第35話

「あくまでも源と言っているだけだから、近くまでは構わないだろう」

「それは詭弁では?」

「いや、解釈だ」

 シラブルが歩き始めた。スーとトリルは目が合って、お互いに笑った。

「これは頑固というべきか、柔軟というべきか、悩ましいですね」

「戦士が多いのはいいことだ。俺が後ろにつくから、お前たちは先を行け」

 シラブル、スー、トリル、そしてアインの順で一行は進んだ。木々はずっと生い茂っており、勾配はなかなかに急だった。

「妙だな」

 アインが呟く。トリルはあわてて剣の柄に手を添えるが、何かが迫っている気配はないような気がした。

「敵じゃない。道だ」

「道? 確かに斜面は急だけど――」

「ここを訪れる水人フォークはいないはずなのだろう。それなのに、ここは明らかに道になっている。人か何かが定期的に歩いているということだ」

 言われて、トリルは足元に目をやった。確かに周りの背の低い草よりももっと低い草ばかりだ。

「いわゆる、獣道ってこともあるんじゃない?」

「いや、これは明らかに人に類するものだ」

「人に類する者って――嫌な言い方しないでよ。コレペティタじゃあるまいし」

「女王が『穢れ』という言葉を使ったときから、俺の頭にはあの女の姿がちらついている。奴が言っていただろう、あの錫杖は譲り受けたものだと」

「カストラート――……」

「そうだ。話は繋がっている。差別意識をもち人馬ケノスを狙ったカストラート、奴とつながっていたコレペティタ、コレペティタが使っていた力、そして侵されている水人フォーク族。奴自身か、あるいは奴に与する輩がいる可能性は高い」

 トリルは固くなった唾を飲み込んだ。

「どんな相手でも、アインなら大丈夫――だよね。そうでしょ?」

「俺は誰にも負けないさ」

 一行は歩き続けた。トリルが足に疲労を感じ始めたあたりで、勾配が急に緩やかになった。大きな剣で山そのものを切り取ったかのように、急に土が平坦になっている。さっきまでの茂みは嘘のように途切れ、石壁が仰々しく立ち並んでいる。屋根はないように見えたが、石壁は隙間なく積み上げられ、高さもあり、上にあがるのは難しそうだった。

「なんて精巧な――モンテ山の遺跡もそうでしたが、やはり古代には今よりも遥かに優れた文明があったようですね」

 スーが嘆息しながら壁に触れる。その横に立ちながら、トリルも壁に触れてみた。表面はざらついていて、山の遺跡にあった不思議な質感のものとは違っていた。金属のような感じはなく、ただの石のようだ。

「全容が掴めていませんが、正面に入り口があるわけですから、ここから入って探索してみますか」

「そうだね……なんだか、絵本に登場する迷路みたい」

 スーが一歩、迷宮の入り口に踏み入れた、まさにその瞬間だった。足元から水の音。トリルはあわててスーを引っ張り出す――のは間に合わないと判断し、とっさに踏み込み、スーを押してそのまま迷宮に押し入った。勢い余ってふたりとも転がり、転がった姿勢のまま入り口を見ると、水の膜のようなものが迷宮の中と外とを隔てているのが見えた。

「トリル! スー!」

 アインの声がする。しかし、すぐそこにいるはずの人馬ケノスの姿は見えなくなっていた。

「これは水精アクアの、門の魔法だ」

 シラブルの声がする。

『ミ・スクーシ』

 水人フォークの『力在る言葉』に、水の門は何の変化も示さない。

『アプリティ・セイ・サモ』

 やはり、何の変化もない。シラブルはさらにいくつもの言葉で呼びかけてはみたが、門は消えるどころか、向こう側の様子が見えるまでになることもなかった。

「まずいな――このままでは夜が来る」

『トイ、トイ、トイ。陽精ソルよ、我々の周囲を光で照らしたまえ。イン・ボッカ・アル・ルーポ』

 スーが呪文を唱えると、石造りの構造物の中が明るくなった。

「アイン様、シラブル、私達は先に進みます。水源の調査もさることながら、脱出できる場所を見つける必要があります。留まって、当てもなく呪文を試し続けるよりも、そちらのほうが確実です」

「分かった。俺とシラブルも急いで外を周り、別の出入り口を探る。気をつけろよ、トリル、スー」

「そっちもね」

 カカッ、と蹄が鳴り、走り出した音が聞こえた。空を見上げると、夜のとばりが降り始めている。

「トリル様、行きましょう」

「うん」

 アインがいない――その事実が、トリルを不安にさせた。精霊が照らしてくれている光はいつも通りの明るさのはずなのに、トリルには何か心細く感じられた。

 夕日が差し込んでいて通路自体は見えるが、すぐに曲がり路になっていて先は見えない。言いようのない緊張感が全身を包む。トリルは幾度となく壁の上の方に目を向けたが、やはり登って脱出するというのは現実的ではなさそうだった。

「何か、出ると思う?」

「何かとは?」

オンブラ――とか」

「サハギンでもオークでも大丈夫ですが、数でかかってこられると厄介ですね」

 通路は、二人が並んで歩いてもなお余裕がある広さがあった。

「数で不利な時は、どうしたらいいの?」

「アイン様の戦い方が、その手本ですよ」

「その場に留まらないってこと?」

「動き続けてかく乱するということですね。いかに多勢であったとしても、一度に切りかかれる人数というのはせいぜい三か四です。同士討ちの危険もありますから」

「動き続けると、相手も攻めづらいってことか。でも、それって足を止めちゃダメってことだよね」

「そうです」

 トリルは、自分がアインのような素早さで縦横無尽に切り込んでは離脱する姿を思い浮かべてみた。だが、とても出来そうにない。

「スーが二刀で動き続けるのは、そういう利点もあるんだね」

「ええ。バルカロール様は、多数を相手取ることを念頭に剣術を組み立てていますから。今この場で囲まれた場合、私が切り込みますので、トリル様は壁を背にして身を守ってください。もちろん、そんな事態にそうならないことを願ってはいますが……」

 そう言ったスーの足が止まった。トリルも足を止める。二人の足音が止むと、別の音がはっきりと二人に聞こえた。

「これって……水の音?」

「そのようです。このすぐ下を流れているような感じですね。もしかすると、この建物は水源を守るためにつくられたものなのかもしれません。野の獣やオンブラが入って来られないようにと。所々曲がり角があるとはいえ、とても迷宮と言えるようなものではありませんでしたし」

「水に生きる水人フォークにとっては、水源を守るのは重要なことだもんね」

「屋根がないのも、光を差し込ませてオンブラが生じないようにしているということでしょう」

 トリルが空を見上げると、夕日はとっくに朱色を失っていて、青い夜空に移り変わっていた。

「そういえば、今夜は満月だったっけ」

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