、我が剣技、目に焼き付けるがいい!」
カストラートが踏み込んだ。速い。猛然と切りかかってきた剣を、スーは体をひねってぎりぎりかわす。
「悪くない動きだ――が、いつまで避けられるかな?」
カストラートはじりじりと横に動く。スーも、円を描くように間合いを保ちながら横に動く。隙を見て自分が切りかかれば――と思いながら、トリルの足は動かない。どんなふうに剣を振るっても、当てられないような気がした。
スーが攻めに転じた。踏み込んで、左の一刀で突きを繰り出す。それを引きながら、右の一刀で突く。その二撃を皮切りに、連続的に剣を振り続ける。まるで舞っているかのようなスーの流麗な動き――だが、当たらない。相手は剣で受けることすらない。赤髪の剣士は、身の動きだけでスーの怒涛の連撃をやり過ごしている。余裕の笑みすら浮かべている。目を疑う光景だった。
「っっ!!」
渾身の力を込めたであろうスーの交差した斬撃は、またもかすりもせず床に刺さった。その上に、カストラートの赤い剣が、キン、と音を立てて乗る。
「バルカロールに師事したな」
「何故それを」
「知っているのさ、その太刀筋を」
「何をっ!!」
スーが二刀を振り上げる。カストラートはふわっと宙返りをし、間合いを離した。
「俺の名を知っているからには、俺の剣についても奴から聞き及んでいるのかと思ったが――師から、絶対に勝てないから戦うな、とは言われなかったか?」
男が不気味に笑う。スーが肩で大きく息をしているのを、トリルは初めて見た気がした。
「そっちの黒髪も、奴の弟子か? 女ばかり集めて、好色になったものだ」
「師を愚弄するなっ!!」
スーが踏み込んで剣を薙いだ――はずだった。ギィンッ、と響いた音とともに、二刀の内の一本が宙を舞った。一瞬だった。遠くで、ジャボン、という音がした。
「刺突から攻めて通用しなければ、次は払いから始める。そうだろう? その太刀筋を知っている、と言ったはずだ。そして俺は、一度見た剣を忘れない。だから、俺に負けはない」
トリルはぎくりとしながらルーラードの言葉を思い出していた。知っていれば予測できる。予測できれば対応できる。対応できれば解決できる。つまり、カストラートに、スーの剣は通用しない――?
「先に言おうか。一刀になった場合、正面に構えず、半身で構える。そして引いた手で腰の隠し短刀を取り、一撃の後に二刀に戻す。そうだろう?」
スーの左手の動きが止まった。その手は、腰の後ろに帯びた短刀に触れかけていた。
「負け方は教わってきたか? バルカロールの弟子よ」
スーがじりじりと下がる。トリルは意を決し、剣を握りなおして、踏み込み、大きくカストラートに切り払った。赤い剣士は笑いながら大きく下がった。
「トリル様――」
「アインが来てくれるのを、期待するしかないよ。どうにか、時間を稼がなきゃ」
「二人がかりでやってみることにしたのか? 試してみるといい」
トリルはスーから離れて、カストラートの右側に回り込んだ。スーは逆側、左に回り込む。トリルが踏み込み、突きを放った。それに合わせて、スーも突きを放つ。笑みを浮かべながら、カストラートが体を翻し、トリルの方に向かって剣を構えた。そのわずかな隙に、すかさずスーが踏み込みなおし、切りかかる。しかし、その攻撃はカストラートに届かなかった。カストラートはさらに体を旋回させて、スーを蹴り飛ばし、トリルの剣は赤い刃であっさり受け止められていた。飛ばされたスーは気を失ったのか、倒れたまま動かない。
「さぁ、どうする?」
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