第5話

「モナルキーア王国に、リブレットの書と呼ばれる本が継がれています。偉大な予言者リブレットが書き記したと伝わる古い書物で、そこに書かれた出来事は次々と的中し、時の王家はその予言書をもって数々の災いを退けてきました」

 唐突に始まった、聞いたことのない、しかしトリルにとってひどく興味深い話。横を見ると、そんな風に感じたのは彼女だけではなかったらしく、父も母も、アインも、皆、真剣な面持ちで聞き入っていた。

「にわかには信じがたいでしょうから、ひとつつまびらかにしましょう。ブッフォ殿――25年ほど前、ノルドを襲った津波のことを覚えておいでですか」

「覚えています。大地が揺れ、地が裂け、海から大波が押し寄せたときは、まだ若かった身ながら死を覚悟したものです」

 それは、トリルも何度か聞かされたことのある話だった。土精テラが土中で大いくさを始めてしまい、それに迷惑を被った水精アクアが激昂し、海を乱し、その余波が街を襲ったのだ、と言われている。ノルドに住む者なら、一年に一度は耳にする話だ。

「あのとき、ブッフォ殿はどちらにおられましたかな」

「たしか、朝早く騎士団がやってきて、午後に高波が街を襲うから丘の上に逃げろと知らせて回っていました。それで私は、健在だった両親と持てるだけのものを持って逃げた――と記憶しています」

「え――待って。大地の揺れは昼過ぎだった、ってお父さん言ってなかった? それだと、大地が揺れるよりも早く、お父さん達は避難したってことになるよ。順序がおかしくない?」

 トリルの言葉に、インテルメッツォが満足そうに頷いた。

「鳥の喉元で、一昼夜水が枯れる。翌朝に水は帰ってくるが、その日が昇る頃、鳥の嘴が大きく震え、裂けた大地に海の水が注ぎ込まれる」

 そういう予言でした――としみじみと語り、インテルメッツォは続けた。

「災害と呼ばれるものは、ほぼ全て予言書に網羅されています。それがあるからこそ、能力的には他種族に劣ると言わざるを得ない人族が国を建て、影の怪物達に対抗し、生き抜くことが出来ているのです。このリブレットの書を読み解くことは、まさに人族の未来を読み解くこと。そして――……」

 インテルメッツォの眼が爛々として、そこから蕩々と難しい話が繰り広げられた。トリルにとっては聞き馴染みのない言葉もちらほら出てきて、どんどん理解しきれなくなっていく。お茶が運ばれてきて、心地よい香りのするカップが置かれると、彼はようやく我に返った。

「……――ちょっと語りすぎましてしまいましたね。とにかく、人族は予言によって危機を回避してきた、ということです」

 知りませんでしたと母が言うと、バルカロールは笑った。

「国家機密ですからな。末端の兵士や下位の貴族はもちろん、それなりの身分にあるものにすらほとんど知らされていないことなのです」

「――と聞くと、次なる疑問が出てくるでしょう」

 バルカロールの言葉を継いでインテルメッツォが言い、次に口を開いたのはトリルだった。

「なぜ、そんな話を自分たちに?」

「答えは簡単。まさしく君が、予言書に登場するからなのですよ」

 指し示されたトリルは、思わず横に座っていた母を見た。母は首を横に振り、その奥に座っていた父も同じように反応した。当たり前だが、誰にも言葉の意味が分かっていない。

 それを見たインテルメッツォは、微笑みながら一冊の本を開いた。

「これはリブレットの書の写しです。この中の一節を、読み上げましょう。

  星々の驟雨しゅううくちばしを穿つ。

  虹の乙女、生を受ける。

  白き王子、乙女を救う。

  二人、七色の糸を紡ぐ。

  虹の御旗、影を晴らす。

 これは、我々宮廷魔術師がもっとも重要視している『影の予言』と呼ばれるものです。最後の部分――『影を晴らす』という文句は、この大陸に生きるすべての民の敵、オンブラ達を一掃することを意味している、と我々は考えています。そして、その鍵を握っているのは『虹の乙女』と『白き王子』であり、その『二人』が『七色の糸を紡ぐ』ことで予言は成就される。」

 さて――と彼は続けた。

「トリル嬢が生まれた日の前夜は、夜空から石が降り注いだ日ではありませんか?」

 驚愕しながら頷く母の横で、トリルが口を開く。

「同じ日に生まれた女の子は、他にもいるのではありませんか?」

「いるかもしれませんね。ですが、私は少なくとも、君のような瞳をした人物を君以外に知りません。随分珍しい特徴だし、しかもご両親から受け継いだものではないと聞きました。偶然というには、あまりにも出来すぎていると思いませんか」

 頷くトリルの横で、今度は母が言葉を紡ぐ。

「恐れながら……該当する人物がいるかどうかを調べることなどはなさらなかったのですか?」

「出来ないのですよ、奥方」

 言葉を発したのは、バルカロール氏だった。

「先程も申し上げたように、予言は国家機密。それにまつわる仕事をする人員も、ごくごく限られており、宮廷魔術師の中の少人数が実働しているだけなのです」

 何よりも、とインテルメッツォが言葉を継いだ。

「現女王陛下が予言に対して懐疑的で、人手が必要な大事は許可が出ないのです。先王夫妻、つまり陛下のご両親の事故死を予見できなかったために、致し方ないことではあるのですが……」

 トリルは長い息を吐いた。

 こんなことってあるだろうか。自分が、そのなんとかいう予言書に記された人物だと。

 アインが予言書に登場する人物と言われたら、それは分かる気はする。鍛え上げられた戦士。物語に出てくるような白い馬の姿。彼にまつわる事柄のことごとくが、どこか詩的だ。

 でも、自分は鍛冶屋の娘で、一般庶民で、ついこの先日まで街を出たこともなかった世間知らずだ。そんな人間を、偉い予言者が見いだしたりするものだろうか。

「俺は部族の長の息子ではあったが、国を持たぬ人馬ケノスに王や王子という概念はない。俺がその白い王子だというのは、無理があるように思う。ましてや、人の国に残された予言ならば、人の国の王子を詠むのではないか」

「リブレットの書は、我々が魔法で使う『力在る言葉』よりも古い言葉で書かれていましてね。王子というのも、あくまでも今の人族の文化に照らし合わせて翻訳した結果です。リーダーの子、というような意訳も出来る言葉なのですよ。何よりも、白い姿の貴方が、虹の瞳を持つ乙女を救ったという明瞭すぎる事実がある」

 それに――と、インテルメッツォは微笑んで言葉を継いだ。

「我々が忠誠を尽くす王家は、みな代々髪も瞳も金色です。アリア様が予言に対して良い印象をもっていないのは、そこが理由でもあるのです」

 アインはふむと言って黙った。

「トリル嬢が『虹の乙女』であり、アイン殿が『白き王子』であるとすれば、お二人の力によってオンブラの脅威はこの大地から消え去り、平穏が訪れることになる。重責を担わせたいわけではありませんが、興味はありませんか」

 トリルは、横目でアインを見た。

 目が合い、同じような想いを抱いているのが分かる。

 興味は大ありだ。しかし――

「ちょっと、よく分からない所があるんですけど……私とアインがその『二人』だったとして、『七色の糸を紡ぐ』って、具体的に何をすればいいんですか? 抽象的過ぎるというか……」

 トリルの問いに、魔術師長は苦笑した。

「そこが悩ましいところでして……その部分の寓意は、我々の中でも解釈が割れているところなのです。リブレットの予言において『色』が表すのは『種族』『精霊』のどちらかなのですが、『紡ぐ』という描写は他の予言には登場しない」

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