第31話
トリルは通りがけにサハギンの姿を見てみた。全員が鱗に覆われているその姿は、トカゲというより魚のそれに近い気がした。体の大きさは人族より小さいくらいだった。ただ、鱗の一枚一枚が大きく、それだけで異様な生き物だという気がした。
それからしばらく歩いていると、急に視界が開けて、ちょっとした部屋のような空間に出た。不思議だったのは、その正面に、水の壁があったことだ。風のない水面を、そのまま岩壁の天井から床に下げたような感じだ。不思議な光景に見取れていると、レッチが一歩歩み出た。
「この水の壁の向こうが、フォンテよ」
「どうすれば通れるのですか? さっきと同じように、何か呪文が?」
スーが尋ねると、レッチは頷いた。そして水の壁に手を当てて、言葉を紡ぐ。
『アプリティ・セイ・サモ』
水の壁が一瞬透明になったかと思うと、突然、向こう側に三つの人影が見えた。それぞれ、金属とは異なる質感の鎧を上下に着て、手には三つ叉の槍を持っている。顔は人族のそれとほとんど同じだったが、瞳も髪も青く、場所のせいか、水の色を彷彿とさせた。首には縦に筋が二本あり、その首にも、少しだけ覗いている肌にも、小さな鱗のようなものが見えた。
「レチタティーボ」
真ん中に立つ一人が言った。声は若かったが、男性らしい重さのある声だった。
「おや、シラブル。せっかく偉くなったのに門番やらされてるのかい?」
「僕は門番ではなく、巡邏でここに――待て。後ろにいるのは、誰だ」
トリルが一歩進み出ようとすると、スーがそれに先んじた。
「お初にお目にかかります、
スーが流れるように口上を告げ終えても、シラブルは黙ってスーを見たままだった。睨むでもなく、見つめるでもなく、どこか呆然とした表情になっているように見える。
「シラブル殿?」
後ろに控えていた一人の
「ひ、人族の旅人か。分かった。誇りある
勢いよく振り返ったシラブルの後ろに続きながら、トリルとスーは顔を見合わせて首を傾げた。その横をレッチが歩きながらぽつりと呟いた。
「一目ぼれ――ね」
奥に広がっていたのは、幻想的な光景の街並みだった。山の奥の遺跡で見たような、たくさんの透明な光の筒が細い端のような道を照らしている。道には美しい貝殻の模様が彫り込まれ、同じ材質らしき建物が建ち並んでいる。建物はどれもつむじ状になっていて、海岸に住む殻を背負う生き物達を思い出させた。
道のない所に目を向けると、高く伸びる水の柱が並んでいる。そこかしこの柱をたどって視線を上に向けると、空のように水が浮かんでいた。湖の底を、下から見ているのだった。
水底の都をシラブルに続いて歩いていくと、一際大きな建物の前にたどりついた。大きな貝殻のような外観に加え、周りには真っ白い尖塔がいくつも建っている。
「ここが宮殿だ。くれぐれも、女王陛下に粗相のないようにな。万が一にも無礼を働くようならば、誇りある
腕を組んで滔々と語る若き
「シェーナはそんなこと言わないでしょ」
「シェーナ女王陛下、だ! 陛下がたまたま陸に遊びに行かれた際に知り合ったがために、そなたのような粗忽な者と交わることになって……まったく、嘆かわしい」
「あら、それは女王陛下様の趣味である遊覧をご否定なさっているということでよろしいかしらん?」
「ち、違う! そういうわけではない! とにかく、失礼のないようにな」
シラブルは焦ってそう言い、振り返って門番に何か告げた。両脇に立っていた二人の
中は、外の道よりもさらに磨かれた貝殻のように光沢を放っていて、一部分を切り取るだけで装飾品になってしまいそうだった。その中を進み、広間に出る。少し高くなった場所に、見るからにきらびやかな椅子がそなえられていて、そこに一人の
他の
「ようこそ、我が友レッチ。そしてその友――人族の娘達と、人馬の戦士」
透き通るような声が響く。
「大方、そこの生真面目な守備隊に失礼のないようにと言われたのでしょうけれど、構えなくともよいですわ。真に誇りある
女王はそう言うと、椅子から立ち上がり、段を下りてレッチの前に立った。そして二人は、ゆっくり、優しく互いを抱き寄せた。
「いらっしゃい、わたくしの友人。
「久しぶりね、シェーナ。急にごめんなさいね、お客を連れてきちゃって」
「あなたが突然いらっしゃるのは、いつものことですわ。よければ、あなた方のお名前を聞かせていただけるかしら」
「スーブレットと申します。人族の国モナルキーアから参りました」
「トリルです。同じく、モナルキーアの出身です」
「
女王はにっこり笑った。
「わたくしはシェーナ。カスカータ王国の主にして、このフォンテの街を統べる
シラブルが頭を抱える。
「スーブレット。美しい緑色の瞳に、若木の幹のような髪。あなたはまるで、森に生まれた精霊のようね。トリル。あなたの髪は夜明けの空の色、そして瞳は――虹を宿している。そして、アインザッツ……まさか、白き戦士が、この機にこの都に訪れようとは」
そう言って、シェーナはアインをじっと見つめる。
「戦士アインザッツ――白き戦士よ。貴方の力を貸してもらえませんか」
「俺の?」
「ええ――ディクション」
はっ、と返事をして、シラブルと同じ鎧を纏った男性が歩み出た。青い瞳に青い髪は他の
彼はトリル達の前に、細長い甕を置いた。中には、たっぷり水が入っている。
「これは……?」
「精霊のいない水――ですの」
「えっ――そんなこと、ありえません。光、火、風、土、水、木、金、精霊は常にその拠り所を得て、大なり小なり、万象に精霊は宿ります。形を変えても、精霊は宿り続けるはず……」
『トイ、トイ、トイ。
女王が、甕に向かって『力在る言葉』を唱えた。しかし、甕の水は何の変化も起こさない。
「代々、女王の持つ魔法の力は高い。わたくしも同様です。しかし、この甕の中の水は、わたくしの声に応えない。様々に調べて出た結論は、この水には精霊が宿っていないということでした。便宜的に、わたくし達はこの状態を『穢れ』と呼んでいます」
「この水は、いったいどこで?」
「水源は、ヴェレーノ川の始まり――スフィーダ山にあります。そこから流れ着いたものが、この水です。研究者によると、兆候は十年ほど前からあったと。魚がやせていたり、貝の身が小さかったり、体調不良を訴える者が出たり――そして、このところ、影響は大きくなってきているのです。
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