第24話
「ただの町娘だった? では、君は世界のことを何も知らずに、旅に出たというのかね」
ルーラードさんに見据えられ、トリルは言葉に詰まってスーの方を見た。スーは苦笑していた。
「ふるさとにあった本で、少しだけ世界のことは学びました。種族のこと、精霊のこと、大陸のこと。でも、どれも本で見ただけで、経験は――」
「いや、知っている、というのは強さだ」
「知っていれば予測できる。予測できれば対応できる。対応できれば解決できる。君が本で得た知識が、役に立つことは多いだろう。余計なことを言って済まなかったな、なにぶん、普段は人と話すことがないものだから」
彼はゆっくり立ち上がり、小さな瓶を差し出した。
「これの中身は、数年に一度しか咲かない花の蜜を抽出してつくった薬だ。希少なだけあって、薬効も凄まじい。ひとつしかないが、重篤な怪我を負った時に使うといい。致命的な傷でも、たちどころに修復されるだろう」
値打ちがつけられないほど貴重な薬――トリルは咄嗟に断りかけたが、ルーラードの視線の強さに、黙って受け取らざるを得なかった。
「種族は違えど、アインとは十年もの時間を共有した。復讐の心に駆られ、自らを責め、高め続ける姿は、献身的に見えながらも危うかった。アインのこと、よろしく頼む」
穏やかな瞳。トリルは深く頷いて応えた。
朝になって、軽く食事をとり、三人は山の裏側へと向かった。トリルの矢傷は、信じられないほどすっかり癒えていた。日常使いしているという薬でこの効果なら、あの妙薬はどれほどのものなのだろうと思う。
崖を迂回して降りると、山肌がえぐられるような形で洞があった。崖の上から眺めたときには、木々に隠れて見えなかった洞だった。
「自然に出来たものではないな」
「ええ。初めこそ自然の土や石でごつごつとした見た目ですが、数十歩ほど先からは、まるで雰囲気が変わっています。磨き上げた鉄のような表面ですが、まるで錆がない。人工物であることは間違いありませんが、それにしても――」
トリルも目を凝らす。不思議な表面は山の内側に貼付けられたように内壁をつくり、それはずっと奥まで続いているようだった。建物といっていいのか、その人工の空間は下に傾斜していっているらしく、奥の様子を窺うことは出来なかったが、中からほのかに光は見えた。ただ不思議なことに、その光は炎のような揺らぎがまったくなく、ずっと一定の明るさのまま暗闇を照らしている。
「狭そうだね」
「使える武器が限られるかもしれません」
「一列で行く。トリルを挟んで、俺が前、スーが後ろだ。ここから先は動きやすいよう外套は脱いでおけ」
アインは普段はあまり使っていない長剣を持ち、スーはいつも通り双剣を抜いた。トリルは木目の剣を右手に構える。
「弩はどうした?」
「囲まれたら使い物にならないから」
「一応、矢の装填だけはしておけ。使える武器は多い方がいい」
トリルは頷き、言われたとおりにした。
『トイ、トイ、トイ』
スーが双剣を交叉させ、唱え始めた。
『
二本の剣が交わったところから光が放たれ、周囲に光の玉がいくつか浮遊し始めた。
「よし、行くぞ」
三人はお互いの武器が干渉しない距離を保ちながら、崖の口に歩いて行く。鳥の声も、虫の声もなかった。風は吹いていたが、トリルは緊張のせいか熱を感じなかった。胸がどきどきと高鳴っている。
地面の感触が変わり、下り坂になった。下り坂は二十歩ほどでまた水平になり、今度は細い通路が続いている。壁は相変わらず美しい金属の光沢をまとっている。
分かれ道のない、まっすぐな一本道。浮遊する光の玉が、周囲を明るく照らす。だが、それとは別に、壁に埋め込まれた透明な光の筒が、明るく照っている。どうやら、スーの魔法がなくても中は明るいようだった。
「そこで止まりな」
聞き覚えのある声が、反響しながら聞こえてくる。奥は薄ぼんやりとしてはっきりは見えないが、どうやら通路が途切れて、その先には空間が広がっているらしい。
「そこから少し進めば、こっちは広間になってる。でも、ここは
楽しそうな、弾んだコレペティタの言葉が聞こえてくる。
「何故お前は無事でいられる?」
「さぁて、どうしてかねぇ。女ってのは、秘密があるもんだからねぇ」
「信用ならん声の響きだ。だが、舌先だけで戦いを制することが出来るなどと思い上がるなよ。トリルに突き立てた矢の代償を払ってもらうぞ!」
アインが駆けだした。トリルとスーもそれに続く。
「バカが、やっちまいな!!」
広間に飛び込んだ三人を、多勢の影が出迎えた。アインは長剣を構え、お構いなしにその群れに突っ込み、剣を構えている相手も、まだそうでない相手もなぎ倒していく。真ん中から裂くように割れていった集団の右側に、アインは方向を変えて襲いかかった。浮き足だった怪物達は、退いて壁の方に下がっていく。照らされたその姿は、これまでに見てきたオークのものと同じだった。
「アイン、奥!」
白い光に照らされて、奥に姿を見せたのは独眼の巨体――サイクロプスだった。その右奥の光景に対して、左側に群がっているのは粗末な剣や槍を手にしたオーク達だ。
「いざ!」
言いながら、スーが一歩進み出る。飛びかかってきた一体を難なく切り払い、そのまま一歩進んで払い、一歩進んで斬りつける。舞うような動きで黒い集団に切り込んでいったスーに、トリルも続いた。二刀からかろうじて逃れた
すごい――それに比べて、私は――情けなさに苛まれた瞬間、ダァン、と音がした。
瞬時にアインの方を見る。音は、サイクロプスが崩れ落ちた音だった。
「終わりですっ!!」
スーが叫んだ。三十はいただろう怪物達の群れはあっという間に瓦解し、広間奥にいるコレペティタと、例の実体のない影が数体いるだけになった。
「これはこれは――勇ましいことだねぇ」
余裕を無くさないまま、女は笑って言った。相変わらず、すぐ側にいる
「こいつらをけしかけても、とても敵いそうにないね」
次の瞬間、コレペティタは外套を脱いだ。右手に、腕の長さほどの錫杖のようなものを持っていた。先端に、灰色の歪な――銀貨ほどの大きさの球を不規則につなげたような――石がつけられている。
石からは、ちらちらと黒い粒――小さな闇が零れ落ちている。
コレペティタがその杖を振ると、彼女の周囲にいた影達が音もなく消えた。それとほぼ同時に、歪な石が、黒いもやを広げ始めた。広間を風が巻く。
「これはいったい――?」
「妙な真似はやめて、おとなしく投降しなさい」
二刀の内の一本を突きつけて、スーが冷たく言い放つ。
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