第11話

「わっ……」

 思わず声が漏れた。オークは走り出している。引き金を引く。つがえた矢が飛ぶ。薄暮れの中に矢は消え、オークは何事もなかったかのように迫って来る。外れた。二の矢は次げない。

 トリルは弩から手を放し、剣を抜いた。呼吸が苦しい。胸が痛い。敵は棒切れのようなものを持っているが、それが木なのか、金属の棒なのかも、よく見えない。

「腕を斬れ、です」

 ここ数日の訓練で言われた、スーの言葉を思い出す。

「幼い頃から触れてきているだけあって、扱いそのものはお上手ですよ。あとは間合いの取り方と、戦いの組み立て方を身につけましょう」

「戦いの組み立て方――」

 トリルはスーの言葉を反復しながら、小さく首を傾げた。

「対人と対オンブラで違いはありますが、まずは後者を身につけましょう。基本的には、受けに回らないことが肝要です」

「雨に打たれるのが嫌なら雲の下から走り去れ、というやつだな」

 アインが口を挟む。

「先手に勝る手はない。実戦においては、初太刀を受けようとしてそのままやられるということも少なくないからな」

「先手必勝――ってわけか。でも、アインみたいに大剣やら大斧を振り回して一刀両断! なんて私には出来ないよ」

 そこで――と、スーが言ったのが「腕を斬れ」だった。

「相手が武器を持っていればなおさら、持っていなかったとしても、腕を斬られると大抵の相手は本来の戦い方が出来なくなります。腿を斬るのも有効なのですが、多くの場合、脚は避けられてしまうので、初手は腕を狙います」

 トリルは正面に剣を構え、オークとの間合いをとる。そして、スーに教わった通り、切っ先を細かく振る。相手に迷いを、うまくいけば隙をつくるためだ。狙ったとおりに怯んだか、ぐっと踏みとどまり、にらみ合う。

 接近して分かったのは、敵が手にしているのはただの棒切れだということだった。それを持つ右の腕を、狙う――トリルは一、ニと踏み込んで、直線的に木目の剣を振り下ろす。受けようとしたオークの棒切れを断ち、剣はその腕にまっすぐ滑り込んだ。サンッ、という乾いた音がした刹那、グズッという感触が握った柄に響く。魚を骨ごと断つ感触よりも、振動が強い。オークの腕が切り落とされた。

 ギュオッ、という言葉ではない声を上げ、オークが仰け反る。歪んだ黒い顔が上を向き、首が露わになる。返す刃でそこに木目の剣を走らせれば、首を刎ねることが出来る。

《首を――刎ねる――ことが――出来る――?》

 トリルは咄嗟に大きく下がり、間合いを広げた。ハァハァ言いながら、敵を見る。オークが黄色く澱んだ目を血走らせて、トリルを睨みつけている。

 勝負はついたよ――

 逃げてってば――

 そっちに勝ち目はないんだから――

 トリルは木目の剣をぎゅっと握り直す。ガッ――と音がして、オークは急に眼を上に向けて前のめりに崩れ落ちた。倒れたオークの背中には、手斧が深々と突き刺さっていた。遠くを見ると、アインが遠くから斧を投げた姿勢で止まっていて、彼の周りには黒い屍がいくつも横たわっていた。

 襲撃してきたオーク達は、ほどなく影となって消えた。

「また助けられちゃったね。ありがとう」

 駆け寄ってくれたアインに、トリルは言った。アインは口を開いて何か言いかけたが、それよりも早く別の声が響いた。

「ご無事ですか、お二方!」

 スーだった。駆け寄ってきたその手には、大きな山鳥の足が二羽分握られている。

「近くに水辺があったので鳥は獲れたのですが、戻りしな、オークの影が見えて……戦いに間に合わず、申し訳ありません――トリル様、大丈夫ですか? お目元が……」

「え?」

 言われて指で目の下に触れる。トリルは、どうやら自分が涙を流しているらしいことを知った。

「あ、あれ……なんでだろ」

 自覚なく泣いていたらしい。しかし、なんの感情で涙が流れているのか、自分でも分からなかった。

「……天幕で横になってください。食事の支度が済んだら、声をかけますから」

 スーの言葉に甘えさせてもらい、トリルは天幕に入った。横になろうとベルトを外しかけ、剣を外すのが憚られた。普段はそうしていないのに、なんとなく、外した剣は鞘ごと抱えて横になった。

 ふぅ、と息を吐く。ぼーっと休んでいると、外の声が聞こえてきた。

「負傷は――」

「――と思うが、はっきりは――」

「不覚でした――」

 二人の声。自分の身を案じてくれているのが分かり、トリルは心の中で言葉を紡いだ。

 怪我はないよ。

 大丈夫。

 剣の鋭さに助けられたし、アインにもあらためて救われた。自分の手を見る。この手で剣を振るい、オークの腕を斬り落とした。感触は、まだ残っていた。訓練で受けたスーの攻撃の方が激しかったし、間合いをとるのも難しくはなかった。敵の動きがはっきり見えたし、とどめの隙もはっきり見えた。でも……

 トリルは背筋に冷たいものを感じて、唾を飲みこんだ。命を奪うということの重さ、恐ろしさ。さっきの涙は、そのせいだと思った。トリルは体を起こし、天幕を出た。

「トリル様――もう少し休んでいられた方が……」

「そう思ったんだけど、なんだか落ち着かなくて。怪我したわけでもないしさ」

「では、三人で飯の支度をするとしよう」

 アインが鳥を一羽差し出す。羽むしりも内臓抜きも終わっていて、あとは味をつけて焼くだけの状態だった。

《これも、命なんだよなぁ……》

 今までも魚はさばいてきたし、鳥の羽だってむしってきた。でも、どれも食べるためだった。トリルはこわごわ鳥を受け取り、スーから塩をもらってふりかけ、金串で刺した。スーが火をつけてくれたかまどにそれを設置すると、したたる油で炎が盛り、熱くなった。

 炎の揺らぎを見ていると、アインが手斧の一つを差し出した。柄の方を向けられていたので、トリルは黙って手斧を受け取った。

 ずっしりと重い。人馬ケノスのアインが手にしていると軽々と投げられそうに見えるのに、自分で持ってみると、とてもではないが遠くまで投擲することなど出来そうにない。

「それは、今日お前が対峙したオークを絶命させた斧だ」

 ハッと顔を上げる。アインは透き通った紫色の目でトリルを見つめている。

「これまでに何体ものオンブラを殺してきた斧だ。これからもそうするだろう」

 トリルは斧に視線を落とした。拭き取られていて刃面はきれいだが、よく見ると赤黒い染みがこびりついていた。

「俺の父がよく言っていた。命を奪うことに慣れるな、と」

 トリルは斧を見つめたまま、アインの次の言葉を待った。

「相手の命を終わらせる。そんな恐ろしいことをしている自覚を持ち続けろと教わった」

「アインも――殺すのって、怖い?」

 なんとなくアインの顔を見上げられずに、トリルは下を向いたまま聞いた。

「正直に言えば、初めてオンブラを屠ったときから、それほど怖いとは思わなかった。戦いの興奮に酔い、勝鬨をあげ、自分の手柄を周囲に報せてまわった記憶がある」

「それって、アインがいくつのとき?」

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