第3章 水人の国 カスカータ
第30話
パッサージョが三人に引き合わせたのは一人の女性
「レッチでいいわよ。ああ――さん付けもいらないから。苦手なのよね、レチタティーボさん、なんて長ったらしくって。それに、あなた達、最近郊外で悪さしてた変なのをとっちめてくれたんでしょ? なおのこと、私に遠慮なんていらないわ。私、あちこちフラつくのが趣味だから、そういう連中に大きな顔されると危なくて嫌なのよね」
早口のレチタティーボに圧倒されながらも、トリルが言葉を紡ぐ。
「それじゃ、遠慮なく――レッチは、カスカータへの道に心当たりがあるの?」
「心当たりどころか、何度も行ってるわ。たまたま、一人の
心強い案内役に巡り合い、トリル達は意気揚々と宿に戻った。上衣と下衣を締めて着なおし、上には着慣れてきた革鎧を装備する。腰に木目の剣、後ろに小型弩。肩から鞄を掛けて、外套を羽織れば万端だ。
「すっかり熟練者の手際ですね」
「先生が優秀なおかげだね」
宿を出て、同じく旅支度を終わらせたアイン、そしてレチタティーボと合流し、ヌヴォラを出る。
「さ、行こうか」
「ここが入り口よ」
レッチが指さしたのは、トリルの目にはただの水たまりに見えた。少し先に見えている湖に比べると、なんとも頼りない水の量である。ただ、周囲が石垣のようなもので囲まれていて、人工的な雰囲気はある。
「きっかけは、完全に偶然だったのよね。郊外を散歩して回っていて、これと同じような場所から出てきた
石垣を乗り越えて、レッチが水たまりに近づいていく。
「手を入れてみると、ここがただの水たまりじゃないって分かるわよ」
レッチが手招きをして、水の中に手を入れてみるよう促す。トリルは胸をどきどきさせて、恐る恐る水面に手を近づけた。ぴちゃ、と冷たくはない水面の感覚を通って、手を下げる。特に何かがあるようには感じられなかったが、深さはあるようで、手のひらが水底の土に触れることはなかった。
「ただの水たまりだと思うんだけど……」
そう言って手を引き抜いたトリルは、あっ、と気が付いた。袖が濡れていない。
「それが、
間違いなく水の中の感触だった――トリルは手首を回してあちこちから袖を見てみるが、どこも、水滴一つしたたってはいない。
「それじゃ、通りましょうか。同じようにやってみてね」
レッチはそう言ってしゃがみ、水面に手を当てた。
『ミ・スクーシ』
彼女は古い言葉を唱えると、立ち上がり、おもむろに水の中に飛び込んだ。三人は驚いて目を見張ったが、彼女は音もなく水たまりの中に体を消してしまった。トリルが見ると、スーはこくりと頷いて、水面に手をかざした。
『ミ・スクーシ』
スーも同じように唱え、水の中に飛び込み、そして消えた。
「先に行く?」
アインが顔をしかめる。
「じゃ、私からね」
トリルはレッチとスーがそうしたように、水面に手のひらを当てた。やはり、ただの水にしか思えない。
『ミ・スクーシ』
手を放してみる。変化は見えない。トリルは念のために息を止めて、足から水たまりに飛び込んだ。ドボン、という音が体に響いたかと思うと、自分の身長くらいの水の柱を抜けたくらいで体が重さを取り戻した。水の下、と言えばいいのか、土の下、と言えばいいのか。とにかく、水の通路の先は、土や石、あるいは何かの鉱物を切り掘って作られた空間に繋がっていた。
「呪文を知らないと通れない道、ということでしょうか」
スーが手帳に書きつけている。その手帳も、どこも濡れていない。水の中にいた感覚はあったのに、トリルの髪もまるで濡れていなかった。続けて、ジャボンという音がして、アインが姿を現した。
「無事に全員到着ね」
「ここが、カスカータ?」
「広い意味ではカスカータの一部なんだろうけど、まるきり端の方。都であるフォンテに着いたら、きっと驚くわよ。まさに都、って感じだから」
笑って言いながら、レッチが腰に帯びていた短刀を抜いた。慌ててトリルも腰の剣に手を伸ばす。
「あら、いい反応ね、トリルちゃん。ここからの通路は、たまに
「
スーも二刀を抜いて言った。
「絵本で見たなぁ――たしか、魚に足が生えたような、トカゲが立って歩いているような、そんな見た目だったっけ。牙と爪が鋭くて、いかにも凶悪そうな絵だったような気がするんだけど……」
「あっはっは、そんなにたいした相手じゃないわよ。たぶんそれは、生で見たことのない人族が想像で描いて、それこそどんどん尾ひれがついていったんじゃないかしら。牙も爪も、それに体格も、たいしたことないわ。オークの方がよほど面倒なくらい。サハギン連中は、私の細腕でも、あっさり影に戻せる程度の相手よ」
トリルはレッチの腕を見た。とても細腕とは言えないたくましさだ。
「――レッチの腕が細いようには思えないんだけど……」
「ま、連中は陸地の奴ら以上に明るいところが苦手だから、フォンテ周辺まで行けばまるきり姿を見なくなるわ。もっとも、全身緑色で、しかもヌメヌメしてるから、見たいとも思わないけど」
レッチの先導に続いて、三人は歩いた。しかも通路は多少の起伏がありながらも、緩やかに下がっていく――どんどん湖の底の方に向かっているということだ。どんどん通路は暗くなっていくが、苔か藻のような緑色のものが岩壁にびっしりついていて、それがほのかに光を放っているために、真っ暗闇になるということはなさそうだった。
「しっ」
レッチが小さく言った。ギャッ、ギャッと濡れた革製品をこすりあわせたような声が聞こえる。
「サハギンだわ。声がする」
ふりむいて言う
「さすが
もう一度振り向いて、レッチが言う。トリルも驚きながら振り返った。
「見えてたの?」
「見えなかったのか?」
「たいしたものねぇ。さ、そろそろフォンテの門に着くだろうから、そのつもりでいてね」
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