第18話
葦毛の弟が心配そうな顔で言う。
「この先で、同じような場所はあるか? つまり、進む道が細く、両脇に姿を隠せるような場所は」
栗毛の兄が弟の方を見ると、弟は首を横に振った。
「いいえ。ヌヴォラまでの道で視界が悪くなるのは今の箇所だけです」
「そうか。では、もう少し進んで一度野営の準備をしよう。慣れぬ戦いの後に無理に進むべきではない。見張りを立て、しっかり休もう」
アインの自信に満ちた口ぶりに、
「トリル」
「ん?」
「さっきは確かめなかったが、怪我はないか?」
「――大丈夫、だと思う」
「そうか」
それだけ言うと、アインはまた前を向いて何も言わなくなった。
「急にどうしたの?」
「お前の身が心配なだけだ」
紫色の瞳に見つめられて、トリルは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「アインは――大丈夫だよね。聞くまでもないか」
目を逸らしながら言葉を紡ぐ。
「手応えのない相手ではあったな」
そうだね、と言いながら、トリルはどちらの意味なんだろうと疑問に思った。比喩的に、相手にならなかったという意味か。それとも、物理的に斬った感触がなかったということか。
「最初に声をかけてきたのって、人間だったのかな」
「
「アイン様、トリル様。もう少し先に行けば見晴らしが良さそうなので、野営の準備をしましょう」
前を進んでいたスーの声が聞こえた。
「……長い夜になるかもしれんな」
トリルは、アインの呟きが耳にくっついたような気がした。
開けたところに出て、トリルとスーは天幕を張り、
「ネーヴェの水を飲み損ねたのは惜しかったなぁ」
葦毛の兄がさも残念そうに言う。
「そんなにおいしいんですか?」
「それはもう。もっとも、スー殿がつくったこのスープも、かなりのものですがね」
トリルも頷いて、口に含む。じゅわっと甘さとしょっぱさが口に広がる。温かいものを食べると、体に力が戻ってくるような気がする。
「ところで、見張りって具体的にどうしたらいいの?」
「基本的には火の番ですよ。私がトリル様と二人で、月の頂点まで見張りましょう」
「では、俺は先に仮眠をとり、そこから朝までを請け合おう」
そんな打ち合わせをしながらの簡単な夕食はすぐに終わり、休める者は先に休むことになった。商隊の三人には、眠ってもらって構わないということになった。
「一応、武器になるものは手の側に置いておけ」
アインはそう言って、彼らが横になったすぐ側で膝を折らずに立ったまま目をつむった。その格好でも十分に睡眠はとれている――というのだが、未だにトリルは半信半疑だ。
「トリル様、こちらへどうぞ」
スーがたき火の近くを指した。休んでいるみんなからは少し離れるが、より見晴らしが良く、周囲を見渡せる位置だ。土の上は冷たそうだな――と思って腰を下ろすと、お尻に伝わってきたのは意外にも温かな感触だった。スーのことだから、予め何か魔法を唱えてくれていたのかも知れない。たき火を挟んで、スーの翡翠の瞳に炎の明るさがゆらゆらと映っていた。
「こういう技術は、騎士団から学ぶの? それとも、魔術師としての知識?」
「騎士団の斥候として技術のひとつですね。でも、何もかも聞いて回ることも出来ませんし、ほとんどは独学というか、その場の思いつきだったりしますよ」
感心しながら頷き、トリルはなんとなく手を炎にかざした。てのひらがじんわり温かくなってくる。
「でも、非戦闘員と共に旅をする、という経験は、実は私は初めてのことなんです。今日の襲撃は、少し、緊張が走りました」
「そうは見えなかったけど」
「今も緊張していますよ。アイン様が言うように、今夜、襲撃の可能性はあるとは思っていますから。たいした相手ではありませんが、全員を無事に守れるかというと、やってみなければわかりません」
「私は正直、
「迷いは、まだありますか?」
「ん……結果的に変な相手ではあったけど、一人目を斬ったときは、迷いはなかったと思う。胴体を一刀両断、って感じだった。アインの言葉が大きかったかな。三人を守り切るんだ!――って思ったら、ためらいが無くなったから」
「大きな一歩ですね。トリル様に危険が及ぶことを望んでいるわけではありませんが、これからも危険なことはあるはずですから、私も含めて、成長して行くに越したことはありません」
そう言うと、スーは、あ――と言って外套の中でごそごそ動き出した。
「これを差し上げます」
スーが差し出したのは、一冊の薄い本だった。閉じた状態なら掌に収まるくらいの大きさで、厚さもそれほどではない。中を見ると、『力在る言葉』の発音と意味をまとめたものだということがすぐに分かった。
「私がまとめた、
ざっと見た感じ、単語が少なくとも百以上は書かれ、魔法のための言葉の羅列もまとめられている。
「貴重なものだよね。いいの?」
「カステロに戻れば十冊以上もある内のひとつですから。私、書いて覚える方なので、そういうのがたくさんあるんです。それに、トリル様が時間を見つけては魔法の練習をしている姿、ちゃんと見てますから」
「えへへ……それじゃ、遠慮なく」
たき火の明かりを借りて、トリルは冊子を繰る。
『活力……上がれ……輝け……』
「あ、その発音は、もう少し後ろの方が強くて……」
「じゃあ、この難しいのは? 『かくせい』……?」
「それはですね……」
スーに教えてもらいながら、トリルはふむふむと発音を確認していく。これらの言葉を頭に入れて、組み合わせて、しかも組み合わせ方や言葉の流れなどを考えて、魔法を編む――これは大変だ、とトリルは苦笑してしまった。
「魔法って、すごいね。これを咄嗟に呪文として口にするんでしょ」
「私も立場は宮廷魔術師なんですが、正直、剣を振っている方が気が楽です。読み方がたどたどしいと、父に咎められますし」
「あ、それは分かるかも。私もお父さんによく叱られるよ、鎚の振りが雑だ、研ぎ方が甘い、相槌が遅い、ってね」
父の口調を思い出しながら再現すると、スーは声を上げて笑った。
「すみません、つい……見張りといいながら、自分たちの居場所を知らせてしまっていますね」
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