第15話

「なんとありがたい。では、彼らには私から話をしておくから、まずはたっぷり食べて英気を養ってくれ! 君たちの守護精霊である陽精ソル月精ルナ、そして我らの土精テラに感謝、感謝だ!」

 トリルは豪快なカデンツァの勢いに笑い、どんどんテーブルに並べられていく大皿の中のひとつから、手のひらほどの大きさのパンを手に取った。

「えっ……」

 思わず声が出た。ふわふわだ。昔、母が鶏卵の白身だけを泡立てて作って見せてくれた不思議な泡を思い出す。スーも手を伸ばし、ひとかじりすると、大きな目はもっと大きくなった。

「これは……すごいですね」

 どれどれ、と言ってアインがトリルの持っていたパンを奪い、口に入れる。

「それ、私の――」

「うまい! スーの味付けとはまた違ううまさだな。こんなもの、ルーラードは俺に食わせたことはなかったぞ」

「なんでさっきから私のを奪うかな……」

 聞く耳を持たない人馬ケノスをにらんでから、トリルは大皿の横にあった焼き菓子に手を伸ばした。

「ちゃんと聞いてなかったけど、そのルーラードさんってどういう人なの?」

「簡単に言えば、変わり者の薬師だ。人付き合いが苦手なのと薬草の確保に楽だというので、山に篭もって一人で暮らしている」

 ふぅん、と相槌を打ちながら、トリルは焼き菓子をほおばる。思った通り、口に入れた瞬間ほろほろと舌の上で溶けて、優しい甘さが広がった。

牛人ミノスの食べ物って、おいしいねぇ」

「喜んでくれてるみたいだね、嬉しいからもっと持ってこようか」

 どこからか声が聞こえて、テーブルには大皿いっぱいのパンが追加された。さすがにこの量は食べられないと思うけど、とトリルとスーは顔を見合わせて苦笑した。三人はそのまま歓待を受け、その日は街に泊まることになり、宿の都合もつけてもらった。


 日がまだ昇らない暗さの中、トリルは目を覚ました。

 部屋の空気は涼やかで、心地よい。体を起こして横を見ると、スーが寝息を立てている。ぐぐっ、と体を伸ばして周りを見る。いつもの天幕ではなく、木造の大きな建築の一部屋。朝は大体スーの方が早く起きているのだが、自分の気持ちが高ぶっているのか、スーが安心して寝入っているのか、今日はトリルの方が先に目覚めたらしかった。

 ブーツを履き、ベルトと剣を帯びて、革鎧に手を伸ばした――が、まだいいかと思い直して、鎧は元の位置に戻した。

 あてがわれた住居は、今は誰も住んでいない空き家だとかで、普段は外で眠るアインも一部屋を使って寝ている。どんな格好で寝ているのか見てみたい気もしたが、さすがに配慮がなさ過ぎるかとトリルはそのまま外に出た。

 澄んだ空気に、いろいろなにおいが運ばれてくる。花の香り、動物のにおい、スープの匂い。

 トン――ト、トン、トンとナイフで何かを切っている音も運ばれてくる。ただ、そのリズムが一定でないのが気になったトリルは、音がする方に歩いて行った。

「あら、おはよう」

 外の炊事場で、一人の牛人ミノスが野菜を刻んでいる。髪が長いし、体が細めで、何より声が少し高いから、女性だろう。

「おはようございます」

「あなたたちの朝食の準備も私がしようと思って早起きしたんだけど、間に合わなかったかしら」

「いえ、たまたま早く起きてしまっただけです。仲間はまだ寝ていると思います」

 そう言いながら、トリルは彼女の手元を見た。大きく分厚い牛人ミノスの手には、ナイフは小ぶりで扱いにくそうだ。それに、刃の光は鈍く、あまり研がれていないのが見て取れた。

「そのナイフ……」

「ああ、これね。切れ味が悪くなってるんだけど、私達って不器用なもんだから、研いだり整えたりっていうのが苦手なのよね。一応、研ぐための石はあるんだけど、誰もやりたがらないのよ。でもまぁ、料理はきちんと出来るから、期待してて」

