第20話

「敵襲です。昼間の不審な人物の――迂闊でした、トリル様が矢傷を。しかも毒だと」

 スーが泣きそうな顔でうつむく。アインは手投げ矢を受け取り、鼻を近付けた。

「……いや、毒ではない。だが、しっかり黒塗りをしているところを見ると、この手の道具の扱いに慣れている奴だな。だが、少なくとも、まともな戦いをする輩ではない」

 そう言いながら、アインは腰に提げている小さな背嚢にそれをしまった。

「逃げを打つと決めて、武器を構えていない者を狙った。しかも足を撃って、追いかけてこられないように。さらに、毒矢だとうそぶいて手当の必要性を説き、追撃を制したのだ」

「私を狙ったのは、単純に私のことが気にくわなかったからかも知れないけどね」

 強がって笑いながら言葉を紡ぐトリルの頬に、アインの手が触れる。

「どんな奴だった」

「コレペティタという、モナルキーアで手配されている犯罪者です。宮廷魔術師の情報網の中にその名が挙がっていました。モンテ山に潜んで悪事を働いていた人族というのは、彼女のことでしょう。モナルキーアにいられず、こちらの方に潜伏していたようです」

「虚言を操り、誇りのかけらもない卑怯者――か」

 アインがトリルの足と背中に手をまわし、ぐっと抱き上げた。矢が当たったところの痛みが鈍く広がったが、いきなりの出来事に言葉が何も出てこない。

「毒ではないにせよ、まずは手当だ――大丈夫か? 体がこわばっているが」

 トリルは大丈夫、と言いたかったが、口を開くと舌を噛んでしまいそうだった。

「た、か、い」

 慎重に一音ずつ口にすると、アインは笑った。

「すぐおろす」

 天幕の近くまで来ると、アインはゆっくり膝を曲げ、そっとトリルを地上に返した。右足だけを着いてトリルはアインから降りる。

「周囲は俺が警戒する。おそらく再度の襲撃はなかろうが、一応はな」

「トリル様は、まず横になってください。傷の具合を看ますから」

 促されるまま、トリルは天幕に入り、ブーツの紐をほどいた。スーも天幕に入り、トリルのブーツの紐を手際よくほどき、さらに下衣に手をかけた。

「ちょ、ちょっと、スー!」

「脱いでいただかないと、傷の部分が見えません」

「わ、分かった。自分で脱ぐから」

 剣を鞘ごと置き、ベルトを外し、外套をお腹にかけてから下衣をずらす。仕方がないとはいえ、下着ごと露わになってしまうのは恥ずかしい。

 下衣を下げると、手投げ矢が刺さっていた腿が見えた。血が滲んで広がっている。

「深いですね。頑丈な特殊繊維で編まれているとはいえ、鋭利なものは突き刺さりますから……痛みますか?」

「う~ん……全く痛くないわけではないけど、それほどでもないかな。昔、お店の中で遊んで、弾みで剣の柄が太ももにめり込んだことがあったけど、そんな感じ」

「活発な女の子だったんですね」

 スーが笑いながら、白布を水筒の水で濡らし、太ももを優しく拭く。ズキン、と傷口に沁みた。

「そういえば、薬はあるのか――」

「駄目!」

「駄目です!」

 天幕の入口から入ってきた不意のアインの声に、トリルとスーは声を荒げた。

「あ、ああ。すまない、中は見ていない。ただ、薬はあるかと思ってだな……」

 薬――母が持たせてくれた丸薬のひとつが痛み止めだった。傷に直接塗布するものではないが、まだ街まで歩くことを考えると、あとで飲んだほうがよさそうだ。

「傷薬は、私も携行しています。宮廷御用達のものですから、ご心配なく」

 スーの言葉に、分かったと答えてアインの気配は遠ざかった。ふぅ、とトリルが息を吐くと、同じ拍子にスーも息を吐いた。二人は顔を見合わせて笑った。

「アイン様でも焦ることがあるんですね」

「ちょっと声が大きすぎたかな」

「レディーの寝室ですから、殿方は立入禁止ですとも。それにしても、驚きましたよ。コレペティタと対峙していた最中、トリル様が駆け寄ってアイン様を起こしてくれれば、と思って視線を送ったんですよ。まさか、魔法を使うとは思いませんでした」

「そうだったんだ。ほら、ちょうど直前にスーが教えてくれた言葉が『覚醒』じゃん。だから「さっきやったばかりだから、覚えてますよね」って意味の目だと思ってさ」

「私、そんなに長い意味を込めてなんて、見ていません」

「い~え、スーの目はそういう目でした。むしろ、「さっきやったばかりの言葉すら忘れているようなら、今後はもう魔法をお教えしませんから」くらいの目だったなぁ」

 怖い先生に巡り会ったもんだわ、とトリルが笑うと、スーは困ったような嬉しいような顔でにらんだ。

「トリル様って、時々意地悪ですよね」

「あはは、ごめんごめん。でも、スーが教えてくれた魔法で危機を脱せたよね。ありがとう」

 スーが首を横に振る。

「使い方を知っていても、実際にそれを使う力は別のものですよ。紛れもなく、トリル様の機転と力で脱した窮地でした……はい、これでおしまいです。どうですか?」

 スーが巻いてくれた包帯を軽く撫で、トリルは膝を曲げたり伸ばしたりしてみる。立ち歩いてみないと分からないが、少なくとも痛くて仕方が無いというほどではないような気がした。

「うん、大丈夫だと思う。あとは、痛み止めを飲んで少し眠ろうかな」

 気が高ぶって眠れないかもしれないけど――と思いながら、トリルはそれは言わずにおいた。スーは頷き、目をつぶっているだけでも休めるものですよと優しく言った。

 翌朝になって、トリルは「疼く」という感覚を思い知らされていた。矢傷のところがじわじわと熱く、傷口の中や奥に埋め込まれた小さな玉が、ぐぅ、ぐぅと広がったり縮こまったりしているような、そんな鈍い痛みがなくなったり、また、ぶりかえしたりする。痛みが完全に抜けるまでは三日はかかるかもしれない。

 横を見ると、スーが寝息を立てて眠っていた。眠れるときに眠る、というのは大切なことだというのは旅の中で十分わかってきたことだが、今の自分には難しそうだ。

 トリルは体を起こし、ブーツを履いてみた。足を動かすとびりびりと痺れるような痛みが走るが、履くこと自体は出来た。紐を結ぶのはためらわれたが、素早く動けないことを不安に感じ、いつも通りに紐を締め、天幕の外に出た。空は白みはじめていて、少しは睡眠をとれていたことが分かった。

「トリル」

 アインの声に顔を向けると、額にうっすら汗を浮かべている。

「どこかに行ってたの?」

「ああ。三人が早くに起きてくれたので、天幕を見ているように頼み、俺は周辺を見回ってきた。どうだ、歩けそうか?」

「歩かないわけにいかないでしょ。頑張るよ」

「そうか……」

 そう言って、アインは何も言わずにトリルをじっと見た。陽の光を受けて、紫色の瞳は春の空のようだった。

「どうかした?」

「俺は一度みなと分かれ、コレペティタとやらを追跡しようと思う」

 驚くトリルの言葉を待たず、アインは続けた。

「この辺りの景色に見覚えがあったから、山に続く道を確かめてきた。そこに、出来て間もない足跡と、オンブラの気配が僅かに残っていた。奴が山に行ったのは間違いない」

「で、でも、コレペティタがどこに潜んでるかなんて――」

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