第34話

「今も言ったように、この任務には――」

水人フォークの命運がかかっている、それは分かります。でも、ここから目的地まで歩き通して、消耗した状態になるのは、避けるべきです。仮に、前に私達が戦ったような怪物に出会ったら、なおさら。野営の回数を多くして、少し時間がかかったとしても、極力万全の状態で戦えるようにし続けるべきです」

 同意見だ、とアインが頷いた。

「この中で、もっとも旅慣れているのは俺だ。その俺が、仲間内の消耗を指摘しているのだから、従うっておいた方が賢明とは思わないか」

「――わかった」

 シラブルは目を閉じて頷いた。トリルはその素直さに感心するとともに、自分とは違うなと苦笑した。昔から、自分が間違っていると分かっていても引くに引けない。

「そうと決まれば、すぐに準備しましょう」

 スーはいつものように手際よく、天幕を張り始める。トリルもいつものようにスーに合わせて作業を手伝う。アインはというと、シラブルに話しかけられて、笑いながら応じている。

「食べるものは――ねぇ、シラブル。水人フォークって、何を食べて、何を食べないの?」

「何をと言われても……どれがお前たちと違うのか、分からないぞ」

 トリルがいくつか例を出してみると、彼らはパンやクッキーといった加工物はほとんど食べないのだということが分かった。専ら、魚や貝、水草といったものを食べて生活しているらしい。

「これはパンというのか? うまいな!」

「これでそんなに感動するなら、牛人ミノスのつくったパンを食べたら卒倒しちゃうね」

「本当ですね」

 簡単に食事を済ませたあと、一行は天幕に横になった。シラブルは「女性と同じ空間で寝ろというのか」と抵抗を示したが、スーが「何かやましいことでもあるのですか?」と言うと、「誇りある水人フォークは不埒な真似などしない」と言って収まった。

 シラブルはほどなく寝息を立てた。トリルもまどろみ、そのまま眠りについた。

 どれくらいの時間が経っただろうか、目をこすって体を起こすと、スーはまだ寝息を立てていた。音が立たないように静かに体を起こして、静かに天幕を出る。

 外に出ると、小さく、何か歌のような声が聞こえた。こっそり用を足しに行きたかったが、アインは起きているようだ。普段は焚き火を消して目をつぶっているのに、今は火を焚いたまま静かに月を見ている。その口からは、歌が発されていた。

「――トリルか。うるさくならぬように気をつけていたつもりだったが、起こしてしまったか」

「ううん。ちょっと目が覚めちゃって」

 さすがに、もよおして起きた、とは言うのは憚られた。

「さっきの歌って『力在る言葉』だよね?」

「ああ。言葉の意味は知らないがな。一族で歌われていたものを、こうして口ずさみたくなる時がある。言葉の意味はまるで分からんがな」

 そう言ったアインの紫色の瞳は、いつもより深く澄んでいるように見えた。

「いつもながらだけど、アインは寝なくて平気なの?」

「ああ。満月が近いから、昂ぶっているというのもある」

 そう言って、アインは視線を移した。天幕の方を見ている。

「シラブルは、スーに恋慕の情を抱いているのだろうな」

 予想だにしていなかった一言に、トリルは固まってしまった。

「恋慕って、つまり、その、男女の――好き、って気持ちだよね。アインって、そういうこと、関心あったんだ」

 トリルは首飾りに触れた。石の意味が頭をよぎる。

「旅に出るまでは、そうでもなかった」

「えっ」

 たき火の炎が、アインの顔を照らしている。

「一族で旅をしていた頃は、俺はまだ子供だったからな。群れの中で恋仲の年長者は見ていたが、抱き合ったり口づけをしている姿を見てもなんとも思わなかった。だが、最近は、少し分かるような気がする」

 沈黙が流れた。焚き火のせいか、寝起きのせいか、トリルはその沈黙の中にあたたかさを感じた。

「ひとつ、教えて欲しい」

 息を整えて、アインが言葉を紡いだ。

「その首飾りの意味を知ったとき、どう思った?」

 真剣な瞳に、冗談を言おうという気にはなれなかった。

「スーに石の言葉の意味を教えられたときは、そりゃあ驚いたけど……」

「けど?」

「けど――うれしかったよ」

 顔が熱かった。

「じゃ、じゃあ、アインも、ひとつ教えてよ。私も正直に言ったんだから」

 む、と口を一文字にしたアインを、トリルはじっと見た。

「……さっき言った、男女のそういうのが少し分かってきたって、どういう意味?」

「それは――」

「――や、やっぱりいいや! それどころじゃなかったんだ」

「どこに行く?」

「こういう時は、察するものだぞ、紳士は」

 ああ、と頬を掻きながら答えるアインを背に、トリルは木の影に行った。用を済ませて、アインにおやすみを伝え、天幕で横になる。

 首のティアドロに触れる。

 これは、恋なんだろうか。シラブルがスーに一目で心奪われたのとは違うけれど、自分の胸の深いところにアインがいる。アインのことを思うと、心があたたかくなる。今のこの関係をなんて言うのかは分からないし、これからどうなるかも分からないけれど、少なくとも一緒に旅をするのは楽しい。一緒にいられて嬉しい。じゃあ、この旅が終わったら? それでも一緒にいるだろうか。その場合は、アインがノルドに留まるのかな。考えていたら、なんだか目が冴えてきてしまった。眠らないと。でも、さっきの会話を思い出すと、顔が熱くなる。いやいや、ちゃんと寝ないと。でも――――…………

「トリル様。食事の支度が出来ましたよ」

「ん……? ご、ごめん、寝過ごした?」

 装備をつけて外に出ると、シラブルとアインが既に口をもぐもぐ言わせていた。

「人族の女はよく寝るのだな」

 シラブルに笑われたが、トリルは反論する気が起きなかった。

「トリル様もどうぞ」

 スーに促されて、まぶたの重さを感じながらスープをすする。優しい味。シラブルを見ると、顔にはいかにも気迫がみなぎっている。そうだ、これは水人フォークの人々の生活に関わる旅なんだ。しっかり集中して、やり遂げないと。トリルは息を吐いて、もう一口スープをすすった。

 手早く片付け、半日ほど進んだところでシラブルが言った。

「スフィーダ山だ」

 前方に、低い木が茂る上り路がある。視界が良いとは言えないが、横から大きな獣やオンブラに急襲される危険もないように思われた。

「ヴェレーノ川の水源は、この山頂にある」

水人フォークにとっての禁足地は、ここからですか?」

 シラブルは口を一文字に結んだ。そして、鼻から大きく息を吐いて、意を決したように口を開く。

「定かじゃない。上は平坦で、石造りの建物があるという話が残っている。だが、そうなると、それを見た水人フォークが、少なくとも過去に一人はいたということになる。それなら、僕もそこまでは行って構わないだろう」

「いいのですか? しきたりは、ヴェレーノの源に近寄るべからず、なのでは」

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