第16話

「よし、やるか!」

 トリルはナイフケースを開き、その内の一本を握り、研ぎ始めた。長年研がれていなかったせいでガタガタの刃を、まずは角度をつけて研ぎ、形を整えてやる。何度もひっくりかえしながら形をまっすぐにし、ある程度まで来たら角度を変えて切れ味を増していく。研ぐにも力が必要だ。父の太い腕ならもう少し短い時間で次々と研ぎ上げていけるのかも知れないが、自分にはそこまで力はない。同年代の女の子から比べればたくましい腕をしている自覚はあるし、単純な力だけならスーにも決して負けたりしないと思うが、経験豊富な職人とは比べるべくもない。それでもトリルは額の汗を拭いながら、二本目、三本目とナイフを研ぎ上げていった。

 おいしいごはんに、一夜の寝床。それに何より、旅をして出会った最初の人族以外の種族に、歓迎してもらえたことが嬉しかった。この旅を続けていけそうな自信をもらった。自分がお礼に出来ることなどたかが知れているかもしれないけれど、これくらいは――と思う。

 一つ目の調理場のナイフをすべて研ぎ上げて、トリルはケースをしまった。調理場は全部で四つあったから、まだまだこれからだ。

 次の調理場に歩いていると、スーの姿が見えた。東屋で、一人の牛人ミノスから話を聞きながら何か書き付けている。よく見るとチカチカ光が見えるから、何か魔法の講義を受けているのだろう。

 アインの姿は見えなかったが、別段心配することもないだろうと思い、トリルはふたつ目の調理場に向かった。

「ねぇ、何してるの?」

 不意に声をかけられて見ると、そこには小さな牛人ミノスがいた。ただ、小さいとは言っても、トリルも目の高さは上だったが。

「ナイフを研いでるんだよ」

「といでる、って何?」

「えっと……ナイフを磨いてるの。ほら、見て」

 そう言ってトリルは、まだ研いでいないナイフの刃面を見せた。まじまじと見つめる瞳は、つぶらで大きい。

「ギザギザしてるでしょ」

「うん」

「これだと、あまり切れないの。それで、石で磨いてきれいにするとね――こんな風に、まっすぐになって、力を入れなくても切れるようになるんだよ」

「でも僕、力があるから大丈夫だよ」

 首を傾げる少年に、トリルの中の鍛冶屋の血が騒いだ。

「そう思うでしょ。でもね、違うんだな。えっと……」

 周りに何かないかと見渡すと、籠に入ったこぶし大の赤い実が目に入った。昨夜も食卓にあがっていた果物で、クーラの実と呼ばれていた。皮を向かない状態で饗されていて、その皮の固さはなかなか顎に刺激的だった。今にして思えば、刃の欠けたナイフで皮を剥くのは厳しかったのだろう。トリルはクーラの実を一つ拝借して、するすると皮を剥いていく。

「はい、どうぞ」

 皮を剥き終わったクーラの実を少年に渡すと、彼はしゃくっとひとかじりした。

「どう?」

「すごい、すごいや! ナイフをとぐってすごいね!」

 少年の声を聞いて、あちこちから他の子どもも姿を現した。何事があったのか少年が説明し、皮の剥かれたクーラの実を口にした子どもたちは次々に歓声を上げた。

「おいしい!」

「食べやすい!」

「人族、すげぇな!」

 歓声は次第に、自分もやってみたいという声に代わり、トリルは作業を中断せざるを得なかった。まずは手本を、ということになり、実際にやってみせる。

「――と、まぁこういう風にやるんだけど、この砥石を探すのがちょっと大変なの」

 子どもたちは顔を見合わせてにんまりと笑い、走って去ったかと思うと、すぐに戻ってきた。どの子も、その手に砥石らしい外観の石を持っている。

「俺達、いつも土精テラと仲良くなるために石集めして遊んでるんだ。だから、そういう石ならたくさん持ってるよ」

 感心したトリルは、あらためてナイフの研ぎ方を講義して、子どもたちはそれぞれが自分の持参した砥石で作業にとりかかった。子ども達の指は既に大きく、太く、分厚く、細かい作業をするのには不向きだったが、それでも一本一本丁寧に力を込めて研ぎ上げていく。作業の速さ自体が、手慣れているトリルよりも明らかに早く、やはり力があると楽なのだろうなとあらためて思い知らされる。結局、トリルが研ぎ上げたナイフは全部で七本くらいしかなく、村にあった他のナイフは子どもたちの手ですべて磨き上げられてしまった。

「お礼をするつもりで始めたのに、結局助けられちゃったね。ありがとう、みんな」

 トリルが言うと、牛頭の少年達は得意満面に笑みを浮かべて、また別の所に遊びに行ってしまった。

「ご苦労さん」

 子どもたちを見送ったトリルに声をかけてきたのは、ひときわ大きな体の、黒毛の牛人ミノスだった。なんとなく、男女が見分けられるようになってきた。

「ガキどもの相手をしてくれて、ありがとうよ。それに……」

 彼はチラッとナイフケースを見た。

「ナイフを研いでくれてたのか」

「はい。一宿一飯のお礼にと思って……これくらいしか、出来ることがありませんけど」

 トリルが笑うと、黒毛の男は「いやいや」と笑って言葉を次ぐ。

「この街には、そんなチマチマした作業を進んでやるやつは誰もいない。俺達牛人ミノスにも鍛冶屋がいるにはいるが、ごくごく少ない。それに、ガキどもが暇を持てあましても、大して新しいことを教えてやることも出来ないし――あんたがやってくれたことは、食事以上に価値があることさ。人族ってのは、みな、あんたみたいに律儀なのかい?」

 問われて、トリルは首を傾げた。自分が律儀かどうかはひとまずよそに置いたとして――ノルドにいた頃、自分よりきちんとしている客もいれば、自分が憤慨するほど礼儀知らずな客もいた。人族としてひとくくりにするのは、ちょっと難しい気がした。

「人による、と思います」

「それじゃあ、立派な人族に出会えたのは幸運だったって事だな。さすが、白い毛並みの戦士と一緒に旅をしているだけのことはある。旅の身で長居もできねぇだろうし、ちょっと村の連中に声をかけて、持てる分の食い物は持たしてやるよ」

 おかまいなく、とトリルが言うよりも早く、彼は駆け足で去っていった。行商の一隊と合流する時刻になると、そこには手土産を持たせようと集まった牛人ミノスが押しよせており、三人はどうにか、断り切れないものだけを受け取った。アインはといえば、近くの丘や山を見回り、ついでに薬草として使えるものを摘んできていたのだと言って戻ってきていた。

「帰りにもこの道を通るなら、また寄っておくれよ」

 そう言って、長角の婦人をはじめたくさんの人が最後まで手を振った。


 チェーロを発ってから、五日が経った。

 道中で二度、オンブラに襲撃されたものの、どちらもアインの手によってあっけなく終幕した。行商の三人――栗毛の牛人ミノス、そして葦毛の兄弟はその度に感嘆の声をあげた。幸か不幸か、トリルは訓練の成果を発揮することはなかった。

「普段よりも勢いがあったように見えたけど、どうして?」

「守る戦いにおいて逡巡は禁物だからだ」

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