第10話
「そのカストラートっていう人じゃなかったとしても、放っておくわけにはいかないんじゃない? 人族が他の国に迷惑かけているってことなんでしょ」
「それはそうなのですが、やはり他種族の領土に勝手に入って調査、討伐をするというのは難しくて……仮に被害が出ていたとしても、他の種族に助けられるという形は歓迎されないと思われます。過去にも、凶作の年に
それを聞いて、アインが腕を組みながら大きなため息をついた。
「面倒なものだな。困ったときはお互い様、種族の別など気にせずに助け合えばいいだろうに」
「同意見です。個人的には、人に迷惑をかける輩など放っておけませんし。それに――困っている他の種族を助ける、というのがお二方の役目である可能性もありますからね」
「『糸を紡ぐ』か。確かに、損得を越えて関わりは生まれそうだな」
スーとアインが頷き合うのを見ながら、トリルは首を傾げた。
「自分で言っといてなんだけど……大丈夫かな。その――戦いになる、ってことだよね」
「安心してください、トリル様。こう見えても、私の剣術はそれなりのものですから」
「加えて言わせてもらうと、人族が三十人いたところで俺の相手は務まらんぞ」
心強い限りだな、とトリルは笑ってしまった。アインの戦う姿を思い浮かべると、人族の集団が蹴散らされる情景が容易に浮かんでくる。絵本で見たような巨人でようやくいい勝負になるかもしれない。
「そういえばきちんと確認していませんでしたが、トリル様は剣の扱いは――?」
「小さい頃からおもちゃ代わりに触れてはいるけど……それだけだよ。正直、
「なるほど、それで不安そうな顔をしていたわけか。道中、俺が戦う術の手ほどきをしようか」
アインの提案に、トリルは大きく頷いた。
「お願いしたいな。自分の身くらいは自分で守れるようになりたいし」
「私もお付き合いしますよ。おふたりの出会いの場面もそうですが、近頃は物騒なことも増えていると言われていますし、技術を身につけることは悪いことではありませんから」
「ふたりとも、ありがとう。よろしくね」
話しながらも食べ進めた食卓の皿は、すっかり空になっていた。
「それでは今日はぐっすり休んで、明朝出立しましょう。いよいよ人族の領土を離れますよ」
木のコップに注がれた水を飲み干して、スーが笑って言った。
東の街オストを出て、三日が過ぎ、トリルは、次第に足に疲労を感じるようになっていた。
王都を発つときにインテルメッツォにかけてもらった疲労軽減の魔法が、日が経って効果を薄れさせたというのは理由の一つだった。
だが、それ以上に大きな理由があった。
道の舗装がないのである。北の街ノルドから王都カステロ、そして東の街オストまでは、石畳が敷かれ、街道は歩きやすかった。ところが、オストを出てほどなく、草や石が目立ち始めた。この辺が中間地点ですね、とスーが教えてくれた辺りになると、スーやアインが方角を示してもらわなければ迷子になってしまいそうな、だだっ広い草原が広がっているだけになってしまった。
「そろそろ野営の準備をしますか」
日の光が朱を強め始めて、スーが言った。
「疲労が見えるな」
アインがトリルを見て笑う。
「こちとら二本しか足がないもんで」
「本数の問題だけではなく、長さの問題もあるだろう」
「――返す言葉がないです」
ふたりのやり取りを見ていたスーが笑う。
「オストを出てから、朝も夕も剣の訓練をしていましたしね。今日はゆっくり休むとしましょう」
スーはそう言うと、荷物を下ろし、手際よく天幕を張った。
「今日は、何か精のつくものを獲ってきます。あいにく森はありませんが、野性の馬や鹿は遠目に見かけましたから、小さいのを――」
「何度も言うが……」
アインが眉間に皴を寄せて口を挟み、スーが慌てて言葉を次ぐ。
「鹿にします」
何度目かのやりとりに、トリルは何度目かの笑い声をあげた。
スーは、馬の肉が好物なのだそうだ。ところがアインは、馬を食べるのは抵抗がある。自分と同じ見た目の生き物を食べろと言われれば、それはもちろん気が進まないだろう。だから、アインが馬を食べるのを厭うのは、当然だと思う。しかしスーはつい、馬も鹿も同じように肉として見てしまうので、ああいう言い回しになる。
スーはいつも使っている小型の弓を携えて、駆け足で離れていった。丘陵の起伏が激しく、少し経つとあっという間に姿が見えなくなった。
「
「まぁ、仕方ないんじゃない? それに、私はなんとなく、二人のそのやりとりがおかしくって好きだしね」
トリルは笑いながら、火をつける用意を始めた。石を積んで即席のかまどを拵えるくらいのことは、トリルも出来るようになった。
聞けば、こういった技術は魔法でも出来るのだという。あらためて、魔法については機会があったら教わろうと思ったが、ただ、今は剣の稽古をつけてもらっているから、あれもこれも一気に習うのは気が引ける。そういえば――とトリルは口を開いた。
「アインって、何度も
「いや。
「ふぅん……でも、私達人族よりも、精霊が身近な感じがするね」
「常に自然の中で生活を営んできた種族だからかもしれんな」
そこまで言って、アインの顔つきが変わり、腰の大剣に手をやった。それを見て、トリルも腰の剣に手をかける。にわかに緊張感が高まり、トリルは膝を軽く曲げて重心を落とした。
「な、何?」
「たてがみが逆立った。
アインは剣を構え、スーが行った方とは反対側に視線を送った。
「剣ではなく、先に弩を構えておけ。一発撃って、装填の隙があったら二発目の用意をしろ。距離を詰められそうになったら弩は捨てて剣を抜け」
アインが遠くを見据えながら言う。トリルはこくこく頷いて、木目の剣をしまい、後ろに帯びっぱなしになっていた小型の弩に持ち直した。取っ手を回し、かちりとなったところで矢をつがえる。風が吹き、背の高い草がなびく。
「二ヶ所尖った岩が見えるか。あの陰から来るぞ。この辺りで多いのは、オークとサイクロプスだ」
トリルはごくりと固い唾を飲んだ。サイクロプス――本で見たのは、一つ目、緑色の肌、大きな体。絵本では
「来るぞ!!」
アインの指した岩陰から、影がいくつも躍り出た。黒い肌――オークの群れだった。アインは駆け出し、一刀の元に数体を切り伏せると、体を翻らせて二の太刀、三の太刀と舞うように剣を振る。明らかにオーク達が怯んだ。
援護の必要もないかな――油断したそのときだった。別の方向から一体、トリルの方に迫ってきている影があった。角度的に、アインからは見えていない。
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