第6話

 ただ、とインテルメッツォは続ける。

「周知の通り、鳥の大陸の右の翼には牛人ミノス水人フォーク森人エルフが国を建て、左の翼には鉱人ドワーフ竜人ドラグーンが住んでいる。しかし古来より、人里を離れればオンブラの脅威が増すが故に、種族間の交流はほぼ無いといっていい。これらの地を訪ねること自体が『糸を紡ぐ』ことになるのではないか――と私は考えています」

「何をすべきかは明確ではないけれど、とりあえず各地を巡ってみてはどうか、ってことですか」

 インテルメッツォは微笑みながら、奥行きのある眼差しでトリルを静かに見つめた。トリルの頭の中ではいくつもの言葉が駆け巡ったが、口からは出ていかなかった。何をどう言っていいものやら、考えがまとまらない。

「一度、休憩を挟もうか」

 バルカロールの大声が響いた。

「トリル嬢はじめ、ご一家は王都の見学を考えておられたとか。であれば、ご両親には大人向けの、トリル嬢とアイン殿には若者向けの名所を案内して差し上げるのがもてなしというものだ」

 それを聞いて、インテルメッツォは少し驚いたように目を見開いてから頷いた。

「まさか、武骨な武人にそれを気付かされるとは思わなんだが――確かに、バルカロールの言うとおりだな。急にたくさんの話をしてしまって申し訳なかった。スー!」

 応接間の中に居た一人が、歩み出た。トリルと同じくらいの年齢の女性だった。栗色の髪は馬の尾のように後頭部で束ねられ、瞳は透きとおった翡翠のような色だった。その目の色に合わせてか、淡い緑色のワンピースを着ている。

「彼女はスーブレット。私の娘です」

 紹介された娘は、丁寧に頭を下げ、深々と礼をした。

「はじめまして、各々方。スーブレットと申します。スー、とお呼びください」

「娘に、若者二人の供をさせましょう。ご両親には、別の配下をつけますので」

 インテルメッツォの指示で、父と母には二人の案内兼護衛役がつき、トリルとアインはスーの案内で王都を歩くことになった。

「よろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 トリルが頭を下げようとすると、スーはそれを手で制した。

「予言に謳われたお二人に、頭を下げて頂くわけには参りません。どうか私に対して敬語も使うことなく、なんなりとお申し付け下さい」

 そういうわけにはいかないとトリルは何度か反論を試みたが、スーは頑として譲らない。結局、同い年ながら誕生月がひと月早いというだけの理由で、トリルは彼女の要求を呑むことになった。その間、アインは黙って二人のやりとりを見ていたが、終わったのを見計らって口を開いた。

「人族にとっては、年齢はそれほど重要なものなのだな」

「まぁ、年長者に対しては敬語を使うのが普通かなぁ。人馬ケノス族は違うの?」

「俺の部族だけかもしれないが、相手によって言葉を変えるという考え方はしていなかったように思う」

 ふぅん、とトリルは言った。

 こんな風に、ちょっとしたことすら違う『種族』という大きな差異。

 自分が『虹の乙女』だとして、それぞれの国を訪れたとして、何があるというのだろう。

「最初に、おふたりのお召し物を買いに行きましょう。先立つ物は持たされておりますので」

 こうして始まったスーの王都案内は、昼前に始まり、夕暮れまで休む間もなく連なっていった。まずは上等な絹のワンピースを買い、土産にと動きやすい衣装も数セット持たされた。同じ店で、アインにも上等な革のジャケットや手袋が当てられ、買い物という経験がそもそもないらしい白い人馬ケノスは、されるがままになっていた。昼はオープンになっているテラスで、ふわふわしたパンに甘い果物のジャムをたっぷり塗ったものを食べた。こんなに甘いものを食べたことがない、とトリルもアインも驚いた。

 それからスーは、王都の中央広場や恋人達の集まる丘、大通りから外れた菓子通りと呼ばれる道、街外れに在りながら観光名所になっているという『第八種族』と呼ばれている角の生えた人型の像などを案内して回った。歩きながらたくさんの会話をし、トリルはアインにもスーにも親近感を覚えるようになっていた。

