第21話

「ルーラードなら分かるはずだ。山のことは知り尽くしているからな。あるいは、彼の小屋を奴が乗っ取ったということもありうる」

「じゃあ、私とスーも一緒に――」

「駄目です」

 いつ天幕から出てきていたのか、髪を結い、剣も鎧も身につけたスーが立っていた。

「少なくとも、矢傷を負った方に山道を歩かせることは出来ません。ましてや、貴女は予言書に謳われた『虹の乙女』だと目されている人なんですよ」

 にべもなく反論されて、トリルは言葉を探す。

「じゃあ、魔法で傷を癒す、とか」

「出来ません」

 スーはきっぱりと言い切った。

陽精ソルの活力とか、水精アクアの癒やしとか、何かありそうな気がするけど」

「……治癒の魔法は、おそらく人が魔法に望む中で、もっとも望まれている魔法のひとつだとは思います。しかし、宮廷魔術師団は、その研究そのものを禁じています」

「どうして? 命を傷つける魔法は精霊に嫌われるっていうのは分かるけど、命を救う魔法なら精霊は喜んでくれるんじゃないの?」

「私が知っている限りの事例ですが……傷口を塞ごうとした魔法は、その傷口部分が急速に老化し、崩れてしまったそうです。折れてしまった骨を治そうとした魔法は、その周辺すべての体を硬直させてしまったと聞いています。病を治そうとした魔法はさらに悲惨で……」

「分かった、分かった。もういいよ」

 これ以上は聞かないでおこうという話ばかりだ。

「でも、どうしてうまくいかないんだろうね」

「一説には、精霊が永遠の時を生きているためだと考えられています。時間の概念がないゆえに、加減が効かないと」

「回復させ過ぎちゃうってこと?」

「本当のところは分かりませんが、危険な魔法であることは間違いないので、モナルキーアでは禁止されています。下手をすると、かけた相手が苦しむ結果になるだけでなく、命を傷つけたということで精霊に嫌われる可能性もありますから」

「助けようとして苦しめて、さらには魔法も使えなくなるのか……それじゃ、誰も研究しようなんて思わないね」

 トリルはなおも言葉を探したが、他に案は思いつかなかった。その様子を見終わってか、アインが口を開く。

「トリルとスーは、このまま三人をヌヴォラまで護衛しろ。俺はモンテ山へ行ってコレペティタを討つ。それがよかろう」

「いえ、それも同意しかねます。アイン様が優れた戦士であることは重々承知ですが、やはり『白き王子』を危険な目にあわせるわけには……しかし、追撃は間髪を入れずに行うことが基本……」

 スーはぶつぶつ言いながら下を向き、腕を組み、思考を巡らせる。そして、ひとつ深い息をついて、トリルとアインを交互に見た。

「アイン様。ルーラード様は隠者であり薬師であるとのことでしたが、トリル様の傷に合う薬はお持ちでしょうか」

「確実に持っているな。ルーラードが作った薬を求めて、わざわざ小屋にくる牛人ミノスもいるほどだ。歩けるほどの矢傷ならば、すぐに塞ぐような効能のものがある」

「わかりました。では、我々三人で山に向かいましょう。コレペティタが山に向かったということは、おそらく私達の護衛は必要ないでしょうから――アイン様は、お三方に事情を伝えてきていただけますか」

 アインは了承し、三人の牛人ミノスの元へ駆けた。人馬ケノスの戦士の話を聞き、三人は大きく頷いている。それを見たスーは、あらためてトリルの方に向き直った。

「不本意ですが、これが次善の策だと判断しました。でも、トリル様。くれぐれも無理をなさらないでください。本来、怪我というのは放っておけば勝手に治るというものではありませんし、安静が絶対ですからね」

「うん、分かった。本当にダメなときは、ちゃんと言うよ」

「傷を負わない力量をもつのが一番だが、傷の処置について理解していることも戦士としては重要な技量のひとつだからな」

 蹄を鳴らして、アインが戻ってきた。

「彼らは、この先は大丈夫だとのことだ。また、片が付いたら、ヌヴォラの街のパッサージョという者を訪ねてほしいとのことだった」

「わかりました。では、この先の案内は、アイン様にお願いしてもよろしいですか」

「心得た」

 トリル達は、六人でとる最後の朝食を済ませ、牛人ミノスの行商達と別れた。スーはトリルの包帯を念入りに巻きなおし、荷物を預かることも申し出た。

「いや、荷は俺が持とう」

 遠慮するトリルからひょいと取り上げ、肩掛け鞄も提げる。

「モンテ山に入る道はいくつかあるが、ルーラードの小屋に続く道で最短のものを使う」

「時間は、どれくらいかかるの?」

「今はまだ朝も早いから、ここからなら、昼過ぎには到着するだろうと思う。そしてその時間帯は、ルーラードも小屋の中にいるはずだ。昼より前は、思索と称して留守にしていることが多いがな」

 アインを先頭に、スーとトリルが並んで歩く。荷物を持っていないせいか、包帯がしっかり巻かれているせいか、はたまた傷がそもそも浅いのか、トリルは覚悟していたほどの痛みがなく安心した。次第に緊張もほぐれ、思考を巡らせる余裕も出てきた。

「そういえばさ」

「はい」

「コレペティタは、人族で、犯罪者なわけでしょ? でも、ここはコリーナで……こういう場合、どうするの?」

「本来は拘束してモナルキーアで裁判にかけたいところですが、ここは遠方の地ですし、迷惑を被っているのは牛人ミノスの皆さんです。彼らに突き出すか、もしくはその場で……といったところでしょうか」

 スーが言葉を濁した部分に、トリルは気が滅入った。オンブラを刃にかけることすら慣れたとは言えない状態なのに、人の命――悪人だから殺しても構わない、などとは割り切れそうにない。

「前回は毒ではなく嘘を用いていたが、今度は使っていないと嘯いて毒を塗っている可能性だってある。迷ったら死ぬぞ」

 ちらと振り向いたアインに鋭く見据えられ、トリルは何も言えなくなってしまった。反論の余地がない。

「ルーラードの所に解毒の水薬もあったはずだが、確実に効くとも限らん。相手の出方次第だが、殺める覚悟はしておいたほうがいい」

「そもそも『虹の乙女』に危害を加えた時点で死罪確定ですよ」

 憤然とするスーを見て、トリルは、彼女なら何の迷いもなくコレペティタの首をはねるだろうという気がした。もしかしたら、そういう経験もあるのかもしれない。

「もっとも、何事も考えすぎると体が硬直してしまうものです。あまり考えすぎない方がいいですよ」

「自分の蹄で腹を打つ、というやつだな」

 前を進むアインが笑う。どういう意味の言い回しなのか、トリルには分からなかった。焦って失敗する、という意味合いだろうか。

 三人は道とも言えない道を進んだ。次第に道は傾斜を含み始め、細くなり、左右の植物が繁茂してきた。鳥の声が響き、虫が飛び交い、時折トリルの顔に当たった。

「あっ」

「どうしました? 傷が痛みますか?」

「ううん。ちょっと珍しくて――ほら」

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