第7話

「予言成就の暁には、どんな褒美を頂けますか」

 娘の言葉に、父と母は笑った。しっかり者だとは思ってはいたが、よもやこの場面で勘定をするほどだとは。

「ご両親、よくぞここまで立派に育てられましたな。よろしいでしょう。女王陛下からは、この予言の真実が明らかになった暁には、宮廷魔術師団の願いをひとつ聞いていただく運びになっております。その権利を、君に譲りましょう。我々は、予言が歴史になる瞬間に居合わせられれば、それが最大の喜びですからね」

 こうして、トリルの日常は終わりを迎えることとなった。旅のはなむけにと饗された食事を頂きながら、トリルとスー、そして話を快諾したらしいアインはあらためて自己紹介をし、これからの旅をともにする思いを口にした。

 アインは語る。

「俺の旅の目的は、復讐だ。だが、そのためだけの命ではない。人馬ケノスはそもそも旅をする民だ。当て所なく走るのもよいが、目的のある旅も面白かろう。よろしく頼む」

 スーは語る。

「予言のほとんどは人族のために必要なことです。ですが、この予言は、人族という枠を超えています。これがどのような内容で、どんな結末を迎えるのか、この目で見られることは身に余る光栄、僥倖です。道中の困難辛苦は、私が全力で取り払ってみせます」

 トリルは語る。

「街の外の世界に、憧れてました。それは本の中にしかないもので、現実になるなんて思ってもみなかった。でも、オンブラに襲われて、アインに救われて、スーに出会って、自分の眼の中の虹に意味があるなんて言われちゃったら……その気になっちゃいますよね。取り柄があるわけじゃないし、たくさん迷惑をかけちゃうと思うけど――よろしくお願いします」

 喝采の中で夕餉は終わり、トリル一家は寝室で色々な話をした。家にいる時も毎日色々な話をしていたけれど、その夜は違った。娘の身を案じる母と、同じように案じる父に、虹の瞳の娘は絶対に無事に帰ることを約束した。

「これを持って行け」

 父が差し出したのは、馬車で襲撃されたときに構えていた木目の剣だった。トリルは、昔、自分が持ったとき、お前にはまだ長いなと笑われたことを思い出した。

「研ぐ時は? 普通の砥石でいいの?」

「それ用のものが、鞘の先に仕込まれてある。小さくて研ぎづらく思うかも知れないが、ノルドの鉱人ドワーフから譲ってもらった特別なもので、一研ぎで鋭さが戻る。金精アウルムの魔法がかかっていると言っていた」

「そんな貴重なもの、よく譲ってもらえたね」

 トリルは黒光りする鞘の先に触れながら、故郷に居た鉱人ドワーフを思い浮かべた。確か、コロラトゥーラという名前で、子どもくらいの身長に樽のような恰幅、髭もじゃの顔だった。偏屈で愛想のない人だったが、トリルが鍛冶屋の娘だと分かると、挨拶を交わすようになった。

「その剣を見せたとき、驚いてから、素晴らしい剣にはそれに見合う鞘が必要だ、と彼がつくってくれたんだ。そんなこともあって、俺はドワーフ族に技を習ってみたいと思っていた。彼は頑として教えてくれないが、お前の旅がうまく行ったらそんな日が来るんだろうかと思っているよ」

 そう言って父はトリルの頬を優しく撫でた。がさついて、無骨で、でも温かい手だった。

 母はトリルに、いくつかの丸薬を渡した。効能については、一緒につくったからどれも分かっている。

 トリルはそれを、インテルメッツォが餞別にとくれた肩掛けの革鞄に入れた。中には既に、旅先で必要になりそうな物をということで、既に色々なものが入っていた。使い方がよく分からないものもあったが、スーが熟知しているから大丈夫だということだった。


