第32話

「その、水源の調査はしたのですか?」

 スーの問いに、女王は美しい顔をしかめた。

「そこなのです、問題は。わたくし達水人フォークは、しきたりや伝統を非常に重んじます。そしてその中に、ヴェレーノの源に近寄るべからず、というものがあるのです」

水人フォーク以外に頼むということはしなかったのか? それこそ、近くに牛人ミノスが住んでいる。彼らなら、快く手を貸してくれそうなものだが」

 アインの言葉に反応したのは、レッチだった。

「そこが水人フォークの良さであり、難しさでもあるのよ。この人達は基本的に、他の種族との交流をしきたりとして禁じてきたそうなの。私は、このおてんば女王がほっつき歩いているところに出くわして意気投合できたから、こうして遊びに来てるけど――幸運だったってだけなのよね」

「俺達が手を貸すことは、しきたりとやらを破ることにはならないのか?」

「貴方は別ですわ、白き姿の戦士。わたくし達水人フォークにとって、白い姿は清き水の流れを生み出す英雄の証。その力を頼むことは、伝統の一部と言えるのです」

 アインはトリル、そしてスーを見た。二人は示し合わせたように同時に頷いた。

「引き受けよう。俺達の旅は、異なる種族との交わりを持つことを目的としているし、乞われた助けには早駆けで応じよという言葉もあるからな。そうと決まれば、すぐにでも発ちたいところだが、道が分からんことには――」

「僕が案内しよう」

 一歩下がった位置で話を聞いていたシラブルが、アインの言葉にかぶせるように言った。その声は、固い意志のようなものを感じさせた。

「シラブル。お前はまだ守備隊の副隊長のひとりに任命されたばかりだ。一通りの業務も経験していない内にそのような――」

「いえ、ディクション。シラブルにお願いしましょう。ご両親のこともあり、この問題の解決に心を砕いていることはわたくしも知っておりました。シラブル、お願いできますね」

「はっ!」

 それから、腹ごしらえをしたらすぐに向かうという話になり、トリル達は「湖上の美人」と看板を掲げた食堂に案内された。

「適当に注文してくるから、待っていろ」

 シラブルが遠ざかったのを確認しながら、スーが小さく口を動かす。

「どうしてあんなに居丈高なのでしょうか。彼に対しては、とても敬称をつける気になれません。いくら伝統やしきたりを大切にしているからと言って、排他的になる必要はないと思うのですけれど」

「元々の性格がああなんじゃないの? 女王様も、シラブルは生真面目だ、みたいに言ってたじゃない」

 それほど気になっていなかったために、トリルはあっけらかんとして言った。ところがスーの方ではそうでもないらしく、彼女にしては珍しく口を尖らせている。

「それはそうですが――それにしても、女王様といえば、アリア女王陛下も側近の目を盗んでは外に飛び出て行かれる方なので、思わぬ共通点に驚いてしまいました」

「女王様って、そういう人なの?」

「物心ついた頃からお転婆そのものだったそうですよ。父もバルカロール様もしょっちゅう振り回されていたそうで――いえ、今も振り回されていますから」

「注文してきたぞ」

 シラブルが戻ってきて、どかっと席に着いた。少しムッとした表情を浮かべるスーに、トリルは思わず笑ってしまった。モナルキーアで出会ってまだ日は浅いが、初めて見る感情の出し方だ。

「ねぇ、シラブル。食事が来るまでの間、水人フォークの魔法について教えてもらってもいい?」

「僕達の魔法――つまり、水精アクアの力についてということか?」

 首を傾げるシラブルの横で、さっきまでの不機嫌さはどこへやら、スーの目が好奇心に輝いている。その視線に気づいたシラブルは、照れくさそうに頬を掻いた。

水人フォークって、水中でも呼吸が出来るんでしょ。外の水の柱を、何人も上に登っていってる。あれも魔法なの?」

「息をするのに、いちいち水精アクアの力など借りはしない。首のエラで、水に溶け込んでいる空気を濾しとっているだけだ。ほら」

 シラブルが自分の首の溝、おそらく彼がエラと言った部分を指さす。ぐぐっ、ぐぐっと動くだけで、それがどういう運動になっているのか、トリルにはよく分からなかった。

水精アクアの力は、もっと必要に迫られたときにしか使わない。古来より、他者を守る為にしか魔法を使ってはならないというしきたりがあるのでな」

「具体的には、どういう魔法があるんですか?」

 スーが身を乗り出して口を開いた。いよいよ、彼女の中の好奇心が黙ってはいられなかったのだろう。

「最も使われている魔法は、おそらく血止めの魔法だろうな」

「血止め……ですか?」

「ああ。水中で魚を捕る中で、岩肌にぶつかることもあるし、訓練でも裂傷はつきものだ。それゆえ、傷口の血を止めて……」

「魔法で、傷口の血を止めるんですか?」

「あ、ああ。別におかしなことではないだろう。水精アクアは流れを司る。だから、血を止めるのも水を留めるのも、大して違いはない」

 トリルは驚いたが、スーはもっと驚いているだろうと思った。命に関わる魔法は禁忌だ、とスーが言っていたのだから。実際に魔法の力で出血を止められるというのなら、それは人族が研究してきた魔法とはまったく別のものだということだということになる。

「何か副作用はないのですか? 体が動かしにくくなる、とか」

「いや、そんな話は聞いたことがない。ただ、他者のためにしか使ってはならないというしきたりがあるのは、自分の傷に対しては効果がないからだという話は聞いたことがある。それゆえ、僕たち水人フォークの守備隊は、二人ひと組での行動を基本としているのだ」

 なるほど、とスーが大きく頷く。そこへ、初老の水人フォークが大きな貝殻を運んできた。貝殻は大皿として使われているらしく、上には魚の切り身らしきものが色とりどりに乗り、その周りには細い木の棒が何本も添えられている。

「火が通っていないようだが……」

「それはそうだろう。このまま食べるものなのだから」

 アインとスーの視線が、トリルに注がれた。

 トリルは、その視線の意味について判じかねた。北の海辺の街出身だから、お前は食べられるだろう、ということだろうか。それとも、他種族との交流と言えばお前の出番だろう、ということだろうか。どちらにしても、ここでこれを食べないという道はなさそうだった。

「……」

 おそるおそる、真っ白いひとつを指でつまんで口に運ぶ。上に塩が振られていたらしく、塩の味が舌先に通る。それを追いかけて、しっとりとした甘さが伝わってきた。

「おいしい……ね」

 トリルは別の、今度は赤みがかった一切れをつまんだ。仲間が食べる姿を見て安心したのか、スーもアインも手を伸ばした。

「うむ、これはうまいな」

「本当ですね」

「当然だ。今し方獲ってきたばかりの魚しか、我ら水人フォークは口にしないからな。口に合ったようでなによりだ。ただ、やはり種族が違えば文化は異なるものだな。人族も人馬ケノスも、手で食べる文化だというのは知らなかった」

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