第12話
「七つだ。俺たちの部族では、七歳の誕生日を過ぎると
「すごいね。根っからの戦士、ってやつだ。私は……違ったな。腕を斬り落として相手が仰け反ったとき、首がはっきり見えたの。そこに剣を振れば勝てるっていうのが分かった。でも、出来なかった。殺すことが怖くなって――駄目だった」
結果は、変わらなかっただろう。自分が首を刎ねれば、あのオークは死んだ。でも、そうしなくても、あのオークは死んだ。
「それでいいのではないか。命を奪うことに慣れる必要はない。だが、俺達の命は常に他の命を奪ってつながっている。この山鳥の命は、俺達が奪い、糧にする。その命に感謝をし、明日を生きる」
「それは分かるよ。肉も魚も、植物だって、命だもん。私はそれを食べてる。でも、
トリルは横にいるアインを見上げて顔を見た。アインは微笑んでいた。その穏やかな微笑みは、夜空にぼんやり光る月のようだった。
「奴らも必死に生きている。それは間違いない。だから俺達
アインが手を差し出したので、トリルは手斧をその大きな手に戻した。
「私もやってみようかな。
トリルがどうにか笑ってみせると、アインは大きな手でその頬に触れた。トリルは一瞬、それに戸惑いを覚えたが、触れられるに任せることにした。
「戦って心が痛みを感じるのは、根底に優しさがあるからだそうだ。トリルには、その優しさが備わっているということなのだろう」
「しみる言葉だね」
「母の言葉だ」
ハッとして、アインは手を引いた。
「そういえば、頭に手をのせるのはよくないという話だったな。顔に触れるのもまずかったか」
「まずくはありませんが、肌の触れ合いはふたりきりのときのみになさった方がよろしいかもしれませんね」
スーがにやにやした顔で二人を見ている。
「やはり、トリル様とアイン様が予言に謳われた運命の二人であることは、間違いないように思われます」
スーの言葉のせいか、盛る炎のせいか、トリルは自分の顔が熱くて仕方なかった。
食事が終わり、片付けを済ませても、トリルは天幕の外に残った。スーが「剣の手入れは私がしておきましょうか」と申し出たが、断った。襲撃を受けてもアインがいれば心配はないのだろうが、手元に武器がないのは心許ない気がした。
スーが天幕に入って、トリルは火を消したかまどの近くに座った。父に教わったように、木目の剣を鞘の先で研ぐ。シュンッ、シュンッと乾いた金属音が鈍く走る。
手を動かしながら、空を見る。街を離れて旅をして、星が明るいことを実感した。いつも街中で見ていた星はもっと少なかったし、月の光に隠れていたような気がする。
「トリル」
少し離れた場所で月を見ていたアインが、トリルを呼んだ。
「月は何色に見える」
「……白、かな? 黄色みがかった白」
「
そう言われて、トリルは月を見る目を凝らした。月は見えるが、精霊の姿は見えない。
「ごめん、私には見えないや。というか、人族の守護精霊って言われてる
トリルが言うと、アインはくっくと笑った。
「な、何?」
「俺も
からかわれていたことをようやく理解して、トリルは頭を掻いた。
「精霊が見えないことを謝り、助けてもらってありがとうと言う。飯を食うときは必ず命に感謝を告げるし、命を奪うことに対して心を痛める。俺は一族で暮らしていたとき、飯は何も考えずに食っていたし、命を奪うのは戦士の必然でしかなかった。いちいち言葉にしたり、思い悩んだりしなかった」
話がどこに向かっているのか分からず、トリルはとりあえず頷いた。
「同じ人族のスーと比べても、トリルは随分丁寧に生きているように見える。月への祈りの話をしたが、実を言うと、俺も一族の倣いでやっていただけだ。真剣に、屠った命に思いを馳せたことなど何度あったか――トリルのおかげで、俺はようやく、
月明かりに照らされて、アインの銀色の髪は煌々としていた。
「感謝する」
トリルの頬に火照りが戻ってきた。アインの透き通った紫の瞳に見つめられると、胸がさらにドキドキする気がして、トリルは目を逸らした。
「どういたしまして。それで、月への祈りっていうのは、どういう風にやるの? 作法を教えてよ」
「まず、膝をつく」
言われた通り、トリルはふむふむと両膝を土につけた。
「両腕を胸の前で交差させ、月をまっすぐ見る」
また言われるまま、月を見上げる。
「そして両手を高く掲げ……」
「ちょっと待って。どうしてアインはやらないの?」
トリルは腕を交差させたまま、アインを見上げた。膝をつけているせいで、なおさら彼の顔の位置が高くなっている。
「それは――」
アインが笑いを噛み殺しているのに気が付き、トリルは立ち上がって、彼の馬部分の胴体を平手でペシンと叩いた。
「もう! からかわないでよ!」
「ハッハッハ! さすがに気付いたか。月への祈りというのは、ただ月を見て戦いを思い出し、明日に思いを馳せるというだけだ。決まった姿勢などない。それでも死者への手向けにもなるのだと俺は教わったぞ」
まったくもう、と鼻息を荒くしながら、トリルは月を見た。
初めての戦いがあって、オークの腕を切り落とした。首を刎ねることは出来ず、アインに助けられた。でも、そのためらいが、次は命取りになるかもしれない。アインのようには出来ないかも知れないけれど、覚悟を決めて、戦おう。そうじゃないと、また、我知らず涙が出てきたり、落ち込んだりしてしまう――そこまで考えて、トリルははたとアインを見上げた。
「もしかして……元気づけてくれてた?」
「いいや。小さな人族をからかっただけだ」
トリルから顔はよく見えなかったが、声の響きは優しかった。
「さあ、明日も一日移動になる。そろそろ休め」
恩人の言葉に頷き、トリルは天幕に戻った。中にいたスーは、座って手帳を開いていた。トリルも横になりながら言葉を次ぐ。
「いつもの記録?」
「ええ。この旅の記録を書き留めることも、任務の内ですから。でも、ちょうど書き終わりました。外では、お二人とも何やら楽しそうでしたね」
「アインにからかわれてただけだよ」
言いながら、トリルはふと、浮かんだ疑問を口にした。
「スーは、初めての戦いのこと、覚えてる?」
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