第19話
「こんばんは」
聞き慣れない女の声――反射的にトリルは立ち上がり、腰の剣に手をかけた。スーもまた、低く身構える。
「ああ、何も、とって食おうとしているわけじゃないから、楽にしてちょうだいよ」
目深にかぶったフードで、顔は見えない。
「あなたは誰です? ここで何を?」
「同じことを、アタシが聞こうと思ってたんだけどねぇ……まぁいいか」
女はフードを少しずらした。黒髪が目元まで伸びていて、何か不吉な雰囲気をまとっているような感じがした。年齢は三十はいっていないだろうか。その瞳の黒は、夜の空のような透明感のある黒ではなく、明かりのない街角の闇の色を思い出させた。
「アタシはコレペティタ。スッド出身の、まぁ、旅人さ。こっちは名乗ったよ。そっちは?」
「私はスーブレット、カステロの出身です。彼女はトリル。私達も、旅人です」
そうかい、と頷いて、コレペティタと名乗った女性は一歩近づく。スーとトリルは同時に一歩下がった。
「おやおや、随分警戒するんだね。祖国を遠く離れたこの地で、同じ人族として助け合おうっていう気はないのかね」
口を曲げて笑うコレペティタに、トリルは自分の中の何かが反応しているのを感じていた。
「同じ人族……そうかな。少なくとも、
「おや――見かけによらず察しがいいね。昼間のがアタシの仕業だって、よく気付いたじゃないか」
スーは両手を剣の柄に近づけた。
「おお、怖い怖い……でも、剣を抜くのはやめておいた方がいい。どこからともなく、
トリルが彼らの方に視線を送りそうになった寸前、スーが口を開いた。
「駄目。トリル様、目を逸らさないで」
慌てて、トリルは意識を集中し直した。スーに言われなければ、コレペティタから視線を外してしまっていた。
「要求はなんですか?」
スーの言葉に、闇の女がクスクス笑い出す。
「その若さで、たいした肝の据わり方だね、お嬢ちゃん。なに、あんたらが守っている牛もどきちゃん達の荷物を譲って欲しいと、ただそれだけのことさ」
「彼らの荷は、食糧がほとんどです。金品の類は、まるでありませんよ」
コレペティタは頷いて言葉を次ぐ。
「それが欲しいのさ。なにせ、山暮らしでは、食い物に一番困るからね。おおよそ、アタシのことをかぎつけてきた口だろう、アンタ達。でも、アタシが
トリルは耳を澄ませる。しかし、草が風で流される音、木の枝が揺れる音が聞こえてくるだけだ。彼女が操っているという
「そうだね……そっちの黒髪の娘。アンタがここに残って、栗毛の嬢ちゃんが荷を取りに行きな。『様』づけされてるってことは、到底見捨てていくことは出来ない関係なんだろう?」
コレペティタがにやりと笑う。
「荷を渡して、見逃してくれる保証は?」
トリルが言うと、彼女はくっくと笑った。
「同じ人族だもの、そりゃあ命までは奪ったりしないさ」
「じゃあ、人族以外は?」
「牛もどきや馬もどきが死んだところで、王国の犠牲になるってわけじゃないだろ。アンタ、いちいち細かいところにうるさいね……」
女があからさまに不快感をあらわにした。一方、トリルもまた、自分で驚くほどに怒りを覚えていた。さっきから女が口にする『もどき』という言い方が、トリルに強い怒りを焚きつけた。アインや
――アイン。そういえば、アインはどうしたのだろう。目を覚ましていてもおかしくないような気がするが……
不意に、シュンッと音が鳴った。スーが剣を抜いた音だった。
「アンタ、話が見えてないのかい。思ったより賢くなかったね、それじゃあ
「いえ、それなりに賢くあれたと思います。あなたの口ぶりで、どうにか思い出すことができましたから。どこかで聞いた名前だと思っていました」
スーがもう一本の剣を抜いて続ける。
「コレペティタ――スッドで数々の詐欺や窃盗をはたらき、手配が回っている重要参考人の名ですね。そしてその手口を思い出すに、あなたの言葉の多くは、大言壮語。
そう言ったスーが、トリルに視線を送る。
トリルはハッとした。
《みなが起きていれば襲撃できない――》
『トイ、トイ、トイ』
トリルは小さく、呟くように言葉を紡ぐ。
「なんだい、アンタ。何をぶつぶつ……」
『
唱え終えたトリルは、自分の手から何かが飛び放たれた感覚を覚えた。手応え、といってよさそうだ
「まさか、魔法!?」
小さく叫んだコレペティタが、翻った。暗闇の中で外套が広がり、二人は一瞬、彼女の姿を見失ってしまった。
「――っ!!」
いきなり左の太ももに痛みが走り、トリルは言葉にならない声をあげた。
「トリル様!?」
大丈夫、と咄嗟に応えることが出来ないまま、トリルはとにかく剣を抜いた。
「アタシを追うより、その毒の処置を急いだ方がいいよ!!」
言い放って、コレペティタはかなりの速さで駆けだした。
「待てっ!!」
トリルは追いかけようと踏み込んだが、その拍子に鋭い痛みが走った。全力で走れそうになく、トリルはその場に立ちこらえるのが精いっぱいだった。
「トリル様、動かないで!」
スーが剣を構えたままトリルの横に並ぶ。コレペティタはあっという間に遠くに去り、夜の闇の中に消えてしまった。
「手投げ矢――迂闊でした、犯罪者がこの手の装備を持っていないはずがないのに。申し訳ありません、トリル様」
「な――っ」
トリルは「何が」と言おうとしたが、途端、太ももに痺れと痛みが走ってその言葉の意味を理解した。抜くと痛むからごめんなさい、ってことね。
「痛ぅ――毒、って言ってたけど……」
いつか耳にした、毒蛇に噛まれて体に麻痺が残った人の話を思い出す。足に熱さを感じながらスーを見ると、彼女は顔をしかめながら、まず座ってくださいとだけ言った。
カカッ、と蹄の音がして見ると、アインが駆けつけていた。
「何があった」
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