 翌朝は快晴だった。

 トリルは例の鞄を肩に掛け、腰には木目の剣を帯びた。

 服は、インテルメッツォの女中が、朝に部屋まで持ってきてくれた上等な装束だ。なんでも、王都の騎士団でも採用されている特殊なものなのだという。特殊な繊維でつくられていて、動きやすいけれど丈夫で、旅に最適なものなのだそうだ。黒を基調にしながらも、何箇所か銀色のステッチが施されていて、一目で気に入ってしまった。ただ、その上に軽く丈夫な上質の革鎧を着ているし、旅の必需品だという外套をさらに上に羽織っているせいで、結局はよく見えなかったが。

 スーはトリルと同じようなものを着込んでいたが、明らかに使い込まれていた。

 アインは、出会った時にそうだったように、革鎧の他にも革製の防具をあちこちにつけ、またあちこちに短剣や手斧、弓や矢筒を備えている。一人で百人くらいを相手取れそうだ。ただ、出会った時と違って、鎧の上のジャケットは汚れた物ではなく、スーが王都で見繕ってくれた真新しいものになっていた。

陽精ソルの加護がありますように」

 インテルメッツォが口を開き、三人に手をかざした。

『トイ、トイ、トイ。太陽の御使い、光の化身、陽精ソルよ』

 トリルには聞き慣れない響きの、不思議な言葉が紡がれる。『力在る言葉』と呼ばれる、古い言葉だ。精霊に語りかけ、力を借り受けるために必要な特別な言語。

『この者達の前途を照らし、あまねく厄災から逃れられるよう、その履物そのものに活力をもたらし、疲労を軽減させたまえ。イン・ボッカ・アル・ルーポ』

 氏が唱え終えると、光の粒が足下に集まり、やがてゆっくりと消えていった。

「これで、少なくともトリル嬢が旅慣れるまでの間は疲労が軽減されるはずです。長い旅になるでしょう。道中様々なことも起きるでしょうが、どうか三人で協力して、糸を紡いできてください」

 三人は大きく頷いた。トリルは強い胸の高まりを感じた。自分の人生が大きく変化したという高揚感で胸がいっぱいだった。

「まずは東へ向かい、コリーナへ向かいます」

 スーが意気揚々と言った。

「コリーナ……牛人ミノスの国だな」

「はい。人族と牛人ミノスとは、わずかながら交易があります。彼らの育てた上質な穀物は、都でも人気です」

「そういえば、ノルドにも牛の印が書いてある小麦粉があったっけ……高くて買えなかったけど。コリーナまでは、どれくらいの距離なの?」

「まず、東の街オストに寄ります。そこまで徒歩で一週間、そこからまた十日ほどの道のりですね」

「結構かかるんだ――ごめんね、私が馬に乗れたらよかったんだけど」

 トリルは視線を落とした。

 アインの足に合わせる意味でも、荷物を運搬する意味でも、馬に乗って移動した方がいいに決まっている。だが、町娘に過ぎないトリルには、馬に乗る技術などあるはずもなかった。

「いえ――この旅は、なるべくゆっくり進む方がよい、と私は考えていますから」

「どうして?」

「根拠は『紡ぐ』という表現です。織物でもなんでも、時間をかけて丁寧に取り組んだものは質が良く長持ちしますが、拙速に誂えたものは脆いものです。重大な予言でどちらの方がよいかを考えると、やはり前者なのだろうと私は考えています」

 そう言いながら、スーはアインを見上げた。

「例えば、トリル様が王都へいらっしゃるときも、馬で早駆けしていたら、オークの襲撃に遭うことは無かったかもしれません。ですが、アイン様と出会うこともなかったはずです。人と人との縁や絆というのは、急ぎ足の中では生まれないものだと、私は思います。旅慣れたアイン様にとっては、少々のろく感じられるかもしれませんが……」

「歩みが遅いことは問題ではない。人馬ケノスの旅も、部族によっては人族のような足取りで進むこともあると聞いた」

「でしたらなおさら、トリル様は気になさらないでください。ただ、乗馬について学びたいということであれば、私がお教えすることは出来ますから、おっしゃってくださいね」

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