 豪快に笑ってみせる彼女に、トリルは頷きながら他のナイフにも視線を移した。炊事場には次第に牛人ミノスのご婦人方が集まってきて、みなそれぞれに料理の支度を始めているが、どのナイフも、錆びたり綻びたりしている。ずっと昔に造られたものを、ほとんど手入れをせずに使っているという感じだった。

「私も手伝わせてもらっていいですか」

「お客さんに手伝ってもらうのも――と思うけど、手持ち無沙汰なのもしんどいわよね。それじゃ……」

 トリルは早起きのご婦人の指示を受けながら、野菜を洗ったり井戸から水を汲んだりして朝食の準備を手伝った。木の枝みたいな指だね、と笑われながら。

 スーが起きてきたのは、昨日の広場の円卓に一通り食事が揃ってきてからだった。仮住まいから出てきたスーは顔を青くして、駆けつけて開口一番に謝った。

「申し訳ありません、トリル様が準備をしている最中に悠々と……」

「気にしないで。スーも気を張って疲れていただろうし。それに、ノルドの家にいたときは、朝食の準備は専ら私がしていたんだから」

 トリルがスーをなだめていると、そこにアインも姿を現した。

「すまん、すっかり寝入ってしまっていたようだ。一宿一飯の礼にと、何か狩ってこようかと思っていたのだが……」

「でも、牛人ミノスって、基本的に菜食じゃなかったっけ?」

 それを聞いた牛人ミノス達が笑い声を上げる。アインは珍しく照れたような表情を浮かべている。

 牛人ミノス族は、いくつかの家族ごとに集まって食事を摂るのが一般的なようだ。トリル達を囲む人々とは別の所でも、スープの湯気が立っている。

「昨日も思ったけど、本当に美味しい食べ物ばっかり」

「他の種族にそう言われると、嬉しいわ。土精テラの恵みに感謝だねぇ」

土精テラの恵み? 農耕の作業で魔法を使っているのですか?」

「そういうわけじゃないよ。トイ、トイ、トイ、なんて誰も言わない。ただ、日々、土精テラに感謝し、その気持ちをみんなで伝えるんだ。そのための祭も何度もあるしね」

 トリルとスーはこくこく頷いてふわふわのパンをひとかじりした。

「ねぇ、スー。行商人の人達と一緒に出発するのって、昼過ぎだよね。それまでは、それぞれ別行動ってことでいい? スーもいろいろ話を聞いてみたいだろうし」

「何か用事があるのですか?」

「うん、ちょっとやりたいことが出来ちゃって。アインも、ルーラードさんのところに急がなくても大丈夫?」

 アインはパンを口に詰めながら頷いた。もごもご何か言おうとするが、口の中が一杯でそれは言葉にならない。

 美味しいパンに濃厚なミルク、野菜の旨味が凝縮されたスープを頂いたあと、トリルは食器の片付けをしてから、他の調理場にも足を運んでみた。思った通り、ナイフは専用の収納箱にきちんと並べられていたが、どれも刃がギザギザだった。トリルは一度借宿に戻り、記録用の手帳を開いていたスーに話しかけた。

「スーの砥石を借りてもいい?」

「構いませんが――トリル様の鞘に魔法の砥石がついているのでは?」

「炊事場にあるナイフを一通り研ぎたくて――そのためには普通の砥石の方がいいんだ。金精アウルムの砥石は、あくまでも少し前の切れ味に戻すっていう感じみたいだから」

「わかりました。正直、あまり上等なものではないと思いますが、使って下さい」

 スーは笑顔で差し出した砥石は、鍛冶屋の娘のトリルが見ても感心するほど上質なものだった。旅用にやや小振りなのも、玄人向けだと思った。

 トリルは砥石を持って一つ目の調理場に向かい、水を張った。まずは砥石に水を含ませて、磨ぎ汁が出るようにしなければならない。待っている間、街のあちこちを見ると、男女協力して牛の世話をしたり、畑で何か作業をしていたりする。のどかで、落ち着く光景だった。どこからか子ども達が遊んでいるような声がするが、その姿は見えなかった。

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