第29話
ふたりの視線にいよいよ耐えかねてか、アインはトリルに向かって手を差し出した。手の中に何かを握っているらしく、トリルは両手を広げて待つ。
音も無く手の中に下りたのは、石だった。透明で、なめらかで、淡いいくつもの色が複雑に入り混じっている。石の中心には穴が空いており、黒い革紐が通してある――それは、首飾りだった。
「これは――?」
「宿に行く途中で見かけていたから、閉まる前にと思ってな」
「
「石を贈るというのは、まあ、つまり、その……感謝など、だな」
珍しく、アインが言葉に詰まっている。それ見たスーがクスクス笑う。
「私にはお釣りしかないんですね」
スーが意地悪く言うと、アインは頬を掻いた。
「店主が言うには、ティアドロという石なのだそうだ。縁起の良いもので、贈り物に最適なのだと。意味は分からんが、昔からそういう名で呼ばれているそうだ」
「ティアドロ? もしかして、ティ・アドーロでしょうか?」
スーが驚いた表情を浮かべ、直後、にやりとした。
『ティ・アドーロ』
スーが言い方を変えた。
「『力在る言葉』なの? なんて意味?」
「俺も知りたいところだ。店主も、意味は知らないと言っていたからな」
「お教えしてもいいですが、トリル様、受け取ったからにはまずはおつけになりませんか?」
「うん……」
含みのあるスーの笑顔にためらいは覚えながら、トリルは首飾りを持ち直し、首の後ろで紐を結んだ。考えてみれば、首飾りをつけるなんて、人生で初めてかもしれない。少なくとも、男性に何かをもらうのは確実に初めてだった。
「さ、つけたよ」
「とてもお似合いですよ。はい、お似合い、です。ふふ」
「スー、ちゃんと教えてよ」
「はい、ええ、分かりました。でも、トリル様。言葉の意味を知ってから、頂いたものをつけないというのは駄目ですからね。アイン様も、あらためて交換してくるとか、そういうのはナシですよ」
「分かったってば」
「早く言え」
トリルとアインを交互に見て、ようやくスーが口を開く。
「私の分がなかったのは、正解でしたね。『ティ・アドーロ』の意味は、愛してる、です。古い時代の、愛を伝える文句ですよ。私も文献の中で見たことがある程度でしたが、石の名前として残っているなんて、素敵ですね」
トリルは、思わず固まってしまった。アインの方に視線をやりそうになり、踏みとどまる。
「さて、と――なんだか暑くなってきたので、飲み物の追加をお願いしてきますね」
スーはそう言って、軽やかな足取りで受付の方に歩いて行った。トリルが横目でアインを見ると、アインも同じようにトリルを見ていた。
「――返さなくて大丈夫?」
知らなかったのだから、言葉の意味で渡したわけではない。それは、トリルにも分かっていた。しかし、嬉しいと感じた気持ちを大切にしたかった。そう感じたこと自体に戸惑いもあったが、嘘はなかった。
「意味までは知らなかったが――もらっておいてくれ」
トリルは小さく頷き、そっと虹色の石を撫でた。
「大事にする」
トリルは消え入りそうな声で呟いた。アインに聞こえたかどうかは、トリルにも分からない。ただ、これからずっと、肌身離さずつけていようと静かに決意をした。
「お待たせしました。そういえば、乾杯してませんでしたね。今回の旅の成功を祝って、乾杯しましょう」
「乾杯。懐かしいな、部族でもよくやっていた。だが、何か掛け声が必要なんじゃないか」
「掛け声ねぇ……スー、『力在る言葉』で、何かいいのはない?」
「いい言葉がありますよ。『ティ・アドーロ』という言葉で――――わ、分かりました。お二人で同時に睨むのはやめてください。では『ヴィンクルム』はどうですか?」
「なんていう意味?」
「絆、です」
「いいじゃん、それにしようよ。これからの私達の旅の、乾杯の合言葉」
「よし、では――」
「ヴィンクルムッ!!」
カンッ、と乾いた心地よい音を立てて、三人のグラスは嬉しそうにぶつかった。
翌日、三人は街の仕切り役を務めるパッサージョという
「素晴らしい報告をありがとう。何か恩を返したいところだが、旅の身となると重いものは邪魔になるだろうしな……ちなみに、次はどこへ向かうつもりなのかね?」
トリルはスーを見た。アインもスーを見た。
「カスカータに向かおうかと、私は考えていました」
「カスカータ……
「南東に進めばラーゴ湖という湖があるはずです。その付近に、
珍しく歯切れの悪いスーに、二人は首を傾げる。
「はず、とはどういうことだ?」
「それが……
「でも、オストの街中に、
「はい、彼らが人族の街に来ることはあるのですけれど、人族が
珍しく肩身の狭そうな様子のスーは、トリルの目にかわいらしく見えた。だが、そうも言っていられない。各地を巡り、他の種族に関わってみる旅だとして、街に入れないのでは話にならない。
「じゃあ、
「あの……
パッサージョも含めた三人の視線が、小さなスーに注がれる。
「で、でも、私、ちゃんと言いましたよ。カステロを出るときに。コリーナとだけ交流があります、って。それは暗に、他の国についてはよく分からない、という意味になるというか、なんというか……」
自分でも、意味のない弁明だと分かっているのだろう。手振りを交えながらスーが言葉を紡いだが、トリルは小さくため息をついてしまった。
ふーっ、と息を吐いて、アインが口を開いた。
「雲の形を変えるのは明日の空、というが……パッサージョ殿、何か良い案はないか」
「うむ。一人、助けになりそうな人物を知っているぞ」
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