「急ぎ足でしたが、いかがでしたか?」

「すごく楽しかった。すごく美しい街だと思ったよ。スーの案内が良かったんだと思う。私が自分の街を案内しろって言われても、こんなに色々説明したり紹介したり出来ないよ」

人馬ケノスにはふるさとの街というものがそもそもないが、スーが流暢に話す姿はいかにも賢明な印象を受けたな」

 トリル達の賞賛を受けて、スーははにかんだ。その顔を見ると、トリルはようやく彼女が同い年なのだと思い出した。

 屋敷に戻ると、トリルはほどなく食堂に案内された。食事はまだ運ばれてきておらず、何か重苦しい空気が部屋に立ちこめている感じがあった。テーブルを挟んで向こう側には、屋敷の主人であるインテルメッツォは居たが、大声のバルカロールは居なかった。後ろには揃いの装飾付きの鎧を着ている騎士達が直立している。

 トリルの隣には母が、その奥には父が居る。アインは別の部屋に通されたらしく、スーの姿もなかった。

 口火を切ったのは、意外なことにトリルの母だった。

「トリル――旅に出ていらっしゃい」

 えっ、と驚く娘に、母は言葉を次ぐ。

「あなたが予言で謳われた人物なのかどうかは分からないけれど、あなたがずっと、旅に憧れていたのは分かっているもの。家のこともあるし、女の子なのだからと思っていたけれど……元々、お父さんとお母さんで店はやってこられていたんだしね」

「路銀の心配もいらないそうだ。これまでお前には様々に我慢を強いてきたが、いい機会だ。自由に旅をしたいという夢を叶えてこい」

 二人の目は、二人の言葉が決して冗談ではないことを物語っていた。それを継いで、インテルメッツォが口を開いた。

「信頼できる者を供につけます。ただ、他種族に余計な緊張や警戒を与えるような、ぞろぞろと大所帯で動くことは好ましくないでしょう。しかし、王国としては貴女の安全を守る義務がある。もっとも、アイン殿がいれば道中の危険はほとんど取り除かれるでしょうが……」

 ガチャリ――と音がして、スーが入ってきた。街を歩いたときの、女の子らしい服装とは打ってかわり、騎士が着そうな、黒く丈夫な衣服を纏い、腰には左右に一本ずつの剣を帯びている。

「スー?」

 名前を呼ばれた剣士は、恭しく首を垂れた。

「あらためまして――宮廷魔術師スーブレット、お二人の予言実現のために尽力する所存です」

「娘は魔法の技術はもちろん、騎士団に師事して武芸、狩猟、さらには野営の技術も身につけております。何しろ、幼少期に私の予言研究を盗み見て、自分も人族の危機を救うのだと息巻き、バルカロールはじめ方々に訓練を願い出てきたじゃじゃ馬ですから」

 父親の言葉に、スーははにかんで頭を掻いた。

「『影の予言』については、私も調査・研究してきました。そのおふたりの助力が出来るとなれば、まさに私が夢にまで見た生き方そのものです。トリル様、頑張りましょうね!」

 爛々とするスーの眼は、インテルメッツォが予言について語り出したときの眼と一緒だった。

「トリル殿。アイン殿も、この旅を承諾するはずですよ。今、バルカロールが彼を口説いています。人族の王家として彼に旅を要望する代わりに、彼の求める情報を広く集め、すべて伝えるというのはどうか、と」

 トリルは小さく頷きながら、なるほどと思った。

 彼は復讐の相手を探して人族の都に来たと話していた。そもそもここにいないと分かれば他を巡る予定だったろうから、旅をすること自体に異存はないだろうし、情報を集める手段が増えるとなれば、渡りに舟といったところだろう――つまるところ、外堀はきちんと埋められていて、自分が旅立つための準備はすっかり整ってしまっているということだ。

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