第25話

「投降? 捕らえてどこに連れて行こうってのさ。まさか、牛人ミノスの街かい? あんな牛もどきどもに囲まれるなんて、まっぴらだね」

 トリルの心がざらつく。この人は、牛人ミノスがどれほど心豊かで温かい人達かを知らないんだ。

「では、モナルキーアまで連行して差し上げましょうか」

「それもごめんだね。どうやらスッドの件でも足がついているようだし、何年も鎖に繋がれるとなっちゃ人生終わったようなもんだろ」

「ならば、ここでその人生を終わらせるがよかろう」

 チキ、とアインが剣を鳴らす。

「おっと……怖いねぇ。こりゃあ、八方塞がれちまったってやつかねぇ」

 奇妙だった。コレペティタは、追い詰められている。追い詰められているのに、焦る様子がない。何か、余裕があるような感じがする。

「あなたの持っている、その錫杖は一体なんなの? まるでオンブラを操り、生み出しているように見えた」

「いいだろう? この杖はね、ある男にもらったのさ。赤い髪をした、赤い剣を携えた男。この杖を持っていれば、オンブラに襲われない。それどころか、影を集めて新たなオンブラを生み出すことが出来るってね」

 トリルはコレペティタの顔つきに、何か違和感を覚えた。でも、それがなぜなのか、はっきり分からない。

「アタシは聞いたよ。どうしてそんなものをくれるんだってね。人族の国をおん出て、街外れに潜んでいた、見るからにおたずね者だったアタシにさぁ」

 トリルはハッとした。コレペティタの、目がおかしいのだ。白目のところが、どんどん黒く染まっているように見える。

「そうしたら、そいつは言ったよ。人族が大陸を治める未来のためだってさ。この杖は、そのための力を人族に与えてくれるんだと。なにせ、オンブラを操り、生み出すことが出来る上に、自分自身も強化してくれるってんだからさ」

 トリルはバルカロールの言葉を思い出した。赤い髪の剣士カストラートは、人族が至高であるという考えに取り憑かれていたという。

「あぁ、なるほど――コントロールが難しいってのは、こういうことか。こりゃ、ちょいとしくじっちまったようだね。でも、まぁ、このまま捕まって人生終わっちまうよりは、姿形が変わっても自由を謳歌できるほうが……」

 コレペティタの口から黒い煙があふれ出した。肌が青黒く変色し、異臭が漂い始める。黒く染まった白目は、もはや眼窩に暗闇をはめこんだ様相を成していた。彼女が手に持っていた錫杖の、先についていた歪な灰色の石がはじけた。

「ェ、ェ、ェ……」

 濁った声が響く。異様な光景に、トリルの手は動かない。スーも後ずさった。

 ただ一人、アインだけは違った。彼は手にしていた剣を一閃、コレペティタだった異形の胸部を貫いた。

「ェェ……」

 異形は胸を貫かれたまま膝をついた。そしてアインは腰の大剣を持ち直し、その刃ではなく腹の部分で、異形をはじき飛ばす。剛力で異形の体は吹き飛んだ。

 アインが二歩歩み出る。ハッとして、トリルは剣を構えて同じ方向に向いた。スーも、同じように二刀を構え直している。

「スー、あれは……?」

「分かりません……少なくとも、私の知識にはありません」

 スーの声が固い。見ると、顔も明らかに強張っていた。

「知らない、ということは、予測できん、ということだな」

 アインが大剣を正面に構える。吹き飛ばされた異形が立ち上がる。胸に剣が突き立てられ、何人分もの距離を殴り飛ばされてなお、立ち上がり、くぼんだ闇の目で三人を睨んでいる――そして、異形は跳んだ。

「散れっ!!」

 トリルの体はアインに引っ張られ、大きく跳んだように避けた。

「スー!」

「だ、大丈夫です! 行きます!!」

 タッ、と踏み込み、スーが双剣を交叉させて振り下ろす。異形はそれを軽々と腕で受け止め、払って弾く。スーは払われた勢いのまま体を旋回させ、二刀を異形の胴体に滑り込ませる。シュンッ、と音が響き、異形の腹から黒いものが噴き出した。血――なのだろうか。

 アインがトリルから手を離して、駆けた。両手に手斧を持っている。一本を投擲し、異形が弾く。さらに三本目を抜き、二本の斧で連続して猛攻をたたき込む。

 スーは二刀を構えながら、攻撃を加える隙を見つけられずに躊躇していた。それを見たトリルは、自分が加わって剣を振れそうにないことを瞬時に悟った。かといって、小型弩の準備をしても、この激しい動きの中で異形だけを射貫くことは出来そうにない。

 自分に出来ること――周囲を見渡して、危険が近くにないことを確かめ、言葉を紡ぐ。

『トイ、トイ、トイ……』

 スーは、命に関わる魔法は使うな、と言った。でも、あれはどう見ても、命あるものとは言えない。それなら、目くらまし程度に光を当てることは、精霊も許してくれるはずだ。

陽精ソル。私が願った場所で、光って……』

 指を組み、異形の目の辺りに集中する。あの部分に、直接光を発生させる。

『イン・ボッカ・アル・ルーポ!』

 キラッ、と光の粒が、トリルの目の前に生まれた。それはスッと空中を走り、異形の眼窩にたどり着くと、小さく弾けた。

 コレペティタだったそれが、にわかに仰け反る。一瞬の隙――アインが踏み込み、大剣を抜き放ち、渾身の一撃をその体にたたきつける。

 頭と体が離れた。見るからに致命的な傷をいくつも負って、異形は崩れた。それなのに、どの体の部品も、まだ動いている。おぞましい、という言葉がトリルの頭に浮かんだ。これは、現実なんだろうか

 そんな現実離れした光景の中で、人馬ケノスの戦士はゆっくり異形の頭部に歩いて寄った。

「カストラートについてもう少し聞きたかったところだが――無駄だろうな」

 言いながら、アインは腰の背嚢に手を伸ばした。取り出したのは、手投げ矢だった。

「返すぞ」

 アインはそれを、切り離された異形の眉間に勢いよく突き刺した。頭部は黒いもやに包まれ、ちりになって消えていった。他の体の部品も、同じように消えた。

 肩で息をしていたスーだったが、二刀を拭い、鎧の留め革を締め直すころには、もう呼吸を整え終えていた。そして広間の壁に触れながら、不思議な建造物の状態を調べている。

 アインは、弾かれた手斧を回収し、元の位置に収め、散らばった武器や何やらを見て回っている。

 トリルは、全身が重く、ずっとコレペティタが持っていた錫杖を見つめていた。先端にあった灰色の歪な石は、もう無い。きっとあの石が、オンブラから身を守るだけでなく、操ったり、生み出したりする謎の力をコレペティタにもたらしていたのだろう。そして、魔法の心得のない、ただの人族の体を変異させ、オンブラ以上の怪物に姿形を歪ませた。怪物は胸を貫かれても、大剣ではじき飛ばされても、倒れなかった。それどころか、体が裂かれても、まだ動いていた。ついさっきまであった光景が視界に蘇って、トリルの肌は粟立った。構えていたときは感じていなかった恐怖が、全身に沸き上がる。

「どうだ?」

 トリルがずっと錫杖を見ていたことに気付いていたのだろう、アインが側に来て言った。

「分からない。もう、何でもない棒にしか見えないけど……」

 ふむ――と、アインが杖に歩み寄る。そして、ひょいと拾い上げる。

 ぎくりとした。大丈夫なの――声をかけようとした瞬間だった。

「ぐあぁぁっ!!」

 アインが急に膝をついた。

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